ブログの写真をとるようになって、特に昆虫や動物の写真を撮るとき、自分の眼を意識することが多くなった。
U先生の「生き甲斐の心理学」でも、時々、慈眼と邪眼のお話がでてくる。その影響もあるかもしれない。
本当はどうか判らないが、昆虫や動物を撮るとき、特に至近距離で撮るとき、邪念があると逃げてしまうように感じる。逆に、良い写真が撮れたりすると慈眼だったかなと喜んだり。
普段自分が何を考えているか・・・ということ。もう少しいえば、普段の自分の好奇心の対象も、慈眼や邪眼とも関係しているようにも思う。
この2-3日。私はとても規則正しい生活をし、3つの分野の読書を楽しんでいる。もう、何年も一つの本を読みだすと、最後まで読むという方法が当たり前だったが、この2-3日はなるべく均等に3つの分野の読書を楽しんでいる。一つはモンゴメリーの赤毛のアンなど。一つは白蓮さん関係の本。そして三つ目は古代、縄文に関わる本だ。
そして、これらの本を読んでいる時の自分の眼も、時々意識してみる。慈眼か邪眼が・・・
自己肯定、他者肯定ののびのびした気分の時は 慈眼なのだろうか?
自己肯定 他者否定は、どうも邪眼に繋がるようだ。
自己否定 他者肯定は、自己否定 他者否定の時の眼は?
いろいろ妄想してしまうが、今日の日曜日、慈眼で過ごしたいものだ。
私とあなた ① 1/10