今年の3月は私にとって大事な節目のように感じている。こうした時は、実は健全な判断力が必要だ。もちろん、ちっぽけな自分が判断したところで、それが長い人生でどのような意味があるかよくわからないことも当然ではある。ただ、悔いのない人生を歩もうとするときに、少なくとも心理学的に健全な判断をした方がよいのではと、自分の人生を振り返りつつ思うのだ。
昨日は、孫娘の誕生を前に(最近は性別が誕生前にわかってしまうのは不思議だが)、どのような名前が良いがを話し合った。何か月か、考えてなかなか決まらない。どのように心理学的に悔いのない選択をするか。あるいは、自分のこれからの仕事についても、今年はあれこれ考えさせていただいた。今年は縄文小説を書いてきたが、どのように終着しどうするか?これも健全な判断力が要請される。これらは、自分にとって意識された節目であるのだが、人生はそのとき意識に昇らないが、あとで考えると大事な選択をしていることがある、日々の何気ない判断が決定的になることも。
生き甲斐の心理学をベースに判断をする時、これはテキスト「生き甲斐の心理学」の5ページの系統図がとても便利である。どうしたらよいか、その時々、自分の状態(精神的にどの程度健全化も含め)を判断しつつ、単に論理的な思考だけに堕さず、自分の感情もしっかり見極めつつ選ぶ。
例えば、命名問題であるが、ロジック重視で画数がどうだこうだ、書きやすいか否か、家族の文化と言ったらよいかある種の規則性・・・それも大事だが、両親は、その名前が好きか・嫌いか、あるいは怖いか、怖くないかといった感情生活の問題も大事だと思う。また、決定する時に現実吟味力は備わっているか、思想性といったアイデンティティにどう向き合うかなども。
そのほか、系統図は知恵の塊であり、さまざまな切り口があるが、それについては来月4月30日の新宿・四ツ谷勉強会で取り上げたいと思っている。人生の大選択で何をどう判断するかだ。
*写真はちょうど3年前奈良の室生寺で撮った写真です。
夢を実現する 2/10