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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

野生の思考・・土器や神話でリフレッシュ(10/10 リモート時代と縄文と私)

2020-08-08 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 縄文時代の人々は文字も使えず原始的な生活をしていた・・・学生時代に歴史を学んだときはそんなイメージであり、そもそも歴史の時代に縄文時代などはほとんど時間を割いて学んだ記憶はない。しかし、今縄文時代を学んでいくと、決してそうでないことが分かってくる。

 学生のころはダーウィンやマルクスと言った進歩史観が花盛りであったが、レヴィ=ストロースの人類学が登場してからは随分学問の世界も変わってきたようで、その潮流の一つが縄文時代の再評価といった側面もあるのではないだろうか。

 私の親戚に山でのキノコ採りやハンティングを趣味にしている方がいる。そして、山の話で盛り上がった席に山を知らない私が加わると、さっぱり話が分からない。山の知識が全然違うのだ。山を愛し一つ一つの現象をしっかり頭にいれている感じなのである。それと同様に、縄文時代の祖先たちは周りの自然への関心や愛しみは桁外れだったと思う。

 例えば植物の知識は私たちと比べるとどうだろうか。私の家の近くに万葉植物園があるが、8世紀ごろに成立した万葉集には200種類弱の植物の名前が出てくる。万葉植物園に何回か行ったが、立ち寄ったくらいではとても覚えられない数だ。最近の知見によれば縄文時代の人々は誰でも軽く400種類以上の植物を熟知していたのではと言われている。今の私たちはデジタル関係の知識は誇れるかもしれないが、生きるための植物の知識は惨めなものだ。ちなみに数万年前の人類と今の人類の脳の進化程度は同じとされているので、縄文時代の人の植物の知識をベースにした知恵や思考は計り知れないものかもしれない。

 ところで知を考える上で大きな困難、生き残りを賭けたような困難にいかに対応するかということがある。大きなところでは、誰でも知っているコロナ禍。どのように対応するかということは世界的な関心である。新たに治療薬やワクチンを開発するということもあるが、既存技術やシステムを利用して、つまりあり合わせでの緊急対応もある。このあたりは時空を越えて共通なところがあり、カミュのペストを読んだりすると今の日本でも同じような旅人の問題、都市閉鎖や医療問題といった現象が出てくる。それは、縄文時代でも同じようなことがあったかもしれない。

 そして、状況を良い方に転換する知恵の構造は、今も縄文時代も同じかもしれない。最近の言葉であればレヴィ=ストロースが語った野生の思考・神話思考というようなものであったり、私が学生時代から関心があった湯川秀樹や市川亀久弥の創造論、等価変換論もそうかもしれない。

 話が大きくなりすぎたので、自己事例で小さな生き残る知恵について考えてみたい。私の原型的な体験の一つにアラスカの小学校に突然編入された7歳の時の異文化体験がある。英語しか話さない先生や生徒、それに対し全く英語のできない私。父に連れられて学校に行ったところまでは良かったが、父が去り教室に英語のできない私が残される。先生は私の英語能力をみようと思ったのか、優しいまなざしで赤とか黄色の色紙を出して何色かを問うた。もちろん分からないが優しいまなざしに背中をおされ、日本語で赤、黄色などと答えた。そのときの自分の発した言葉の異様は今でも忘れない。しかし、異様な日本語を聞いた先生は、明るい顔をして私をクラスの生徒にその日本語を話題に紹介してくれた。そんなことで、私は新しい環境にすぐに順応することができた。おそらく、私の発した日本語がトリックスターのように媒介し、世界が変わってくる。

 私のつたない体験であったが、人は困難にあって成長するところがある。受験で失敗したり、厳しい上司のもとで、文章を何度も書き換えさせられたり、そんな経験が意外なほど糧となって今に至っている。自分とは何かという考え(アイデンティティ)、ストレスを抑圧することなく健全に防衛機制を使って対処すること。そして、周りの環境を現実吟味力を駆使して理解する。それが心理面では鍵であり、学んでいくことである。7歳の私も父のアイデンティティのお下がり?抑制や反動形成、そして先生や教室の雰囲気を正確に認知していたのだろう。そして、今、神話公式を思い出してみると。私の異文化経験も実に神話的であり、昔少し研究した有島武郎の一房の葡萄のような構造になっていることに驚く。学校の先生と間もなく別れる時がくるのだが、そのときの不思議なプレゼントがやはり心に残ったのだ。

 そして、私のような人の集まる社会も人と同じような振る舞いをすることが多いと思う。今回のコロナ禍の半年くらいで日本列島も随分変わった。疫病なので人と人の距離が随分話題になった。距離をとるために施設や学校が閉鎖されたり、自粛が叫ばれた。今まで徐々に浸透して行ったデジタル技術が急速に見直され、大幅に利用されるようになった。米国のNewyork TImesは紙版より電子版が売れるようになったが、日本でも同じような状況かもしれない。オンライン会議が常識になり、ビジネスの世界だけでなく、芸術や学問の領域、さらに市民活動の領域にも浸透し、代表的なツールのZoomは11月が1000万人の利用だったが6月は30倍の3億人になった。まさしくコロナ禍と私たちの中をとってZoomがトリックスターのように振る舞っているように感じてしまう。

 縄文時代の勉強をしている私であるが、このところ縄文土器の文様について文献を読んだり、実際の土器を拝見したりしている。何を語っているかもちろん分からないことだらけであるが非常に構造的になっていることは確かで驚きである。竪穴式住居跡や墓跡も構造的であり、環状住居跡が縄文後期になると分散型になるが、それはどのような論理なのか気になるところである。日本神話や竹取物語のような世界の中では保存されているほうの神話も大事であろう。

 U先生がよく言われていたが、ギリシャ神話など神話をのんびり読んでいると、いろいろなストレスが不思議に解消されてしまう現象があるようだ。人類が残した貴重な神話をのんびり読んだり、あるいは不思議な構造的な文様のある土器をみてると、私の場合何か落ち着く。人は物理的な身体、生育史からくる心、そして宗教的領域とされる魂からなると仮定すると、神話や土器は魂の領域に触れるような気がする。午後は多摩市の土器を見学にゆく予定だが楽しみでもある。

リモート時代と縄文と私 10/10 

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