生まれてから今まで、問題がなかったことはなかった。幼いころは記憶にないが、最近孫が出来て、勉強になる。
孫を観ていて気付くのは、一歳に満たない彼女も、いつも問題をもっているということ。言語化できないので、こちらが想像するだけあるが、起きているあいだは問題と戦ったり、楽しんだりしている。「おなかがすいた」、「暑い」、「気持ちが悪い」・・・・
そんな、大事な問題の存在であるが、当たり前すぎるのか、問題を問題にすることは余りない。でも、問題を扱う時はその理解を深めることは大事である。ならば、もう一度問題とは何かを問題にしなければならない。
たまたま読んでいた、世界で愛されているロシア人のアルトシューラの創造技法TRIZの入門書、「本当に役立つTRIZ」(日刊工業新聞社)には次のように書かれていた。
問題とは目標と現実のギャップ。
気になったので、他の定義もあるかとインターネットで調べた。概ねこれで良いようだ。ただ、1+1=?といった学校で非常に良く教わるような問題はどうだろうかと気になった。
こうした算数の問題のような問題は回答が、学習による前提条件の中で一つに決められる、単純なものである。客観性があって、万人に説得できそうでもある。でも、こういう問題は学習進度を調べる等の測定に使われ、大人が悩む正当な問題と、ちょっと質が違うと思う。問題というより質問(○×式の)というものである。
さて、TRIZの本の定義で気になったのは、目標という言葉である。目標は組織・集団で決める目標を主にイメージしてしまう。個人の場合は目標より、望ましい状態とか理想といった言葉が、ぴったりするようである。そこで、次のように定義をしなおしてみた。
問題とは個人の理想と現実のギャップである。
ここで、はっとする。何処かで見慣れた定義なのである。生き甲斐の心理学の中で大事にしている次の考えがある。
暗い感情(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)は理想と現実のギャップから生まれる。勿論、この場合は意識だけでなく無意識の理想とか現実も加味される。
とても似ている。そうすると、問題=暗い感情 という不思議な等式がなりたつ。理想も現実も本人が認識している、ある意味で主観的なものである。
そして、<回答は本人の中にある>という生き甲斐の心理学の命題も理解できる。人間関係の問題、就職や入学の問題、病気の問題、配偶者の問題、死の問題・・・人生の大きな問題は、基本的に感情をもつ本人が解決すべきである。
本人が解決すべき問題は、本人の問題だが、他人ができることは、その本人を援助するだけである。例えば、親子の関係などであっても、本質は同じ。自分と他人が違うことを知ることが大切。
問題とは何かと、昨日から考えてきたが、生き甲斐の心理学で扱う、問題がどこに焦点付けされているのかが判った。心理学なのだなあ・・・
(こころの援助を考える①(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 2/60)
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