多摩動物園のパスポートを購入してからもう少しで一年になる。
いろいろな動機があって、パスポートを購入したのだが、今は純粋に行くことが楽しみになっている。
動物園に行って、例えばキリンはこれであるとわかることは価値あることだと思うが、一年を通じて観察するということは、さらに何十倍も価値があるように思う。
昨日はカンガルーで、初めて母親の袋に入った子供を見ることができた。私自身、動物園に何回も来たが、これは初めての経験であった。
カンガルーの母子。いつの間にか、自分の中で直接見てもいないのに、ある概念が出来ていたことに驚く。袋の中の赤ちゃんカンガルーを慈しむようなイメージ(例えば、餌を母カンガルーが口移しで子供に食べさせる・・)。しかし、実際に観ると、母子は独立した生き物として、子供は親の袋に入っているものの、カッテに餌を食べたりしている。結構ドライな感じであった。
有袋類と有胎盤類は一億年前に別れ、有袋類は独自の進化を遂げている。母子という関係も、人間が属する有胎盤類と機能的に違う。早く産み、袋の中で育てる(母子の一体性は有胎盤類より希薄かもしれない。しかし、それ故、厳しい環境で生存しやすいという説もあるようだ)。
有袋類はかなり昔に分化したので、有胎盤類が、馬や羊、トラや猪、猿や人と様々に分化してきたように、進化の過程で、多摩動物園だと、カンガルー、ワラピー、コアラ、ウォンバットのように別れて行ったようだ。中には、有袋類のトラまでいたそうだが、有胎盤類のトラに最後は駆逐され絶滅したという説がある。
多摩動物公園では、有袋類のエリアのそばに、アムールトラが居て、ときどき有袋類のトラはどんなだったのかと妄想したりする。
話がどんどん脱線してきたが、動物園は、本当にいつも様々な発見があるのだ。自分の自己概念(こうあるベキだ、こんなモノだろう・・・)が切り崩され、より深く知る喜びがある。
10回の傾聴やカウンセリングの基礎の勉強も今日で終わるが、実は、傾聴やカウンセリングの目標は、この動物園での私の体験にちょっと似ているようだ。
こうあるべきだ、これが普通だ・・・こういう自己概念に私も含め、人は囚われる。それは普通で通常は問題にならないものだが、ある時は、その自己概念故に現実に適用できなくなる。
自分も時に陥り易いのだが、生き甲斐の心理学を学ぶものは、その理論を勉強するために、結構〜すべき、〜が良いと言いがちになる。例えば自己肯定すべき。例えば積極的傾聴をせよとか・・・。しかし、よく考えるとおかしなことになっているのに気づく。
最後に、次のロジャースの言葉を噛み締めたい。
「個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する。」
こころの声 10/10