なかなか難しいテーマでもあるが、自分の生育史を研究すると恐らくかなりの人は、明るく生きるヒントを見いだすことができるのではと思う。今日は恥ずかしながら自分の例を生き甲斐の心理学の理論で確認しつつ考えてみる。
6-7歳の時のことでブログにも書かせていただいたが、同じ事例を解釈を変えて明るく生きるコツを研究してみよう。
私は普通に東京の小学校1年に入学したときは、学校に行くのが嫌になった。まあ暗く生きる道に乗ってしまったのだと思う。そして、小学校2年のときにアラスカの小学校に入学したときは、学校に行くのが好きになり、明るく生きる道に乗ったのだと思う。
なぜ、そうだったかはいろいろな要素があると思うが、この事例の中に大きなポイントが隠されていると思う。日本の小学校に登校しだしたときは、依頼心が強く自発性が乏しかったようだ。それは、学校に行くという厳しい試練?の中で、変に学校の先生に期待したり、周りの大人たちにどこか依存し期待したようだ。それが、実際は無理な話で、へんな期待からの理想と現実のギャップとしてのストレスで、暗く生きる道にさまようはめになった。
一方、アラスカの小学校に入学した時は、状況が全く違う。まず、英語が全く分からない中なので、学校の英語しか分からない先生に頼るわけにも行かない。そんなことは7歳の子供でもわかることで、状況を切り開くのは自分しかなかった。他者への期待・理想は限りなく少なく、自発性だけが生きるすべてであった。こんな時に、言葉が分からない中でも、私が日本語を話すことに眼をつけて、クラスの仲間に日本語ができる私を紹介してくれた女教師の機転は恩寵そのものであった。当然ながら、理想は低く現実が理想をはるかに上回る。それは感謝の世界であり、明るい道につづく。
もう一つ、7歳の少年にとってはアイデンティティというほどのものではないが、宗教とか信仰の世界も明るく解釈する傾向と関係あるかもしれない。私の父は仏教徒であったが、母はカトリック、キリスト教徒であった。当時のアラスカも町の中心にはロシア正教の教会があり、プロテスタント、カトリックの教会もあった。私は母に連れられてカトリックのミサに行き、プロテスタントの教会学校にも行ったりした。日本ではマイノリティの私でもアラスカでは普通の信仰。そして、神仏を信じて見える世界は明るいものだ。
理想・期待の高さと明るく生きる道との関係、そして宗教や哲学を信じたり、信仰の世界と明るく生きる道は関係があるようだ。
明るい解釈と暗い解釈 2/10
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