ビジネスでも日常生活でも、何かことをしようとするとき、いろいろ考えるものだ。今月の滋賀・唐崎での勉強会そして旅行に備えても、図書館で関係する本を借りてきたり、ネットで下調べをしたりする。そして、今まで読んだ壬申の乱関係の本などから、ここに行ってみたい・・・といった妄想で遊んだりする。
年をとり、また、心理学を学んだこともあり、今では苦痛になるような思索の仕方などはしなくなったが、考えてみれば結構無理な考えに囚われたり、一人がってな思いでとんだことになったりしたものだ。外からの考え、内から湧きだす考えのバランスが悪かったようだ。
10歳台後半の高校生のころには、地図を眺めて旅行計画を練ったのはよいが、行程がひとりよがりで、夜になっても旅館に辿りつけなく危ういめにあったりした。ビジネスでも若いうちは、何かを企画したり調査するときにも、あれやこれや他人の本や考えを収集するのは良いが、自分の中から湧きだす考えを粗末にしてしまい、「それで、いったい何なの?」というような報告になってしまったりした。
どんな考えを摂取(防衛機制のひとつ)して心を安定させるかは大事なことであるが、そればかりだと本人はとにかく、何か変だ。五感・体感で現実に眼を向け、自然体の中から自分の考えが湧きださせることを忘れてはならないと思う。
摂取だけではないが、何かごちゃごちゃ「考え」の衣装をまとい、自分の真実から遠ざかることは、陥りやすいことだと、自戒をこめて思う。
昨日は、所属する「生き甲斐の心理学」推進のNPOの勉強会だったが、自分の中のゴチャゴチャの「考え」の衣装を破り捨て、自分を見つめるのにとてもよかった。人との出会いは何ともいえない素晴らしい事件だ。
時間と空間の旅 ④ 3/10