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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

健全に生きる原動力は?(愛の問題 4/10)

2016-03-05 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は老人ホームに母を訪ねたりしたが、ほぼ一日、持統天皇を中心に飛鳥・奈良の歴史について妄想していた。先日の奈良古墳の旅のこともあり、改めて持統天皇の厳しい生涯を思いめぐらした。

 持統天皇の肉声は、万葉集の中におさめられているが、今日は、夫である天武天皇が亡くなったときの挽歌が気になり、いろいろ調べた。

 ・・・その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しび 明けくれば うらさび暮し 荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし (・・・その山を遠く望みながら夕暮を迎えるとふしぎに悲しみがこもり、日が出たとて一日を寂しくすごし、荒栲の喪服の袖はつねに涙で乾きませぬ。)  万葉集159(講談社文庫 中西 進監修参照)

 厳しい古代日本の政治状況で、悲惨ともいえる幼少期を過ごし、政略結婚、戦争への従軍、壬申の乱での必死の活躍、そして夫との皇親政治。夫の死と甥の大津皇子の排除(謀殺とも)。天皇家だけでなく蘇我氏の正当な後継者でもあって、極めてストレスの多い立場。そんな持統天皇であるが、どのような愛の原型をもち、それは健全であったのかそうでなかったのか・・・持統天皇を描いた小説や漫画がいろいろあるが、オカルトまがいに書く作家もいれば、そうでなく理想の女性として描く作家もいる。結構なぞなのである。

 正常か否かは、生き甲斐の心理学ではアイデンティティの統合度、感情も含めた現実吟味力、防衛機制が重要な視点とされている。万葉集159、それに続く160、161の不思議な持統天皇の歌は、天武天皇の死とともに「私は私」というか、ある種の健全性を女帝は育んでいたようだ。たぶんそうでなければ、高市皇子をはじめとする蘇我氏に近い勢力とつばぜり合いできなかっただろう。

 先日行った天武天皇・持統天皇陵。中世に盗賊が陵に入り捕まった記録が残されているが、それによると、墳墓の中には棺があり天武天皇の遺体と思われるが、もう一つ銀の骨壺があったそうだ。骨壺は持統天皇のものと考えられている。合葬といっても、こうした違いのある合葬は、持統天皇らしいといえる。私は私。

 健全性の原動力はなんだったのだろうか。一番考えられるのは生き甲斐である。松本清張さんによると、政権担当者として多忙な中、吉野にしょっちゅう行ってたのは、新鮮な魚介類・グルメのためとしているが、意外にあたっているかもしれない。もちろん、政治に生き甲斐を見出していたという正論もあるが・・・

奈良の旅 番外編

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