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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文の祖先の愛・・・(愛の問題 10/10)

2016-03-12 | 第九章「愛」

 昨日はオフで、横浜市歴史博物館の「称名寺貝塚 土器とイルカと縄文人」展に行ってきた。写真はマイルカの頭骨、このほかにもイルカをはじめたくさんの展示が。昨年、北陸旅行で、石川県の真脇遺跡に行きたいのに行けなかったこともあったが、縄文時代のイルカは北陸だけでなく身近な称名寺遺跡にもあったのだ。イルカの頭骨などは貝塚からでてくるのだが、例えばイルカの歯は一頭につき1,000個くらいあるはずなのに、ほとんど出てこない。何に使ったのだろうかなど、いろいろ考えさせられた。

 この数か月縄文時代の貝塚を訪ねたり、勉強したりすることが多かったが、いろいろ考えさせられる。特に貝塚は、現代人・消費文化の民から見れば、ゴミ捨て場と解釈できるタイプのものも多いが、祖先は、そこで死と再生を真面目に祈っていたようだ。かつて、私が小さかったころは、食べ物は粗末にするなとか、食後に歯を磨くより食前に歯を磨くことも教わった。食べ物・命を等しく大事にする思想。

 貝塚には、各種貝殻のほか、イルカや魚類の骨、イノシシ、シカなどの動物、そして、時に墓所のエリアには人骨まで埋葬され、それが日本では珍しいアルカリ性のエリアとして、数千年の時空を超えて人のDNAを保存したりしている。おお、それから無機物かもしれない土器を忘れてはならない。

 そこには、生命=物理的なもの、という思想ではなく。生命=魂(宗教的な領域)+物理的なものという思想が隠れているように思う。そして、植物、動物といったあらゆる生命体を大事にし、単なるグルメの対象とすることなどなかったに違いない。

愛の問題 10/10

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