大学に入るまで、7歳のときを除けばすべて四谷周辺で生活した。通学もすべて歩きであった。高校は赤坂方面であったが、40分くらい歩いて通った。上智大学の土手もよく歩いた。
上智大学からニューオタニにかけて、紀伊坂がある。若い頃読んだラフカディオハーンの書いた、のっぺらぼうの舞台でもある。確かにちょっと不気味なところがある。
高校生になったころから、幼い頃からのカトリックの信仰に疑問を持ち、教会に行かなくなった。そして、何故か日本の怨霊、幽霊に興味を抱くようになる。高校生のころの国語や日本史などで、師に恵まれたことも一因である。師の面影を想い、深く感謝している。
大学を卒業し、社会人になりたてのころは、当時の人気であった。梅原猛氏の著作を良く読んだ。そして25歳から29歳に関西転勤となったこともあり、嬉々として京都、奈良などの史跡に行った。
法隆寺が聖徳太子の怨霊鎮魂の寺という説にも興味はあったが、柿本人麻呂論としての「水底の歌」は推理小説を読むように夢中で読んだ記憶がある。
キリスト教は当時の自分にとっては、自分の深いところでどこか違和感があり、自分の祖先である日本的、東洋的なものに惹かれていったのだと思う。その最たるものが怨霊だったかもしれない。
先日、日本の怨霊(大森亮尚著 平凡社)を薦められて読ませていただき、感動しつつ読了した。井上内親王、早良親王などの歴史の勉強であまり習わなかった方の生涯を通して、当時の歴史がリアルに紹介されている。万葉集の成り立ちでは、以前読んだ梅原猛氏の柿本人麻呂論を補完し、より良く理解できたと思う。
今また、カトリックの信仰を持つようになったが、青春時代に惹かれ始めた、人間にとっては余りありがたくない怨霊を考えることで、自分をより知ることになるのではと思い始めている。
そんな想いもあり、先日鎮魂の書とも言える「万葉集」を購入してしまった。場所をとる積読かもしれないが、死ぬまでに一読したい。
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