私は青年時代に本来は決めるべき、自分の宗教や思想を、明確に選ばず、40歳台まで過ごしてしまった。それでも何とかなるのが日本文化の良いところでもあるが、たまたま外資系企業に籍を置いたこともあり、外人と接する機会も結構あり、はっとしたこともあった。
ビジネスでは宗教とか政治の話は避けるようにと教科書にはあるが、実際は食事を一緒にするにも、ユダヤ教、ヒンズー教、キリスト教といろいろ違うので、気配りをすることになる。自分の宗教が何かくらいは話さないと、普通の生活もできない。
私はもともと幼児洗礼のカトリック信徒であるが、若い頃は、日本的に宗教が極めてあいまいな時期を過ごした。プライベートの場で「宗教は?」と聞かれ、当時関心が高かった「仏教」と答えたりした。
「では、菜食主義なのか?」などと、細かく聞かれ、答えに窮したこともあった(英語がうまくなかったこともあり)。宗教を信じるのが当たり前の世界から見ると、当時の自分の行動は変に見えたかもしれない。
信じる宗教や思想により、食べるという基本的な行動すら変わる。<思考・感情・行動>は連動し、相互に影響を与えるという心理学で学んだことを改めて思い起こす。
大多数が特定の宗教を持っている社会と、そうでない社会。もちろん、特定の宗教を信じていない人の行動も、あるパターン(行動)をとる。オバマ大統領の就任演説の中でNon Believerという言葉が、キリスト教とヒンズー教徒、イスラム教徒とともに出てきた。
Non Believerは、神仏を信じないという信仰をもつ人達のことなのだろう(神仏が居ないことを科学的に証明した人もいないと思うので)。日本の場合、Non believerも少ないようで、米国や欧米とかなり違うだろう。
さて、日本の自殺者が年間30、000人を超え続け、ちょっとした戦争どころではない死者を出している。世界でも最も悲惨な状態の中にあるのが事実である。自殺という<行動>をとる背景の<思考・感情>はどうなのだろうか。
<生き甲斐の心理学>の普及活動で、役に立てることもあるように思う。
<自分をみつめる 4/4>
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