映画を最近見てなかったが、U先生やKさんに紹介された、デカプリオ主演の「シャッターアイランド」を観た。ドンデンがいしが話題になっていたが、人が身体と心(生育史)そして魂からなると考えて観ると、なかなか深いものがある。心理的な面も勉強にもなり、最近ずっと追いかけている、カールロジャースの19の命題の観点からもとても勉強になる。
ただ、心理的な認識等の世界は、何が病理か、何が健全かという視点がないと混乱をする。冒頭のシーンではないが船酔いになってしまう。U先生より11年間「生き甲斐の心理学」を学んできたが、この病理か健全かを判断するのは、カールロジャースのプロセス・スケールが一番のようだ。
シャッターアイランドでも、最後の場面などで医師が判断するのは、恐らくそういった理論を背景にしていると思う。
しかし、人は先に述べたが、身体と成育史からなるこころだけでなく、魂(死んで身体から離れる生命体、愛そのものと仮定したりする)からなると考えると、人間の尊厳が見えてくる。そして、表面的には船酔い的だが、核となるものが現れてくるのだ。
自分の主張・表現は健全なのか否か。
昨日の清盛の日吉の神輿(強訴)の主張であるが、スカっと爽やかである。是非新・平家物語をお読みいただければと思うが、健全な主張ではないケースも、自分の成育史を考えるとある。理路からすると決しておかしくないかもしれないが、やはりおかしいというようなケースだ。現実吟味力がかけ、何か14の防衛機制もちぐはぐ。そして、アイデンティティの統合もここひとつ。
そして、プロセス・スケールも全体的に低くなる。プロセススケールについては、このブログでも触れているが、U先生の次の記事は参考になる。
世の中、日々刻々と変わる。新平家物語だと、保元の乱など。そして、今だと大震災のようなことも。そんな時に、うろたえプロセススケールが低くなるのは当然といえば当然であるが、その中でも健全性を志向するのは大切だと思う。
主張 4/10
「主張」、難しいです。仕事上では、必ずしも正論が正しいことはないですし、根拠がなければ単なる愚痴になってしまったりしますし。
"良い主張と悪い主張"、これは考えさせられます。