14時~
(曲紹介『COLORS』)
鹿野淳さん(以下、鹿野)「この曲、車のコマーシャルだったんですよね。だから一番最初に『ミラーが映し出す』っていう言葉から始まっていて、そこはまぁ機能的な部分も見えていくんですけど、実は初めて結婚された後でリリースされた曲で、宇多田ヒカルさんって1度お休みになられてるじゃないですか。あれは人間活動をする為にお休みするっていう。自分はアーティスト宇多田ヒカルとして生き過ぎていて、本来の人間としての自分っていうものが何なのかっていう事に対して見つめ合えてもいないし、だからそれが欲しかったっていう事だと思うんですけど、その意味でいくと。初めて人間宇多田ヒカルっていう存在を、宇多田ヒカルさん自身が意識したのっていうのは、この結婚からなんじゃないのかなぁと実際インタビューしててもそういう断片っていうものがね、聞こえてきたりもしたんですよ。
つまりは自分の中で、自分が何だかわからない。その何だかわからないっていう事を自分のプライベートではもうそれでいいやにしちゃって、でも何だかわからないっていう事は凄く衝撃的だし衝動的な事だから、その衝撃をありったけの力で音楽に全部注ぎ込んできたっていうのが彼女の生き方でもあり、彼女の音楽でもある訳ですよ。
そうした場合にパートナーの方がね、人生の中で生まれるっていう事は、そのパートナーの方が自分っていうものを整理する対象になるし、彼女の場合だと、多分にパートナーの方が宇多田ヒカルさん自身を救おうとしていた部分があったという風に僕は当時インタビューでね、お聞きしていたんですけど。そうなった時に、その救おうとしてくれた存在の方がね、生まれるっていう事は圧倒的に自分と向かい合うっていう事になる訳じゃないですか。それほど人間って戸惑う事ってね、無いと思うんですよね。
だからこの曲の一番最後に『今の私は あなたの知らない色』という言葉があるんですけど、この『今の私はあなたの知らない色』の『あなた』っていうのは、もしかしたらパートナーの方にかもしれないんですけど、僕は『あなた』が自分なんじゃないのかなぁっていう風にどうしても推測してしまうんですよね。『今の私』っていうものはアーティスト宇多田ヒカルさんにも、人間宇多田ヒカルさんにもやっぱりわかんないよねと。もうわかんない。以上!みたいな。
色というものをテーマにしたのも、もしかしたらそういうタイミングっていうのもあるのかもしれないし、色というものをテーマにした結果、結局色じゃないというか色が無い。若しくは色が決められないっていう歌になってるのかなと。彼女っぽいという事でも何とも言えないんだけど、宇多田ヒカルだなぁって気がしますよね」
(『COLORS』投稿者コメント紹介)
鹿野「人生がよくわからなかったから、よくわからしてくれる答えを彼女に歌って貰ったという感じよりも、よくわからないでいいんだよっていう肯定をしてくれている感じもあるんじゃないですかね。だからこの『COLORS』自体の中でも、このリズムとこのリズムは絶対に合わさりませんよっていうね。リズムを同じ歌詞のフレーズの中で、具体的に言うとAメロなんですけどね、してる訳ですよ。それはまず、禁じ手なんですよね。聞きにくいからそういう事は止めなさいっていう風に、音楽教室時代から言われている筈の事なんですけど。
凄く歌に寄り添うメロディから、いきなりドラムベースにAメロの中で変わるっていうね。ひとつのフレーズの中で、しかも。こんな変態的な事をやらないんですよ、普通は。しかもタイアップの曲でもやらないし。もっと言うとトップアーティストは、やっぱりもうちょっとそれをやるんだったら、敢えて私がやってるんだみたいにね。そういうその、敢えてのアピールも聞こえるんですけど。だって宇多田ヒカルさんって『Automatic』のミュージックビデオ以外に、彼女から強い訴えを感じたことあんまり無いんですよね。僕は無いです。それは歌からも、彼女のパフォーマンスからもね。それがまず凄いですよね。訴えてないっていう事が」
(ランキング第3位曲紹介『Goodbye Happiness』)
鹿野「(投稿者コメントの紹介から)仏教的な、という話が今あったんですけど、彼女は宗教観が確かなものとして多分ある訳じゃないと思うんですよね。ただ、人間にとって世界の中で宗教ってものがある事によって自分が落ち着く場所がある。神とかそういう存在がね、絶対という存在がある事によって自分が落ち着けられるっていう、その為に宗教っていうのは物凄い影響力を持っている訳じゃないですか。だからその観念っていうものとポップミュージックを作る中で、何処か対峙してると思うんですよね。それは宗教と対峙してるんじゃなくて、そういう気持ちと。そこが彼女の歌になってる気がするんですけど、この方、やっぱりずっと自分っていうものが無くて、その自分っていうものが無いっていう自分と向かい合ってる部分があると思うんですよね。
(中略)そして僕一番最初のインタビューで一番衝撃的だった言葉は『私よく友達に、ヒカルってさ、凄いよね。スーパーマーケットみたいだよね、って言われる』と。で、それを『どうして?』って言うと『何でもある』って言われたと。これを17歳だったっけな、の方から言われて愕然としましたよね。で、何でもあるっていう風に言われる自分は、別に何でもある訳ではなくて、自分が何にでもないから結果的に何でもある対応を人に出来るんだっていう事だっていう訳です。(中略)孤独というものと温かく寄り添えるっていうのは、やっぱり彼女が温かいからとか、孤独じゃないからっていう訳ではなくて、彼女がより孤独で、よりその孤独というものと向かい合って、良い悪いとか、悲しい嬉しいとかじゃない、それを超えたところで途方に暮れちゃってる、それが音楽になっているからそういうものになるんじゃないかなぁとも思うんですけど。
この曲に関してもね、やっぱりリズムはとてもハイなんですよ。これハウスミュージックっていうね。だから要するに、人間をアッパーにするリズムのアレンジの曲なんですね。でも、この方が歌うとそれは多分自分の歌とか声というものも、どれだけ刹那で儚いものなのかっていう事を、ここまでの中で彼女が知らされていく訳ですよね。これ2010年の曲ですよね。もうデビューしてからだいぶ経っている。その中で必然的にやっぱり音楽というものの中で、自分の歌というね、その悲しみっていうものと、それを悲しいリズムで作ってもしょうがないし。だから逆のアッパーなリズムを入れてくっていう事もしてると思うし、それが自分にとっての音楽だっていうのもあると思うし、みんなに聞いて貰うのもそこだっていうのがあると思うんですよね。
この方凄い面白い事を前に仰られていて『日本の民族って単一だから、元々ジャンルなんて存在しないんですよ』と。『例えばアメリカのジャンルって元々は人種だったりとか、白人とか黒人とかですよね。そういうものがあったりだとか、何処何処の出身だったりというものから出てきて、それがジャンルとして区分けする必然性も生まれてくるし、自分達もそういう中で生き方すら整理していく訳だけど、日本人の場合単一の民族で、そこの中でジャンルってそもそも折り合いを付ける必要もないじゃないかと。それに気付いてないままアメリカナイズされた文化圏と編集力から、そういうジャンルっていうものにまとめ上げている世の中、もしかしたらメディアみたいなものもあるのかもしれないんだけど、でも、そもそも違うと思うんですよね』っていう。何かその自由っていう言葉で表現し切れない自由が、彼女の音楽の脳味噌の中にあると思うんですよね」
(ランキング第2位曲紹介『道』)
鹿野「まずこの曲が選ばれたという事が、物凄いいい番組、いいリスナーだなと思うのと共に、宇多田ヒカルさんというとね、記録を作ったのも初期の頃だったりして、そっち側にフォーカスが当てられがちなんですけど、これ2016年の『Fantôme』の中のアルバムの核になってる曲が、この曲なんだっていうね。そういう曲なんですけど、これ、宇多田ヒカルさんにとってね、この曲の中でも『あなた』っていう言葉が出てくるんですけど、これまたお母さんを凄く彷彿とするっていう事が…お母さん亡くなってるんです、この前に。宇多田ヒカルさんが人間活動をする為に長期お休みになられていてから、復帰しての重要作、そして30代を超えてからの重要作、そしてお母さんが亡くなられてからの彼女の表現っていうものと、いろんなものが重なったところで出てきたのがこの曲なんですけど。
(中略)長期休養をする前の宇多田ヒカルさんの中でも『あなた』っていうのって、何か何処か自己完結をしてるような部分があったりとか、宇多田ヒカルさんね、凄くこの休む前の曲って僕、自己犠牲を感じるんですよね。その自分が無いっていうのも含めて、表現者としての自己犠牲の気持ちっていうものが人々をこの音楽で温かくしたりとか、救っている部分が凄く多いんじゃないかなという風に思うんですけど、この休養開けてから、そしてこの曲以降の宇多田ヒカルさんは、やはり人間として歌を歌ってるし、その『あなた』という存在が明確に他者がちゃんと聞こえてくる歌になって、僕らはそれを聴いて感化されてる部分で、こうやってランキングの上位に入ってくるっていう部分にも繋がってくるんじゃないかなと思うし、『あなた』っていう言葉がここまでちゃんと聞こえてくるっていうのが何かこの曲の、そして宇多田ヒカルという人間のストーリーとして物凄く重要なもの、そして感動的なものを感じますよね。
(中略)これ曲の中でね『調子に乗ってた時期もあると思います 人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』っていう部分があるんですよね。人って、いや、生かされてるんじゃないよ、俺は俺で生きてるんだよ。自分は自分で生きてるんだっていう風に勿論思いたいし、それがアイデンティティーっていう自己証明、自己存在っていうものを、ちゃんと自分で自覚する部分に繋がってくると思うんですけど、敢えて生きてるんじゃなくて生かされてるんだっていうね。これ宇多田ヒカルさんの中での母性の始まりかもしれないなぁと。表現者としての母性がここからも感じるし、その表現者としての彼女の母性っていうものが、もしかしたらお母さんが星になってしまったという事と繋がってるんだとしたら、やはりこの曲は、そこの階段の踊り場みたいなね。彼女の気持ちっていうものを表現してるなぁと思いますけどね」
(ランキング第1位曲紹介『あなた』)
鹿野「(投稿者コメントの紹介から)まず韻を踏んでる部分ですけど、これ多分踏んでると思うんですよね。それは彼女のポップミュージックに対する時代観もあれば、ヒップホップっていうものと子どもの頃から生身でアメリカで接してきた彼女の遊びっていうものもあると思うし、その辺が音楽家としてのまずキレがあるなぁと思うと共に、この曲これレーベル移籍して、そして出てきた楽曲だったりして、彼女の今の世界の始まりの楽曲でもあるんですけど、歌声が今までと全然違うものを感じるんですよね。言ってみれば、今日聴いてきた多くの曲は切なさと儚さで胸を締め付けられる。何を歌ってようと彼女が歌を歌うと、胸が締め付けられる独特の歌唱がね、あると思うんですけど、僕はこの曲から胸を締め付けられるよりも、解放とか人間の筋肉みたいなものを凄く感じるんですね」
「それは宇多田ヒカルさんがやっぱり音楽をやるっていう十字架の重さみたいなものが変わった部分を凄く感じるし、もっと極論で言えばね、表現家の宇多田ヒカルと人間宇多田ヒカル、その両方が自分の表現家としての活動の中で一体化し始めてきた楽曲として、この歌声が聞こえてくるなぁと思うんですよね。その辺がまず耳にした瞬間に、え、これがヒカルさんなのかなっていう風に思った瞬間を未だに覚えてるんですけど、何か強いですよね。凄い強い。
それとこれ、どうやら彼女が自分の死後の世界みたいなものも振り返って見たところから作り始められてる歌だと思うんですけど、そこでは切迫した気持ちとか、究極、言ってみれば死ねないって言うね。気持ちみたいなものがこの曲を歌わせてるんだと思うし、一節の中で『戦争の始まりを知らせる放送も アクティヴィストの足音も届かない この部屋にいたいもう少し』っていう。これ言ってみれば、彼女がもう一度自分の箱庭に閉じ籠っていくという風にも受け取れちゃう。箱庭から出てきて、もうちょっと世の中を知りたいなぁ、人間を知りたいなぁ、 と思ってここまで紆余曲折、試行錯誤してきた彼女の何十年間というものが、音楽としての道になってきてるんですけど、そこでもう一度『この部屋にいたい もう少し』って言ってるって、逆にこの部屋に戻るっていう事が、自分っていうものの絶対っていうものを歌ってる、その人間っていう一人の存在の絶対さと力、強さっていうものを歌っているような気がして、それって滅茶苦茶自由だし、滅茶苦茶強いし、そこに引き込まれていくなぁっていう風に思うんですけどね」
追伸:鹿野さんコメントパートをメインに抜粋させていただきましたが、それでもレポート用紙でおよそ14ページ半という内容でした。やはり濃いぃ…。
(曲紹介『COLORS』)
鹿野淳さん(以下、鹿野)「この曲、車のコマーシャルだったんですよね。だから一番最初に『ミラーが映し出す』っていう言葉から始まっていて、そこはまぁ機能的な部分も見えていくんですけど、実は初めて結婚された後でリリースされた曲で、宇多田ヒカルさんって1度お休みになられてるじゃないですか。あれは人間活動をする為にお休みするっていう。自分はアーティスト宇多田ヒカルとして生き過ぎていて、本来の人間としての自分っていうものが何なのかっていう事に対して見つめ合えてもいないし、だからそれが欲しかったっていう事だと思うんですけど、その意味でいくと。初めて人間宇多田ヒカルっていう存在を、宇多田ヒカルさん自身が意識したのっていうのは、この結婚からなんじゃないのかなぁと実際インタビューしててもそういう断片っていうものがね、聞こえてきたりもしたんですよ。
つまりは自分の中で、自分が何だかわからない。その何だかわからないっていう事を自分のプライベートではもうそれでいいやにしちゃって、でも何だかわからないっていう事は凄く衝撃的だし衝動的な事だから、その衝撃をありったけの力で音楽に全部注ぎ込んできたっていうのが彼女の生き方でもあり、彼女の音楽でもある訳ですよ。
そうした場合にパートナーの方がね、人生の中で生まれるっていう事は、そのパートナーの方が自分っていうものを整理する対象になるし、彼女の場合だと、多分にパートナーの方が宇多田ヒカルさん自身を救おうとしていた部分があったという風に僕は当時インタビューでね、お聞きしていたんですけど。そうなった時に、その救おうとしてくれた存在の方がね、生まれるっていう事は圧倒的に自分と向かい合うっていう事になる訳じゃないですか。それほど人間って戸惑う事ってね、無いと思うんですよね。
だからこの曲の一番最後に『今の私は あなたの知らない色』という言葉があるんですけど、この『今の私はあなたの知らない色』の『あなた』っていうのは、もしかしたらパートナーの方にかもしれないんですけど、僕は『あなた』が自分なんじゃないのかなぁっていう風にどうしても推測してしまうんですよね。『今の私』っていうものはアーティスト宇多田ヒカルさんにも、人間宇多田ヒカルさんにもやっぱりわかんないよねと。もうわかんない。以上!みたいな。
色というものをテーマにしたのも、もしかしたらそういうタイミングっていうのもあるのかもしれないし、色というものをテーマにした結果、結局色じゃないというか色が無い。若しくは色が決められないっていう歌になってるのかなと。彼女っぽいという事でも何とも言えないんだけど、宇多田ヒカルだなぁって気がしますよね」
(『COLORS』投稿者コメント紹介)
鹿野「人生がよくわからなかったから、よくわからしてくれる答えを彼女に歌って貰ったという感じよりも、よくわからないでいいんだよっていう肯定をしてくれている感じもあるんじゃないですかね。だからこの『COLORS』自体の中でも、このリズムとこのリズムは絶対に合わさりませんよっていうね。リズムを同じ歌詞のフレーズの中で、具体的に言うとAメロなんですけどね、してる訳ですよ。それはまず、禁じ手なんですよね。聞きにくいからそういう事は止めなさいっていう風に、音楽教室時代から言われている筈の事なんですけど。
凄く歌に寄り添うメロディから、いきなりドラムベースにAメロの中で変わるっていうね。ひとつのフレーズの中で、しかも。こんな変態的な事をやらないんですよ、普通は。しかもタイアップの曲でもやらないし。もっと言うとトップアーティストは、やっぱりもうちょっとそれをやるんだったら、敢えて私がやってるんだみたいにね。そういうその、敢えてのアピールも聞こえるんですけど。だって宇多田ヒカルさんって『Automatic』のミュージックビデオ以外に、彼女から強い訴えを感じたことあんまり無いんですよね。僕は無いです。それは歌からも、彼女のパフォーマンスからもね。それがまず凄いですよね。訴えてないっていう事が」
(ランキング第3位曲紹介『Goodbye Happiness』)
鹿野「(投稿者コメントの紹介から)仏教的な、という話が今あったんですけど、彼女は宗教観が確かなものとして多分ある訳じゃないと思うんですよね。ただ、人間にとって世界の中で宗教ってものがある事によって自分が落ち着く場所がある。神とかそういう存在がね、絶対という存在がある事によって自分が落ち着けられるっていう、その為に宗教っていうのは物凄い影響力を持っている訳じゃないですか。だからその観念っていうものとポップミュージックを作る中で、何処か対峙してると思うんですよね。それは宗教と対峙してるんじゃなくて、そういう気持ちと。そこが彼女の歌になってる気がするんですけど、この方、やっぱりずっと自分っていうものが無くて、その自分っていうものが無いっていう自分と向かい合ってる部分があると思うんですよね。
(中略)そして僕一番最初のインタビューで一番衝撃的だった言葉は『私よく友達に、ヒカルってさ、凄いよね。スーパーマーケットみたいだよね、って言われる』と。で、それを『どうして?』って言うと『何でもある』って言われたと。これを17歳だったっけな、の方から言われて愕然としましたよね。で、何でもあるっていう風に言われる自分は、別に何でもある訳ではなくて、自分が何にでもないから結果的に何でもある対応を人に出来るんだっていう事だっていう訳です。(中略)孤独というものと温かく寄り添えるっていうのは、やっぱり彼女が温かいからとか、孤独じゃないからっていう訳ではなくて、彼女がより孤独で、よりその孤独というものと向かい合って、良い悪いとか、悲しい嬉しいとかじゃない、それを超えたところで途方に暮れちゃってる、それが音楽になっているからそういうものになるんじゃないかなぁとも思うんですけど。
この曲に関してもね、やっぱりリズムはとてもハイなんですよ。これハウスミュージックっていうね。だから要するに、人間をアッパーにするリズムのアレンジの曲なんですね。でも、この方が歌うとそれは多分自分の歌とか声というものも、どれだけ刹那で儚いものなのかっていう事を、ここまでの中で彼女が知らされていく訳ですよね。これ2010年の曲ですよね。もうデビューしてからだいぶ経っている。その中で必然的にやっぱり音楽というものの中で、自分の歌というね、その悲しみっていうものと、それを悲しいリズムで作ってもしょうがないし。だから逆のアッパーなリズムを入れてくっていう事もしてると思うし、それが自分にとっての音楽だっていうのもあると思うし、みんなに聞いて貰うのもそこだっていうのがあると思うんですよね。
この方凄い面白い事を前に仰られていて『日本の民族って単一だから、元々ジャンルなんて存在しないんですよ』と。『例えばアメリカのジャンルって元々は人種だったりとか、白人とか黒人とかですよね。そういうものがあったりだとか、何処何処の出身だったりというものから出てきて、それがジャンルとして区分けする必然性も生まれてくるし、自分達もそういう中で生き方すら整理していく訳だけど、日本人の場合単一の民族で、そこの中でジャンルってそもそも折り合いを付ける必要もないじゃないかと。それに気付いてないままアメリカナイズされた文化圏と編集力から、そういうジャンルっていうものにまとめ上げている世の中、もしかしたらメディアみたいなものもあるのかもしれないんだけど、でも、そもそも違うと思うんですよね』っていう。何かその自由っていう言葉で表現し切れない自由が、彼女の音楽の脳味噌の中にあると思うんですよね」
(ランキング第2位曲紹介『道』)
鹿野「まずこの曲が選ばれたという事が、物凄いいい番組、いいリスナーだなと思うのと共に、宇多田ヒカルさんというとね、記録を作ったのも初期の頃だったりして、そっち側にフォーカスが当てられがちなんですけど、これ2016年の『Fantôme』の中のアルバムの核になってる曲が、この曲なんだっていうね。そういう曲なんですけど、これ、宇多田ヒカルさんにとってね、この曲の中でも『あなた』っていう言葉が出てくるんですけど、これまたお母さんを凄く彷彿とするっていう事が…お母さん亡くなってるんです、この前に。宇多田ヒカルさんが人間活動をする為に長期お休みになられていてから、復帰しての重要作、そして30代を超えてからの重要作、そしてお母さんが亡くなられてからの彼女の表現っていうものと、いろんなものが重なったところで出てきたのがこの曲なんですけど。
(中略)長期休養をする前の宇多田ヒカルさんの中でも『あなた』っていうのって、何か何処か自己完結をしてるような部分があったりとか、宇多田ヒカルさんね、凄くこの休む前の曲って僕、自己犠牲を感じるんですよね。その自分が無いっていうのも含めて、表現者としての自己犠牲の気持ちっていうものが人々をこの音楽で温かくしたりとか、救っている部分が凄く多いんじゃないかなという風に思うんですけど、この休養開けてから、そしてこの曲以降の宇多田ヒカルさんは、やはり人間として歌を歌ってるし、その『あなた』という存在が明確に他者がちゃんと聞こえてくる歌になって、僕らはそれを聴いて感化されてる部分で、こうやってランキングの上位に入ってくるっていう部分にも繋がってくるんじゃないかなと思うし、『あなた』っていう言葉がここまでちゃんと聞こえてくるっていうのが何かこの曲の、そして宇多田ヒカルという人間のストーリーとして物凄く重要なもの、そして感動的なものを感じますよね。
(中略)これ曲の中でね『調子に乗ってた時期もあると思います 人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』っていう部分があるんですよね。人って、いや、生かされてるんじゃないよ、俺は俺で生きてるんだよ。自分は自分で生きてるんだっていう風に勿論思いたいし、それがアイデンティティーっていう自己証明、自己存在っていうものを、ちゃんと自分で自覚する部分に繋がってくると思うんですけど、敢えて生きてるんじゃなくて生かされてるんだっていうね。これ宇多田ヒカルさんの中での母性の始まりかもしれないなぁと。表現者としての母性がここからも感じるし、その表現者としての彼女の母性っていうものが、もしかしたらお母さんが星になってしまったという事と繋がってるんだとしたら、やはりこの曲は、そこの階段の踊り場みたいなね。彼女の気持ちっていうものを表現してるなぁと思いますけどね」
(ランキング第1位曲紹介『あなた』)
鹿野「(投稿者コメントの紹介から)まず韻を踏んでる部分ですけど、これ多分踏んでると思うんですよね。それは彼女のポップミュージックに対する時代観もあれば、ヒップホップっていうものと子どもの頃から生身でアメリカで接してきた彼女の遊びっていうものもあると思うし、その辺が音楽家としてのまずキレがあるなぁと思うと共に、この曲これレーベル移籍して、そして出てきた楽曲だったりして、彼女の今の世界の始まりの楽曲でもあるんですけど、歌声が今までと全然違うものを感じるんですよね。言ってみれば、今日聴いてきた多くの曲は切なさと儚さで胸を締め付けられる。何を歌ってようと彼女が歌を歌うと、胸が締め付けられる独特の歌唱がね、あると思うんですけど、僕はこの曲から胸を締め付けられるよりも、解放とか人間の筋肉みたいなものを凄く感じるんですね」
「それは宇多田ヒカルさんがやっぱり音楽をやるっていう十字架の重さみたいなものが変わった部分を凄く感じるし、もっと極論で言えばね、表現家の宇多田ヒカルと人間宇多田ヒカル、その両方が自分の表現家としての活動の中で一体化し始めてきた楽曲として、この歌声が聞こえてくるなぁと思うんですよね。その辺がまず耳にした瞬間に、え、これがヒカルさんなのかなっていう風に思った瞬間を未だに覚えてるんですけど、何か強いですよね。凄い強い。
それとこれ、どうやら彼女が自分の死後の世界みたいなものも振り返って見たところから作り始められてる歌だと思うんですけど、そこでは切迫した気持ちとか、究極、言ってみれば死ねないって言うね。気持ちみたいなものがこの曲を歌わせてるんだと思うし、一節の中で『戦争の始まりを知らせる放送も アクティヴィストの足音も届かない この部屋にいたいもう少し』っていう。これ言ってみれば、彼女がもう一度自分の箱庭に閉じ籠っていくという風にも受け取れちゃう。箱庭から出てきて、もうちょっと世の中を知りたいなぁ、人間を知りたいなぁ、 と思ってここまで紆余曲折、試行錯誤してきた彼女の何十年間というものが、音楽としての道になってきてるんですけど、そこでもう一度『この部屋にいたい もう少し』って言ってるって、逆にこの部屋に戻るっていう事が、自分っていうものの絶対っていうものを歌ってる、その人間っていう一人の存在の絶対さと力、強さっていうものを歌っているような気がして、それって滅茶苦茶自由だし、滅茶苦茶強いし、そこに引き込まれていくなぁっていう風に思うんですけどね」
追伸:鹿野さんコメントパートをメインに抜粋させていただきましたが、それでもレポート用紙でおよそ14ページ半という内容でした。やはり濃いぃ…。