イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

暗い時にも光はあるさ!

2007-11-06 | 第十章「今ここでの恩寵」

 万葉集を昨晩読み始めた。最初は有名な、雄略天皇の「籠もよ み籠持ち ふくしもよ・・・」から始まる。雄略天皇はどんな方のかなと不思議に思い、日本書紀を読んだが、戦争に明け暮れる日々の記述から、決して平和な時代の方ではないことが判る。

 なにか、象徴的な歌であるようだが、良くわからないのが実感である。ただ、若い頃の読後感は明るい単純なイメージの歌であったが、今は反対にどろどろとした背景を感じてしまう。

 歳を重ねてくるうちに、自分の血(DNA等)の中にある、暗い側面を実感し始めてきたように思う。生きるということは、例えば他の生命を食べながら生き続けるということから判るように、居心地が悪い部分がある。それが、例えばキリスト教ではアダムが人の祖として犯した原罪ということになるのだろうか。そそして、50歳台になってからの、万葉集の歌の解釈にも影響を与えるているかもしれない。

 日本という国について考える。最近の不安定な政局を思いつつも、ちょっと視点を変えて考えてみる。今でこそ、GDPは世界で2位10%以上、米国と日本で40パーセント以上のGDPと言われる。人口も1億人をはるかに越え、今の首相は日本の史上有数の富んだ国の長ということになるのだろう。

 縄文時代初期は、日本の人口約2万人、弥生時代で約60万人、奈良時代ですら540万人というデータもある。この歌が読まれたときの、恐らく何百倍の人口と計り知れないほど富んだ日本。その日本も、この歌が読まれたころと同様に、どこか不安定である。人間とは何かを考えさせられる。

 ただ、こうした時代にも、光があることも事実であり、光に導かれて生きていく価値は充分あると信じている。

 雄略天皇が、自分の腕を食おうとした虻を、蜻蛉が食い飛び去ったのを見て喜んだ記述がある。暗い部分に眼が行くのは人の常かもしれないが、明るい部分を見る意思は、健康に生きる上で大切だと思う。

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