嬉しい場面なのに哀しくなって塞ぎ込んでしまっていた幼き日のヒカル。誕生パーティを開いてもらったのにどんどん淋しくなって、自分が主役なのに部屋の隅っこに引っ込んでいたり。
その部分は25才になった今でもどうしようもない彼女の本質であって、どんな状況でも心の何処かではそう思ってしまうという事なのでしょう。
このバスは走るというより飛んでいく感じだと本人が言っている事から、”traveling”のPVのイメージに近いのかも。
「どこへ行くの?」「遠くなら何処へでも」そんなやり取りが歌の中ではあり、PVでは妖精になった主人公が空飛ぶ列車に乗り込み、文字通り”誰もいない世界”へと向かいます。
私の中では、そこから更に”SAKURAドロップス”のPVで人の象徴となっているヒカルが棲む世界へと繋がっていきます。
”虹色バス”という歌の中で印象的なのは、後半に進むにつれヒカルが楽しそうに歌っているということ。ひねくれ者とも捉えられ兼ねない本音の部分をあからさまに人に示す行為は、ある種の高揚感をもたらすものなのかもしれません。
前日の夜は寝不足になる程、皆が楽しみにしているバス遠足。自分だって当然楽しみでいる筈なのに、どうしても拭い切れずにいる疎外感と違和感。
そして2分55秒辺りで聞こえてくるのは、まるで車のワイパーのような音。規則正しいワイパーのリズムに身を捩じらす雨粒達が、いつしか私の意識を、遠い”誰もいない世界”へ誘います。
Everybody feels the same
Everybody feels the same・・・
それなのに私だけは、心ここにあらずで。
いつもとは違う環境の中、少しだけ冒険心と好奇心が渦巻くのも”traveling”と”虹色バス”に共通している言えるでしょう。
今目の当りにしている現実も、時間が経てば最初から何も無かったのではないかと思うことでしょう。まるで、夢か幻のように。
だからいつか来る終わりが怖い。
止まるのが、ちょっとだけ怖い。
存在しない筈の「虹の終わり」を見てしまうのが、本当は怖いのです。