江の島の近くの腰越は、平家物語で有名である。義経が頼朝のいる鎌倉に入ることもできず、頼朝に手紙を認めた場所で有名だ。政治的な背景があったとはいえ、兄弟がお互いを許すことなく殺しあうのは、何とも辛い。
しかし、この腰越の地は、生き甲斐の心理学の勉強会でもう5-6年よく訪れたりし、今ではすっかり馴染みになってしまった。この地で学んだりことや、人との出会いは実に豊かである。勉強会の前に、ちょっと腰越の海岸に出るのはいつものことであるが、今回も出てみた。
冬の太陽が川の中で煌めき海に注いでいた。夏とは違い、太陽が昼でも低いため川や海が実に美しいのだ。人も殆ど居ないので最高(もちろん寒いが)。
さて、今年は≪生き甲斐の心理学≫の勉強を深めるために論文に挑戦し始めている。その中で自己分析をいろいろしているが、何か、その作業がこの川の中の太陽のように想えてきている。
過去の自分を考えたりするのは、この勉強を始める前の昔の私なら、しかめっ面で堅苦しく苦しい作業かなと想ったものだが、自分の昔の解釈を無理なく自然体で再解釈をしていく。その中で、何か幸福曲線が増えてくる。正統な自己分析はより明るく暮らすための作業に直結するのだと確信するようになった(まだ、論文をU先生にちらっともお見せしていないので怪しい限りだが)。
この勉強を始めて、どぶ川のように思ったり、時には蓋をしていた成育史が実は煌めいているのだ(客観的にどうか、というのではなく私は私のスタンスで主観的に)。自己否定や他者否定に傾きがちな私ではあるが、自他肯定への希望の道を目指しつつ生き甲斐の心理学を学ぶのは、豊かな海。至福の感情への道なのだろう(心理学的にも正しいようだ)。
ゆるしと受容をのんびり考える 10/10
しかし、この腰越の地は、生き甲斐の心理学の勉強会でもう5-6年よく訪れたりし、今ではすっかり馴染みになってしまった。この地で学んだりことや、人との出会いは実に豊かである。勉強会の前に、ちょっと腰越の海岸に出るのはいつものことであるが、今回も出てみた。
冬の太陽が川の中で煌めき海に注いでいた。夏とは違い、太陽が昼でも低いため川や海が実に美しいのだ。人も殆ど居ないので最高(もちろん寒いが)。
さて、今年は≪生き甲斐の心理学≫の勉強を深めるために論文に挑戦し始めている。その中で自己分析をいろいろしているが、何か、その作業がこの川の中の太陽のように想えてきている。
過去の自分を考えたりするのは、この勉強を始める前の昔の私なら、しかめっ面で堅苦しく苦しい作業かなと想ったものだが、自分の昔の解釈を無理なく自然体で再解釈をしていく。その中で、何か幸福曲線が増えてくる。正統な自己分析はより明るく暮らすための作業に直結するのだと確信するようになった(まだ、論文をU先生にちらっともお見せしていないので怪しい限りだが)。
この勉強を始めて、どぶ川のように思ったり、時には蓋をしていた成育史が実は煌めいているのだ(客観的にどうか、というのではなく私は私のスタンスで主観的に)。自己否定や他者否定に傾きがちな私ではあるが、自他肯定への希望の道を目指しつつ生き甲斐の心理学を学ぶのは、豊かな海。至福の感情への道なのだろう(心理学的にも正しいようだ)。
ゆるしと受容をのんびり考える 10/10
