イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

イエとは何かなぁ(ゆるしと和解①)

2010-03-10 | 第五章「和解と平和」

 7-8世紀の日本のことが頭を離れない毎日であるが、昨日は「本当に恐ろしい万葉集」(小林惠子 祥伝社黄金文庫)を読み返していた。そのなかに、額田王の有名な歌があった。

冬ごもり 春さり來れば 

鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 

咲かざりし 花も咲けれど 

山を茂み 入りても取らず

草深み 取り手も見ず 

秋山の 木の葉を見ては 

黄葉をば 取りてそしのふ 

青きをば 置きてそ歎く 

そこし恨めし 秋山われは

 小林氏はこの詩の解釈のポイントとして、五行思想から春は大海人皇子、秋は天智天皇を象徴しているとし、また、額田王は天智天皇の異母兄弟との仮説を出されていて、その中での大海人皇子への想いを考えている。

 門外漢の私には、学問的にどうなのか判断する力はないのだが、その解釈に従って読むと、最後の「秋山われは」の意味などがはっきりし、何とも味のある、深みのある詩として感じることができる。

 先日行った同時代と思われる高松塚古墳の五行思想に彩られた壁画の印象もあり、小林氏の解釈は表面的な解釈より格段に味がある(万葉集を鑑賞するうえでも)

 それにしても、7-8世紀の日本の政権は謀略その他が渦巻き、現代のわれわれには想像もつかない厳しい状態だったのだなあと推し量っている。われわれの祖先たちは大変な状態の中をひたすら生き抜いてきたのだろう。

 生まれた家により、一生が左右される。人の運命が左右される。少子化、核家族化で今は随分変わりつつあるが、今でもイエの影響力は生育史にさまざまな影響を与えているのだと思う。

 さて、一昨日、祖父が大変お世話になったY家のお墓が、近くの多摩霊園にあることを先日知り、友人と参った。お墓には、祖父の上司であった方の銅像がそばにあり胸が熱くなった。祖父は、若いころ、どのように暮らしていたのだろうか。そんな、今となっては訊けない問いを問いたくなった。

 幼いころのイエ、青年期のイエ。50歳台後半となった今の私にとってのイエ。随分感じが違ってきている。イエのイメージは祖父母や父母からの影響が大きいのだと思う。ただ、自分のアイデンティティの変化と共に、イエも変わってきたのだろう。前向きに意味を考えることは重要なことかもしれない。

(感謝の領域(ゆるしと和解①)51/60)

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