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From Hiron to many NetWalkers♪

「うたことば/宇多田ヒカル」14時台後編

2019年12月13日 19時13分33秒 | Hikki
14時~

(曲紹介『COLORS』)

鹿野淳さん(以下、鹿野)「この曲、車のコマーシャルだったんですよね。だから一番最初に『ミラーが映し出す』っていう言葉から始まっていて、そこはまぁ機能的な部分も見えていくんですけど、実は初めて結婚された後でリリースされた曲で、宇多田ヒカルさんって1度お休みになられてるじゃないですか。あれは人間活動をする為にお休みするっていう。自分はアーティスト宇多田ヒカルとして生き過ぎていて、本来の人間としての自分っていうものが何なのかっていう事に対して見つめ合えてもいないし、だからそれが欲しかったっていう事だと思うんですけど、その意味でいくと。初めて人間宇多田ヒカルっていう存在を、宇多田ヒカルさん自身が意識したのっていうのは、この結婚からなんじゃないのかなぁと実際インタビューしててもそういう断片っていうものがね、聞こえてきたりもしたんですよ。
つまりは自分の中で、自分が何だかわからない。その何だかわからないっていう事を自分のプライベートではもうそれでいいやにしちゃって、でも何だかわからないっていう事は凄く衝撃的だし衝動的な事だから、その衝撃をありったけの力で音楽に全部注ぎ込んできたっていうのが彼女の生き方でもあり、彼女の音楽でもある訳ですよ。
そうした場合にパートナーの方がね、人生の中で生まれるっていう事は、そのパートナーの方が自分っていうものを整理する対象になるし、彼女の場合だと、多分にパートナーの方が宇多田ヒカルさん自身を救おうとしていた部分があったという風に僕は当時インタビューでね、お聞きしていたんですけど。そうなった時に、その救おうとしてくれた存在の方がね、生まれるっていう事は圧倒的に自分と向かい合うっていう事になる訳じゃないですか。それほど人間って戸惑う事ってね、無いと思うんですよね。
だからこの曲の一番最後に『今の私は あなたの知らない色』という言葉があるんですけど、この『今の私はあなたの知らない色』の『あなた』っていうのは、もしかしたらパートナーの方にかもしれないんですけど、僕は『あなた』が自分なんじゃないのかなぁっていう風にどうしても推測してしまうんですよね。『今の私』っていうものはアーティスト宇多田ヒカルさんにも、人間宇多田ヒカルさんにもやっぱりわかんないよねと。もうわかんない。以上!みたいな。
色というものをテーマにしたのも、もしかしたらそういうタイミングっていうのもあるのかもしれないし、色というものをテーマにした結果、結局色じゃないというか色が無い。若しくは色が決められないっていう歌になってるのかなと。彼女っぽいという事でも何とも言えないんだけど、宇多田ヒカルだなぁって気がしますよね」

(『COLORS』投稿者コメント紹介)

鹿野「人生がよくわからなかったから、よくわからしてくれる答えを彼女に歌って貰ったという感じよりも、よくわからないでいいんだよっていう肯定をしてくれている感じもあるんじゃないですかね。だからこの『COLORS』自体の中でも、このリズムとこのリズムは絶対に合わさりませんよっていうね。リズムを同じ歌詞のフレーズの中で、具体的に言うとAメロなんですけどね、してる訳ですよ。それはまず、禁じ手なんですよね。聞きにくいからそういう事は止めなさいっていう風に、音楽教室時代から言われている筈の事なんですけど。
凄く歌に寄り添うメロディから、いきなりドラムベースにAメロの中で変わるっていうね。ひとつのフレーズの中で、しかも。こんな変態的な事をやらないんですよ、普通は。しかもタイアップの曲でもやらないし。もっと言うとトップアーティストは、やっぱりもうちょっとそれをやるんだったら、敢えて私がやってるんだみたいにね。そういうその、敢えてのアピールも聞こえるんですけど。だって宇多田ヒカルさんって『Automatic』のミュージックビデオ以外に、彼女から強い訴えを感じたことあんまり無いんですよね。僕は無いです。それは歌からも、彼女のパフォーマンスからもね。それがまず凄いですよね。訴えてないっていう事が」

(ランキング第3位曲紹介『Goodbye Happiness』)

鹿野「(投稿者コメントの紹介から)仏教的な、という話が今あったんですけど、彼女は宗教観が確かなものとして多分ある訳じゃないと思うんですよね。ただ、人間にとって世界の中で宗教ってものがある事によって自分が落ち着く場所がある。神とかそういう存在がね、絶対という存在がある事によって自分が落ち着けられるっていう、その為に宗教っていうのは物凄い影響力を持っている訳じゃないですか。だからその観念っていうものとポップミュージックを作る中で、何処か対峙してると思うんですよね。それは宗教と対峙してるんじゃなくて、そういう気持ちと。そこが彼女の歌になってる気がするんですけど、この方、やっぱりずっと自分っていうものが無くて、その自分っていうものが無いっていう自分と向かい合ってる部分があると思うんですよね。
(中略)そして僕一番最初のインタビューで一番衝撃的だった言葉は『私よく友達に、ヒカルってさ、凄いよね。スーパーマーケットみたいだよね、って言われる』と。で、それを『どうして?』って言うと『何でもある』って言われたと。これを17歳だったっけな、の方から言われて愕然としましたよね。で、何でもあるっていう風に言われる自分は、別に何でもある訳ではなくて、自分が何にでもないから結果的に何でもある対応を人に出来るんだっていう事だっていう訳です。(中略)孤独というものと温かく寄り添えるっていうのは、やっぱり彼女が温かいからとか、孤独じゃないからっていう訳ではなくて、彼女がより孤独で、よりその孤独というものと向かい合って、良い悪いとか、悲しい嬉しいとかじゃない、それを超えたところで途方に暮れちゃってる、それが音楽になっているからそういうものになるんじゃないかなぁとも思うんですけど。
この曲に関してもね、やっぱりリズムはとてもハイなんですよ。これハウスミュージックっていうね。だから要するに、人間をアッパーにするリズムのアレンジの曲なんですね。でも、この方が歌うとそれは多分自分の歌とか声というものも、どれだけ刹那で儚いものなのかっていう事を、ここまでの中で彼女が知らされていく訳ですよね。これ2010年の曲ですよね。もうデビューしてからだいぶ経っている。その中で必然的にやっぱり音楽というものの中で、自分の歌というね、その悲しみっていうものと、それを悲しいリズムで作ってもしょうがないし。だから逆のアッパーなリズムを入れてくっていう事もしてると思うし、それが自分にとっての音楽だっていうのもあると思うし、みんなに聞いて貰うのもそこだっていうのがあると思うんですよね。
この方凄い面白い事を前に仰られていて『日本の民族って単一だから、元々ジャンルなんて存在しないんですよ』と。『例えばアメリカのジャンルって元々は人種だったりとか、白人とか黒人とかですよね。そういうものがあったりだとか、何処何処の出身だったりというものから出てきて、それがジャンルとして区分けする必然性も生まれてくるし、自分達もそういう中で生き方すら整理していく訳だけど、日本人の場合単一の民族で、そこの中でジャンルってそもそも折り合いを付ける必要もないじゃないかと。それに気付いてないままアメリカナイズされた文化圏と編集力から、そういうジャンルっていうものにまとめ上げている世の中、もしかしたらメディアみたいなものもあるのかもしれないんだけど、でも、そもそも違うと思うんですよね』っていう。何かその自由っていう言葉で表現し切れない自由が、彼女の音楽の脳味噌の中にあると思うんですよね」

(ランキング第2位曲紹介『道』)

鹿野「まずこの曲が選ばれたという事が、物凄いいい番組、いいリスナーだなと思うのと共に、宇多田ヒカルさんというとね、記録を作ったのも初期の頃だったりして、そっち側にフォーカスが当てられがちなんですけど、これ2016年の『Fantôme』の中のアルバムの核になってる曲が、この曲なんだっていうね。そういう曲なんですけど、これ、宇多田ヒカルさんにとってね、この曲の中でも『あなた』っていう言葉が出てくるんですけど、これまたお母さんを凄く彷彿とするっていう事が…お母さん亡くなってるんです、この前に。宇多田ヒカルさんが人間活動をする為に長期お休みになられていてから、復帰しての重要作、そして30代を超えてからの重要作、そしてお母さんが亡くなられてからの彼女の表現っていうものと、いろんなものが重なったところで出てきたのがこの曲なんですけど。
(中略)長期休養をする前の宇多田ヒカルさんの中でも『あなた』っていうのって、何か何処か自己完結をしてるような部分があったりとか、宇多田ヒカルさんね、凄くこの休む前の曲って僕、自己犠牲を感じるんですよね。その自分が無いっていうのも含めて、表現者としての自己犠牲の気持ちっていうものが人々をこの音楽で温かくしたりとか、救っている部分が凄く多いんじゃないかなという風に思うんですけど、この休養開けてから、そしてこの曲以降の宇多田ヒカルさんは、やはり人間として歌を歌ってるし、その『あなた』という存在が明確に他者がちゃんと聞こえてくる歌になって、僕らはそれを聴いて感化されてる部分で、こうやってランキングの上位に入ってくるっていう部分にも繋がってくるんじゃないかなと思うし、『あなた』っていう言葉がここまでちゃんと聞こえてくるっていうのが何かこの曲の、そして宇多田ヒカルという人間のストーリーとして物凄く重要なもの、そして感動的なものを感じますよね。
(中略)これ曲の中でね『調子に乗ってた時期もあると思います 人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』っていう部分があるんですよね。人って、いや、生かされてるんじゃないよ、俺は俺で生きてるんだよ。自分は自分で生きてるんだっていう風に勿論思いたいし、それがアイデンティティーっていう自己証明、自己存在っていうものを、ちゃんと自分で自覚する部分に繋がってくると思うんですけど、敢えて生きてるんじゃなくて生かされてるんだっていうね。これ宇多田ヒカルさんの中での母性の始まりかもしれないなぁと。表現者としての母性がここからも感じるし、その表現者としての彼女の母性っていうものが、もしかしたらお母さんが星になってしまったという事と繋がってるんだとしたら、やはりこの曲は、そこの階段の踊り場みたいなね。彼女の気持ちっていうものを表現してるなぁと思いますけどね」

(ランキング第1位曲紹介『あなた』)

鹿野「(投稿者コメントの紹介から)まず韻を踏んでる部分ですけど、これ多分踏んでると思うんですよね。それは彼女のポップミュージックに対する時代観もあれば、ヒップホップっていうものと子どもの頃から生身でアメリカで接してきた彼女の遊びっていうものもあると思うし、その辺が音楽家としてのまずキレがあるなぁと思うと共に、この曲これレーベル移籍して、そして出てきた楽曲だったりして、彼女の今の世界の始まりの楽曲でもあるんですけど、歌声が今までと全然違うものを感じるんですよね。言ってみれば、今日聴いてきた多くの曲は切なさと儚さで胸を締め付けられる。何を歌ってようと彼女が歌を歌うと、胸が締め付けられる独特の歌唱がね、あると思うんですけど、僕はこの曲から胸を締め付けられるよりも、解放とか人間の筋肉みたいなものを凄く感じるんですね」




「それは宇多田ヒカルさんがやっぱり音楽をやるっていう十字架の重さみたいなものが変わった部分を凄く感じるし、もっと極論で言えばね、表現家の宇多田ヒカルと人間宇多田ヒカル、その両方が自分の表現家としての活動の中で一体化し始めてきた楽曲として、この歌声が聞こえてくるなぁと思うんですよね。その辺がまず耳にした瞬間に、え、これがヒカルさんなのかなっていう風に思った瞬間を未だに覚えてるんですけど、何か強いですよね。凄い強い。
それとこれ、どうやら彼女が自分の死後の世界みたいなものも振り返って見たところから作り始められてる歌だと思うんですけど、そこでは切迫した気持ちとか、究極、言ってみれば死ねないって言うね。気持ちみたいなものがこの曲を歌わせてるんだと思うし、一節の中で『戦争の始まりを知らせる放送も アクティヴィストの足音も届かない この部屋にいたいもう少し』っていう。これ言ってみれば、彼女がもう一度自分の箱庭に閉じ籠っていくという風にも受け取れちゃう。箱庭から出てきて、もうちょっと世の中を知りたいなぁ、人間を知りたいなぁ、 と思ってここまで紆余曲折、試行錯誤してきた彼女の何十年間というものが、音楽としての道になってきてるんですけど、そこでもう一度『この部屋にいたい もう少し』って言ってるって、逆にこの部屋に戻るっていう事が、自分っていうものの絶対っていうものを歌ってる、その人間っていう一人の存在の絶対さと力、強さっていうものを歌っているような気がして、それって滅茶苦茶自由だし、滅茶苦茶強いし、そこに引き込まれていくなぁっていう風に思うんですけどね」




追伸:鹿野さんコメントパートをメインに抜粋させていただきましたが、それでもレポート用紙でおよそ14ページ半という内容でした。やはり濃いぃ…。

「うたことば/宇多田ヒカル」13時台前編

2019年12月12日 21時52分41秒 | Hikki
13時~

鹿野淳さん(以下、鹿野)「何か宇多田ヒカルさんの歌って僕ね、結構12月になると、若しくは世の中の人って、例えば冬休みとか会社がお休みになってから、部屋の整理とか1日かけてしたりするじゃないですか。僕ね、あの時に宇多田ヒカルさんの曲をランダムに、ボーッとかけることが何年間かあります。これからも多分あると思うんですけど、凄く年末、若しくは総括、自分の1年間を、しやすいんですよね。だから今日も、そういうものになって貰えたら嬉しいなと」

向井慧さん(以下、向井)「鹿野さんにとっての宇多田ヒカルさんというのは?」

鹿野「でもね、その話で今思ったんですけど、久美子さんとかヒカルさんとか、ちょっとだけ年齢が上なんですけど椎名林檎さんとかね、例えばaikoさんとか、何しろあの辺のあの感じの時代観、若しくは女性観がポップミュージックを変えたっていう部分は、非常に大きいんですね。これほんと時代性です。その90年代の終わりから2000年代の始まりの中で、その辺のお話まで出来たら、今日は嬉しいなと思うんですけどね」

向井「鹿野さんが実際に宇多田ヒカルさんを認識したというのは、いつ頃なんですか?」

鹿野「僕、2001年の2月に初めて取材をさせていただいていると思うんですけど、これはどういうタイミングかと言うと、セカンドアルバムの『Distance』というアルバムの取材です。で、自分は当時『ROCKIN'ON JAPAN』』のロック雑誌を作っていて、まぁ割りとゴリゴリのロック雑誌を作っていたんですけど、2000年に入ってから、ロックバンドが沢山解散とか活動休止をするようになりました。
具体的に言うと『BLANKEY JET CITY』とか『THE YELLOW MONKEY』とか『JUDY AND MARYとか』『THE STREET SLIDERS』とかね。その所謂ロックバンドが居なくなっていく訳ですよ。で、これ、僕は12ヶ月間本を作り続けなくちゃいけない人間として、表紙になるアーティストがどんどん居なくなっていっちゃって、これまずいなぁと。で、これは裏を返せば、ああ時代が変わるんだなぁという事を感じる訳ですね。で、その時代に勿論新たなロックバンド観を持った人達も出てきたんですけど、じゃあ例えば『くるり』とか、まぁそういうバンドです。『BUMP OF CHICKEN』とかも勿論そういうバンドです。でも同時に、そういう時代の穴がやっぱりあったと思うんですけど、そこにパーンと来たのが、例えば椎名林檎さんの、あのデビューのセンセーショナルなものであり、そして浜崎あゆみさんの絶対的なブームであり、aikoさんの女性が家でひとりで聞いて、もう本当にありがとうっていうラブソングの数々であり、これがポップミュージックのあの当時の構造をね、女性アーティストが一気に、しかもかなり若かったですから、当時皆さん。
だから椎名林檎さんは、まぁ、その女性アーティストのカウンターミュージックを確率した女性アーティストで凄い。女性アーティストというものを超えた凄さみたいなものを音楽として出した。aikoさんはさっき申し上げた通り。浜崎あゆみさんに至っては、例えばそのファッションとして、ひとつのブームを作っていった。その音楽というものが持てる可能性、いろんなものの中で、女性アーティストだけが作る音楽だけで時代を構成する事が出来るようになった、非常に珍しい時代が2000年代から2001年の間だったと思うんですよね。
で、そこのところでセールス、そして人気、ある意味別格としていたのが宇多田ヒカルさん。で、その時に取材をさせていただきました」

(曲紹介『First Love』)

向井「(投稿者コメントを読んで)そういうちょっと大人の人との恋愛みたいなところを、確かにこの曲に重ねる感じはあるかもしれないですね」

鹿野「でもその重ねる曲を作った方が、おいくつだったのかっていう。びっくりですよね。これ、だって16歳とか17歳とかの筈です。『最後のキスはタバコのflavorがした ニガくてせつない香り』びっくりですよ。ただ彼女の歌って、物凄くエネルギーがあるから、そのエネルギーの大きさ故に、滅茶苦茶リアリティーがあるじゃないですか。でもリアリティーがあるんですけど、どう考えても彼女はリアリティーがある歌として、これ歌ってるのかどうなのかっていうと、そうじゃないんじゃないかなっていう方が。
まぁ、16、17歳ですからね。正しい訳ですよね、何かその感じがもう未だに宇多田ヒカルさんの全てに繋がってるんじゃないのかなぁと。つまり、今であって今でない、此処であって此処でない、そして何処に居るのかもわからないんだけど、確かなものとしてそこに居るみたいな。
だいたい彼女の場合はアメリカでの生活というものが特にずっと長かった訳で、そこの中で一番最初に12歳くらいの頃にレコーディングした、その外国名名義の家族で作った作品がある訳ですけど、それを置いといて、その後、本格的に宇多田ヒカルとして出てきたのは日本な訳で、だから彼女は自分で仰ってるんですけど『私はアメリカ人でもないし、そして日本人でもないし、何かわかんないんですよね』と。だからずっと多分その感覚のままいらっしゃると思うんですよ。それこそ昔ね、女性でいるのが嫌だったと。胸も無茶苦茶押さえ付けたりとか、スカートを履くのも嫌で、友達と波長が合うのも、いつも男性だったと。これは多分男性的だったという話じゃなくて、いつも定点がない。その定まっていない彼女の感覚っていうものが、その彼女の人格と。言ってみれば音楽観というものを形成してるんじゃないかなぁとも思うし。ジャンルに押し込む方が面倒臭いんですよ、彼女の音楽は。
宇多田ヒカルという人生観と音楽観は断定出来ないと言っているようなもの。それの奥には、彼女自身のカルマみたいなものが沢山あるんじゃないかなと。この『First Love』というのも、正にそういうところから出てきた、言ってみれば彼女の処女作シーズンのひとつの作品ですから」

(『熱量うたことば』のコーナーで鹿野さんが選んだのは『ぼくはくま』)

鹿野「この曲のインパクトは凄かったですね。これ実際ヒカルさん自身も、この曲はやっぱり特別な曲だと凄く思われてるんですけど。それはこの曲を作る前にね、彼女は海外活動をされてるんですよ。海外で英語表記としてのご自分の名前で海外デビュー。そして海外でアルバムを出したんですね。それが彼女にとって改めて自分の音楽観っていうものを凄く感じる。物凄く究極で言うと『日本でも私の音楽はとても浮いていました。自分が子どもの頃から自分の生活慣習も植え付けられたアメリカに向けて音楽を作ってみて、そこで音楽を鳴らして貰った。やっぱりアメリカでも浮いていました。私は何処でも浮くんだなぁ』っていう。これは良いことでもあり、悪いことでもありますよね。浮くっていう事はどういう事かっていうと、ポジティブに言えば独立している。オリジナルだということで。で、そうじゃなくてネガティブに言えば、困ってしまう。途方に暮れてしまう。その、オリジナルでもあり途方に暮れている日々の自分の営みというものが、音楽になっていくという。これは非常に宇多田ヒカルの音楽の要素になっているんじゃないかなぁという風に思うんですけど。
そういう中で、改めて彼女自身が自分の音楽の中で、日本でもアメリカでもない、宇多田ヒカルの音楽として新しい挑戦をしようと思った時に、彼女の場合、どちらかと言うとアメリカとかね、ヨーロッパとかってリズムから音楽を作っていく事が多いんですね。だから世界のポップミュージックってリズムからレコーディングが始まっていって、最後に歌を乗せるっていうのが日本の音楽でさえ定石なんですけど、これはそもそも、楽曲というのがリズムから生まれてくるところから端を発している部分が多いんですよ。で、彼女の中でもそういう素養がそこまで強くあった筈なんですけど、でも歌っていうものとちゃんと向かい合ってみて作ってみようと思ったのがこの曲で、それを作ってみました。そうしたら正に『みんなのうた』になったと。具体的に言うと、宇多田ヒカルという、言ってみれば日本記録を持っているアーティストとして彼女の音楽というのは見られがちなんですけど、だけどこの『ぼくはくま』っていう曲に関しては、宇多田ヒカルっていう人が何だかを、若しくは存在も知らない小さい子でも、そして存在も知らない物凄いおじいちゃんもおばあちゃん…という方までがみんな、あぁこの曲楽しいなぁ、いい曲だなぁっていう風に思う曲を作れたっていう事で、彼女の中でもひとつ鍵穴に穴をさした部分が大きかったみたいで。
(子ども向けの歌ということで)まず歌詞の情報量が凄く少ない。そして裏側にある意味みたいなものも一瞬聞くと、少ない。でも、物凄くこの歌詞には裏側に意味があるんじゃないかなと思うんですよね。
この『くま』は枕な訳です。彼女がずっと慣れ親しんでいた枕だという風にも言われておりますが、作者にとってこれは『くま』というよりは、自分の枕なんですよね。彼女にとって枕は、非常に貴重な、数極めて少ない友達。そして自分が本音を言える相手だった訳です。それはもっと言うと、つまりは枕にしか本音を言えない彼女の幼少期があるように、この曲を聴いてると思える。
そしてこの『ライバルはエビフライだよ』。僕はここから実際彼女が何処まで考えてたかはわかんないんですけど、ダブルミーニングをどうしても感じてしまうんですけど、エビフライっていうのは例えば、ご飯としてエビフライ、カレー、ナポリタン、これ一番の大衆的なものですよね。その大衆的な凝り固まった観念みたいなものが音楽家としてライバルだっていう。だから私はそれを崩してくんだっていう意味合いを、ひとつ感じるんです。
若しくはそうではなくて、何でもとりあえずエビフライを食べておけばいいや、若しくはそういう固まったものの都合の中で過ごしてしまった時間に対して、いやもっと他のものが自分は良かったのにっていう意味でのライバルっていうね。それは裏側に凄く寂しさを感じますよね、みたいなものなのかなっていう風にも感じるし。
最後の方で『冬はねむいよ 夜はおやすみ 朝はおはよう』それを言うのが、この『くま』だったんだっていうね。それが彼女の自分の生業だったとしたら、その話は自分に当て嵌めると、とても寂しいじゃないですか。っていう部分があるのかと思って」



鹿野「前にインタビューをした時に、こういうお話をしていただいた事があるんですけど。『自分の生きてる感覚っていうのは、眠ってるようなもんなんですかねぇ』と。常に。夢でもいいっていうか、それくらい不安とか怖いっていう意識が無いんだと。『夢の中だったら何があってもいいじゃないですか。だから怖くないじゃないですか。だから私にとって、この生きてるっめこと自体が何か夢の中のような、ほんわかしているような感じがあって、何とも言えないんですよね』というお話をしていただいたんですけど、この感覚って、白でも黒でもないお話だから、こうやって言葉にしていって理屈付けしていくと全く理屈にならないし、解決が出来ない話になるんですけど、でも僕らって、大抵の人は真っ白な瞬間とか真っ黒な瞬間なんてほぼ無くて、その間の中で行ったり来たりをしてる訳じゃないですか。
で、その間の中で行ったり来たりしている部分って、なかなか音楽若しくは歌詞っていうものでは言い切ってくれないものなんですけど、それを言い切らなくちゃいけないもんだと思ってるから、言い切る事によって、その真ん中にある事って伝えられないものになっていくんですよね。
でもそれって90年代以降そうだとね、思っているんですけど、でもそういう中で彼女のこの生き方、そして彼女のメッセージ、そしてこれだけ極めて情報量がない、そこを言い当てているっていう風にキャッチする方って沢山いると思うし、僕はその部分で子ども向けに紹介された曲なんですけど、これは子ども向けでもないし、みんな向けでもなくて、言ってみれば本当に宇宙の曲だなぁっていう風に思うんですけどね」

(曲紹介『ぼくはくま』)

鹿野「彼女の曲の中で、未だに一番言葉が入ってくる歌なんじゃないのかなと。それはさっき申し上げたように、サウンドアレンジとしても言葉の為の音しか、最小限の物しか入れてないし、それだけ歌いたかった歌としてきこえてくるっていう部分も伝わってくるんじゃないのかな」



鹿野「インタビューでお話されていたんですけど、この曲が出てからお父さんからメールが来て『これ、やっぱり親への怒りの歌なのかなぁ』というメールが来たんですけど、本人の中では、もっとふっと出ちゃったものだから、別にこの曲で何かを訴えたい訳でも、何かを申し上げたい訳でも全然無いんだっていうね。話のオチがあるところもヒカルさんらしいなと思ったんですけどこれ、自分の子どもから歌われたら、自分の事に置き換えたら完全にアウトだと思うんですよ。実際はね、そういう気持ちを込めて作った訳では全然無いという。だから彼女はね、インタビューで『中途半端に受け入れられないんだったら、求めない。願いが叶わないって事を学んだら、もう願わない』っていう事を言ってるんですね。これ凄いですよね。
ポップミュージックって結局中途半端に受け入れられているところから、もっとっていう事を作っていく事で成立してる部分が多いし、願いが叶わないかもしれないんだけど、でも叶えたい。東京ドームまだまだ先なんだけど、東京ドームでライブやりたいみたいなね。そういうものを押し進めていくのがポップミュージックとかロックミュージックとかのストーリーだったりする訳じゃないですか。もうそれ、全然いらないですからっていう。この時点で音楽に対する立ち向かい方が圧倒的にオリジナルなんですよね。
これもう、23、4歳くらいになられていたんじゃないかなと思うんですけどね」

(曲紹介『蹴っ飛ばせ!』)

鹿野「この曲威勢がいいじゃないですか。やっぱりまずシングルのカップリング特有の曲だなぁと思うと共に、30代のヒカルさんが歌わない曲だなぁっていうか、10代っていうものが聞こえてくる曲だなぁとも思うし、そういう意味では初期の宇多田ヒカルというものを凄く生々しく感じる歌だなぁと思いますよね。
(中略)カップリングってみんなね、楽しんで作ってるんですが、ミュージシャン、多くの人は。それは表題曲ほどちゃんと役割が無いし、だから自分の今、何か本音を出したりとか、そういう貴重なアーティストにとってのリハビリっていうか何て言うか、凄く自分が新陳代謝出来る大事なものなんです。だからそういうカップリングっていう概念もこれから先無くなっていくと、こうやって蹴っ飛ばせなくなっていく感じが何か出てきたら、それはそれでひとつちょっと寂しくなっていくよなぁと、この曲を聴きながら。何か、蹴っ飛ばしてますよね、凄くね。
彼女の場合、この曲とかもやっぱりそのちょっと元気を出そうよっていうね。そういうムードがあって、それは自分もそうだし、周りもそうだし、っていう事を感知した時に、こういう歌を敢えて蹴っ飛ばせっていう言葉をね、敢えて元気のいい跳ねたリズムで歌ったりとかすると思うんですけど、何かそういう世の中がどうのこうのっていう、誰かに対してっていうよりは世の中のムードっていうものに対しては、凄く自覚的な歌を非常に作ってるなぁという風に思うんですけど、それって例えば僕大好きな曲でね『travelling』ってあるんですけど、あれからの感じで、あれって2001年の後半に出てる歌なんですけど、この曲2001年って9月の11日に世界が大変な、世界中がぶっ壊されたような気持ちになる事が911ですね。テロ事件があった訳じゃないですか。あの後で何ヵ月か経って、これが出てる訳ですよ。
ニューヨークっていうのは彼女にとってもとても大切な場所だったんじゃないのかなっていう事も想像するんですけど、僕はこの曲のいろんな部分から、タクシーとかアスファルトとか、それこそtravellingとか、そういう部分から凄くニューヨークっていうものを感じるんですよね。つまりは彼女の中で、911以降はこのダンスビートでみんなでほんの少しでもいいから、心と体を動かせる事が音楽によって出来るんだったら、そういう音楽を作りたいっていう気持ちがとてもそこには込められていると思うんですけど、つまりはそれを歌で直接言う訳じゃなくて、リズム、そして断片、そして自分の心情っていうものを全部合わせて作っていくっていうは、ある意味音楽としての究極のメッセージソングなんじゃないのかと思ったんですけど。そういうリズムと歌心と、自分の心情っていうもののバランス感覚が、彼女の音楽家としてとても優れているなぁと。『蹴っ飛ばせ!』もそういう曲ですよね」


「うたことば」

2019年11月28日 07時27分51秒 | Hikki

24日に番組内で、私がツイートしたコメントを採用していただきました。びっくりしましたが、とても嬉しかったです🤗ありがとうございました!
今週末はリアタイで聞くのは無理なので、投稿だけしてみました。だけど、もしも採用されたらだいぶ恥ずかしい…。
以下、色々とお察しを 笑




https://www.nhk.or.jp/utakotoba/utada.html

「MUSICA」創刊号を振り返ってみる。

2019年11月27日 12時16分29秒 | Hikki
鹿野淳さんと言えば、私の中ではまず「MUSICA」創刊号が出てくる。これだけ宇多田ヒカルの内面に踏み込んだインタビューは久し振り、というか初めての試みだとして当時発表されていた楽曲のことや紀里谷さんとの離婚の真相等々、そこまで語ってくれるのかという内容。

それに思えばこの時期くらいからHikkiは、私達にもその感覚が伝わる言い方をしてくれるようになった気がする。この頃くらいから彼女は自分の置かれてきた特殊な(では普通とは何なのかという月並みな言葉も付けたくなるところだけど)環境のことも赤裸々に語り始めてくれたんじゃないかな。

彼女のその「いつも眠っているような感覚」、「あんまり生きてる感じがしない」、「求めてない感じ」というのは掴み所がない筈なのに、私にも、自分の中にもある感覚だと思えるところは昔から不思議で。
球体の真ん中にポワンと浮かんでいる、そこにただある感じ。
何かに特別に近い訳ではないけれど、でもそこにいる。居なくならない。

今の彼女にはもっと深い慈しみのような、包み込んでくれるような感じがそこに加わっているのだけれど、もうひとつ一番重要な感覚を語ってくれているのでそこだけ抜粋しておく。

鹿野『生まれ変わったら何になりたいと思いますか?』
宇多田『…10歳くらいの時に凄い不思議な感覚に襲われて。今違うどこかにいる女の子も自分のことを「私」と考えてて、今ここで私も「私」って考えてる。ってことは、誰になっても同じじゃん!って感じが凄いして。「え?じゃあ私って誰?」って…それを何ヵ月か考えてた時期があるんですよ。私が私なんだか、その子が私なんだかーその子って完全に想像なんですけどー全然わからなくて。軽く自分の存在を見失うくらい、悩んだことがあったんです。だから、生まれ変わっても自分を自分だと思うのならば、今とまったく同じだと思うんです。だから特に変わりたいとか、生まれ変わったら何になるとか考えないですね』

人生の中で1度でもこんな風に思ったことがある人は(勿論私も)、みんな彼女と繋がっているということだと思う。

こんな発言を導き出してくれた鹿野淳さんによる解説が今週末のラジオ「うたことば」で待ってるのかと思うと、放送がとても楽しみです。

…濃い…。

WILD LIFE@横浜アリーナ '10.12.9.

2011年01月29日 22時11分37秒 | Hikki
昨夜起こったことがまるで嘘のように、いたって普通に迎えた朝。子ども達を学校へ送り出し、朝の家事を済ませて仕事へ向かう。けれど、いつもと同じなのはここまでで、午後からは夫と共にライブに参戦です☆

◆9日(木)

14時。今日は夫の運転で、いざ横浜へ!横浜アリーナだったらすぐに分かるだろうとカーナビの設定もせずに高速道路を走っていたら、目的地を華麗にスルー☆夫はいつもはこんな鮮やかに道を間違える人ではないのですが、約4年振りにHikkiに会えるということで、気持ちばかりが焦ってしまった模様☆結局予定より30分程遅れて、会場に到着した時には17時近くになっていました。ロビー付近には既にファンサイト仲間達が集まっていました。今日は更にコスプレをする人も増え、travelingPVのHikkiコスや、くまの着ぐるみ姿の人、おにぎりを被っちゃう人などが加わり、昨日を上回る熱気に包まれていました。
開演間近になり、そろそろ中に入ろうかとした時のこと。私達の目の前に1台のタクシーが止まったので何とはなしに見ていると、中から何とミラクルひかるさんが出て来ました!彼女は今日は1人のHikkiファンとしてここに来たということで、付近にいた私達に気さくに話しかけてきてくれました。ミラクルさんとお話したのは2年振りくらいでしたが、その美女っぷりと甘い香水の香りにはクラクラさせられました~。ちなみにその日のことは、彼女のブログにもアップされています。

◇ミラクルひかるオフィシャルブログ 『ぴゅるぴゅるぴゅ~ん』
参照: http://ameblo.jp/miraclehikaru/day-20101212.html

今回の座席も夫を含めたファンサイト仲間と4人で横並びでした。アリーナ席だったのでステージからは遠いだろうと思っていたら実質8列目で、1段高くなっている分視界を遮るものが無く、ステージ全体を見渡せる位置でした。花道は左手側にあり、昨日とは反対側からステージを見ることになります。更に数列後方にもファンサイト仲間がいて、何とも心強く思いました。

開演時間になり、会場が暗転すると、みんなの意識がステージ上へと集中します。そしてスクリーンに映し出される、スーパークマン号。今日初めてそれを目にしたらしい観客の反応が昨日の自分といちいち同じだったのがまた楽しかった☆ここから先のセットリストは昨日と同じなのですが、やはりライブは生きたもの。昨日はちょっとだけ感じられた硬さも今日は感じられなかったし、バンドメンバーの紹介などのMCも今日はスムーズで、「ぼんじゅ~る!!」コールも1発で決めてしまいました。この部分は公式HPでお年玉着ボイスとして無料でダウンロードが可能ですね♪完成度としては昨日とは比べ物にならないかもしれないけれど、そんなところに妙に寂しさを感じてしまったのも事実でした。

曲と曲の合間にステージの中のHikkiに向けて、声を限りに叫んでみる。「Hikki~~!!」「ありがとう~~!!」もちろんHikkiが反応してくれたら嬉しい。だけど、聞こえているならそれでいい。聞こえてなくても、声に出すことがいい。Hikkiに向かって、名前を呼べるなんて、今しか出来ないことなんだから、、、。

本編が終わり一旦暗転するステージ。「アンコール!」と手拍子をしながら叫ぶ声があちこちで起きる。バラバラだったそれは時々全体でリズムがあってみたり、会場がひとつになったかと思えばまたばらけてきたりしました。アンコール!の代わりに「ぼんじゅーる!」と手拍子をしていた私達に気付いた周囲の人に、ぼんじゅーる!コールが広がったりして、そんな些細なことでさえも忘れられない思い出です。
そしてとうとうラスト。ステージをゆっくり歩いて、場内を隅々まで見渡すHikki。大きく手を振り、お辞儀をする。手にしていたマイクをその場に置くと、そのまま花道へと歩き出しました。いつの間に置かれていたのか、花道の途中にあったくまのぬいぐるみを拾い上げたHikki。ふと、ヒカルの5の初日でも、ステージに上げられた花束を何の躊躇もなく拾い上げていたHikkiを思い出しました。一瞬だけ心配になりましたが、野暮なことは言いますまい。最後に会場を振り返ったHikkiは、しばらくの間場内を見つめると深く頭を下げ、笑顔で去って行ったのでした。

エンディングとして『嵐の女神』が流れたのは嬉しいサプライズでした。これは昨日は無かった演出。これが歌われず、披露されることもなかったことが昨日唯一残念なことだったのですが、本当のラストで聴けて、しばらく動けなくなってしまいました。



昨日は1階の入り口からの入場だったので見れなかったのですが、2階からの入場だった今日は、関係者やファンなどから贈られた沢山の花輪を見ることが出来ました。スペースいっぱいにずらりと並べられた色とりどりの花輪たち。その中で1つ、お客さんたちに囲まれて写真撮影されまくっている花輪がありました。それはHikkiの私設ファンサイト”NHW”と”共和国”名義で贈られた、くまの形の花輪です。これについてはHikkiからも感謝のツイートがされました。



◇宇多田ヒカル (utadahikaru) on Twitterよりコピペ

今回、色々な方から沢山素敵なお花を頂きましたが、インパクトとクオリティーの両面において、こちらのお花がひと際輝いておりました →  http://twitpic.com/3efrwc 6:23 PM Dec 12th, 2010 webから



会場を出ると、感極まって盛り上がっているみんなで大集合して記念撮影をしました。Hikki、ありがとう。みんな、ありがとう。もう、ありがとうという言葉しか出てこない。こんなに柔らかで強いHikkiは見たことがなかったよ。Hikkiの気持ちを受け取りたくて、そしてHikkiに気持ちを受け取ってもらいたくて、それぞれがそれぞれのカタチで気持ちを表すことが出来たWILD LIFE。頭で考えるばかりじゃなくて言葉に出すこと。言葉にするばかりじゃなくて行動すること。シンプルだけどとても勇気のいる行為こそが生きているを活かすことなんだと思いました。

WILD LIFE@横浜アリーナ '10.12.8.

2011年01月23日 23時05分49秒 | Hikki
先行抽選にも一般抽選にもペプシネックスの抽選にもシンコレ2の抽選にも外れてしまった私でしたが、twitterでの私の嘆きを見たHikkiファン仲間からお誘いいただき、幸運にも8日と9日の両日にライブ参戦することが出来ました。まずは、8日のレポートから書いてみようと思います☆



◆8日(水)

先の週末にファンサイト仲間が横浜アリーナを訪れ、会場付近の詳細な情報をブログなどにアップしてくれたおかげで、当日は方向音痴な私でも全く迷うことなく会場に辿り着くことが出来ました。会場前に続く階段を降りて時間を確認すると15時をちょっと過ぎたところ。ロビー前に出来ていた列を横目に知った顔が無いか歩いていくと、早速ファンサイト仲間と遭遇しました。聞けばこの列はグッズを購入する為に並んでいるとのことで、前方には既に数人のファンサイト仲間が並んでいました。待ち合わせしている人がいたのですが、まだ時間があったので、私もその列に加わることに。待っている間にも次々と仲間を見つけ、列が隣同士になる度に話したりして、気が付けば順番が回ってきていました。テーブルいっぱいに並べられたグッズはどれもシンプルな作りでありながらしっかりしていて、老若男女を問わず誰が持っていてもおかしくないデザイン。ひとつひとつのグッズにデザインを監修したHikkiの愛が感じられて、思わず「全部下さい!」と言いそうになりました☆



ところでところてん。待ち合わせをしていた人というのはtwitterでHikkiへのメッセージを募集していたファン仲間で、私は持参したメッセージを渡しました。そして同じくファンサイトを中心に呼びかけていた寄せ書きにもメッセージを書かせていただきました。それぞれに手作りされたメッセージの台紙は渾身の出来栄えで、Hikkiへの愛無くしては作ることの出来ないものでした。情熱にお値段付けられない♪とは、まさにこのこと。メッセージ企画はmixiでも呼びかけがあり、こちらはテレビ取材もされていたようです。



17時頃になると、続々とファンサイト仲間が集まってきました。ペプシネックスCMのドレスHikkiコス、同CMのカマトトHikkiコス、ペプシマン、ムビオンHikkiコス、エヴァキャラコスに気志團コスに海賊コス、、、そして私はちゃっかりアンミラメイドコスしてましたが、、、GBHPVをパロってパペットを持っている人など実に色とりどりの生物の舞♪状態でございました。



開場時間になり、立見席やペプシ招待枠だった仲間は早々に会場入りしていきました。私は開演ギリギリまで普段会えない仲間達との交流を楽しみました。流石にもう席に着かなきゃということで会場に入り、席を探すと、まだまだ先、、、まだまだ先、、、まだま、、、え?何と2列目でした!ちょうど目線の先にはステージの四方に立つ鉄柱があり、少々邪魔ではあったものの距離は近い。何より注目すべきは、そのステージの位置でした。会場のど真ん中にステージがあり、Hikkiはそこから会場内をぐるりと見渡せるという訳です。ファンサイト仲間4人での並びで、みんなで得体の知れない緊張感でテンションがおかしくなっていると、不意に会場が暗転。いよいよ開演です!



ステージ上にあるスクリーンに映し出される、宇宙船スーパークマン号。パイロットは、ギガントくまちゃん。くまちゃんは初めて目にする地球の美しさに瞳を輝かせるも、隕石がスーパークマン号を直撃!絶体絶命の中、何とか体勢を立て直そうと奮闘するくまちゃん!だけどそこはくまのご加護に救われて、無事地球に不時着すると、くまちゃんはおもむろに顔を外します。何と中には人がいたのです。その人の顔は、、、、!

このスクリーンでの演出の愛らしさに、会場内は笑い声と拍手で包まれていました。今回シンコレ2の新曲の中の歌詞にも何度か出てきた「帰る」という言葉が、もしかしたらテーマだったのかな?果てしない宇宙の中、固い殻に閉じこもり身を守りながら漂っていた私が、帰るべき場所を見つけ、どんどん殻を脱ぎ去り素の自分に戻っていく。「私に帰ろう」ということだったのかしら?



セットリストは割愛させていただきますが、本編20曲、アンコール3曲を歌い上げ、Hikkiはステージを後にしました。中でも嬉しかったのは「ぼくはくま」をHikkiと一緒に合唱出来たこと!やっぱりこの歌を歌う時のHikkiは瞳の輝きが倍違う。「あ~、疲れちゃったなぁ」とピアノにへたるところもとっても可愛らしくて、改めて彼女には大人っぽいクールな美しさと、子どもっぽい無防備な可愛らしさの両方を兼ね備えた魅力を感じました。「traveling」では「横浜アリーナ~♪」と歌詞を差し替えて歌い、会場はどよめきながら大いに沸きました。「光」では白いハートがいくつもいくつも宙を舞い降りて来て、何人もの人が受け取っていました。これにはどこか、GBHPVで最後にHikkiに纏わり付いていた光景が微笑ましかった平和の象徴である白い鳩(=白いハート)を連想させられました。'06のウタユナでは聴くことの出来なかった「BLUE」がまさかここで聴けるなんて思わなかったし、Hikkiのピアノやギターによる弾き語りもとても素晴らしかった。Hikkiが楽器を演奏しながら歌を披露するのは'10の北米・ロンドンツアーからではないかと思いますが、そのシアトルでのライブに参戦してきて思うことは、ウタユナ以前のHikkiとはまるで違う雰囲気を持ったなということでした。緊張とか不安とか、怒りに似たような棘とげしたものがまるで無く、ライブ慣れしていないアーティストと言われてきたのはこの人のことなのかと思う程でした。その時の雰囲気が、ライブが楽しい!みんなの前で歌いたい!という雰囲気が、そのままに横浜アリーナでも表れていました。今の素のHikkiの気持ちがあのライブなのだということでしょう。



ステージの上からHikkiは、会場のひとりひとりを見渡していました。確かめるように、噛み締めるように頷き、笑顔を見せるHikki。大きくお辞儀をして、精一杯手を振って。そして最後にステージから降りて花道を歩き始める姿を見て驚きました。映画「ローマの休日」では報道陣が作った花道の前を、アーニャはアンになる為に歩いていきますが、この日Hikkiは、ヒカルから光になる為に、観客が見守る花道の中を歩いていったのでした。



終演を告げるアナウンスが流れると、シンデレラな私は最終バスに間に合わせる為に、余韻に浸る間もなく会場を後にしました。早歩きのままこの日同席した仲間達に別れを告げ、新横浜駅へ向かいました。新幹線の切符を前もって買っておいて良かった☆駅構内での混乱に巻き込まれることなく新幹線に乗り込んで間もなく、東京駅へと向かい発車しました。心だけが、置いていかれる感覚でした。

Meet Utada@TOKYO FM 渋谷スペイン坂STUDIO

2009年04月20日 19時20分55秒 | Hikki
18日土曜日はUtadaがTOKYO FMの「COSMO POPS BEST 10」という番組に生出演するという事で、運良く入手出来た番組観覧整理券を手に渋谷スペイン坂スタジオまで行ってきました!

当日は数名のヒカチュウ仲間と一緒にランチをしながら、集合時間までゆっくり過ごしました。ここで披露されたのが写真の、ぴか特製”スーパークマンPOP”です!毎度のことながら、そのクオリティの高さには驚かされます☆せっかくなので、このPOPの空いてるスペースに何か皆でメッセージを書いてUtadaに送ろうという事になり、それぞれ思い思いにメッセージを書き込みました。

集合時間の2時少し前になりスペ坂スタジオに着くと、既に観覧を待つ人の列がありました。みんな整理番号がバラバラだったので、ここで一旦解散して列に並ぶ事に。後で聞くところによると、最後尾付近の整理番号が160番台だったそうですが、欠席者などで実質参加したのは121名だったのだとか。ちなみにUtada(Hikki)の放送で番組観覧が抽選制になったのは今回が初めてで、今までは当日早朝からスタジオに足を運び、先着順で発行される整理券を入手するという形でした。今回は会場での混乱を避ける為と、遠方からのファンを考慮する形になりましたが、列に並んだ後のスタッフによる警備は厳重なものとなりました。整理券のチェックが2回、身分証明を提示しての本人確認が1回、割り込み防止の為にカウンターでの人数確認が分かるだけで2回ありました。

私のすぐ後ろになった女性と色々しゃべりながら更に待っていると、2時半頃でしょうか。ブース付近から拍手が聞こえ、とうとう番組が始まったようでした。私達はスタッフによりあらかじめ20人から30人ずつで1グループに分けられ、観覧はグループごとの入場となり、一定時間で入れ替えられます。整理番号42番だった私は、第2グループに振り分けられていました。しばらくするとスタッフの声に誘導され、いよいよ私達が観覧する番です!

全面ガラス張りのスタジオをぐるっと囲むようにシートで覆い隠されたスペースの中は、三脚台に上りカメラを構えた報道陣で埋め尽くされていました☆私はグループの最後の方で入場した為最前列にはなれませんでしたが、それでもUtadaの真正面に当たる位置に僅かなスペースを見つけ、背の低さを利用して潜入していきました(笑)

ちょっと微妙な体制になりながらもUtadaの方を見上げると・・・あ~~~~何て白い!何て細い!そして、何て大きな美しいお目目なのでしょう~~!!5年前に同じ場所で見た時の彼女とは違い、ファンの目を一人一人ちゃんと確認するかのように目配りする姿がとても印象的でした。堂々としていて、とっても元気そう。親しみのこもった目でくるくる見回す姿が何とも愛くるしい。良いポジションに居た事と、かなり目に付くであろう派手なピンクのパーカーを着ていったおかげか何度もUtadaと目が合いました(はぁと)中のトークは外付けのスピーカーから聞けるのですが、ちょうどアメリカのファンと日本のファンの違いについて話しているところでした。そして番組はCMに入り、スピーカーはオフに。Utadaもリラックスモードになって、周囲のファンをくるりと見渡して笑顔を振りまいてくれました。間もなくスタッフから引き上げのアナウンスが入り、私達は後ろ髪を引かれる想いで退場していきました。心なしか皆の足取りはゆっくりで、1列になってガラスにへばりつくようにしながら歩くと、Utadaは一人一人の顔を確かめるようにしながら笑顔で手を振り送り出してくれました。
正味3分といったところでしょうか。でも5年前よりは長く居られたような気がします。

私達と入れ替わりに入場したグループはCM中という事もあり、Utadaと密に交流出来た方が多かったようです。先述のスーパークマンPOPは「可愛い~~!!」と言ってUtadaは指を差して喜んでいたようだし、その次のグループではHikkiが発行した本2冊「点-ten-」と「線-sen-」やUtadaのポスターを提示していた夫婦や、クマの着ぐるみの頭部部分のみを装着してUtadaを喜ばせていた女の子も居ました。彼等とはHikki関連で何度かイベントで一緒になったりしているのですが、Hikkiのツボも心得たものです。またエンディング部分を観覧した人によれば、今朝もスポーツ紙各誌やワイドショーでも取り上げられたように”浮気経験あります”という爆弾発言や、マイクがオフになったのを気付かずしゃべり続けてDJに制止されたり、立ち上がった際に水の入ったペットボトルを倒し慌ててしまうなどお茶目なUtadaの様子が目撃出来たようでした(笑)兎にも角にも、Utadaとしての2ndアルバム『This Is The One』の良いプロモーションになった事は間違い無いでしょう☆

観覧を終え、興奮冷めやらぬ私達は、その後何故か4人くらいで軽くマラソンをしていました・・・(爆)

会場に残って余韻に浸る人、仲間とおしゃべりを楽しむ人、そして何故か走り出してしまった人と観覧後は思い思いに過ごし(笑)、その後都合の付く人だけで集まりお茶して帰りました。やっぱりUtadaは最高です!そして、その想いを分かち合える仲間も最高です!今回前もって申し合わせた訳でもないのに、Hikkiがデビュー10周年を迎えるにあたってMikihhiが作った”くまちゃんTシャツ”を、仲間の殆どが着用して来ていた事にもちょっと感動しました☆なんか、電波通じてるなーって。そして落選していて観覧出来ないのにも関わらず会場に来ていた仲間とも、交流出来て良かった。今回は悔しかったけれど、次の機会はきっと倍楽しめると思うよ!・・・後日聞いた”Sanjiの大惨事~恋の試練~”には笑、じゃなくて怒りが込み上げてくるばかりでしたが☆

最後になりましたが当日ご一緒出来た皆さん、そしてUtada!素敵な時間をありがとうございました!そして改めて素敵な機会を下さったなかたにさん、ありがとうございました!

What the hell is going on?

2009年04月06日 13時43分35秒 | Hikki
”Letters”と”Apple And Cinnamon”の中にある一節。Hikkiによればこれは「一体何が起こってやがるんだ。てやんでぇ~!」みたいな訳になるらしいね(笑)
誰かが去って行った後、っていう設定とか共通してるんだよね。
アルバム「This Is The One」って、飲み物で言ったらまるでコーラみたいな後味です。気が付くと手にしてるみたいな。
英語って中性的な文体なのに、より女性らしさを感じるのは何でなんだろう?Hikkiがボーイッシュな格好になるとグッと来るのに似てる気もする。

「This Is The One 」第一印象

2009年03月14日 18時46分56秒 | Hikki
生憎のお天気でしたが、無事補完してきました!まずブックレットがUtaDA写真満載で嬉しい♪CDを取り外したところにあるUtaDAの”首から下写真”、これは自分が聴き終わったCDを戻そうとする度にまるでUtaDAが受け取ろうとしてくれてるみたいに見える。UtaDAの指がちょうどCDを持とうとしている時の構え方をしているし、手渡そうとする時に見える視界ってきっとこんな感じだろうね。反対に差し出そうとしているのか、それとも受け取ろうとしているのか。それは見た人によって違ってくるのかもしれないな。ちょっとした心理テストみたい☆
実はこの”顔が見えない”っていうのはポイントなのかなぁと、勝手に思ってみています。なんかアルバム全体的にかっくい過ぎてUtaDAじゃないみたいで(笑)変な言い方だけど、どこにUtaDAさんがいるのか探さないといけないような。そんなアルバムに思いました。DDを始めとして人間の、というか自分の持つ本能が赤裸々に歌われていたりするんだけど、それなのにストイックに感じられるというか。よく見知った素材で料理するからこそ味見しなくても美味しいと思えるんであって、ドギマギとした不安がない。恋愛の駆け引きを歌いながらも挑発とか挑戦とかあんまり感じなくて、ただ「私はUtaDAです、よろしくね」って名刺だけ渡してきたかのような気楽さがある気がするね。

Come Back to Me PV

2009年03月07日 17時39分10秒 | Hikki
やーっとフルで見れたので、メモ書き程度に思ったことなどを。

◆風呂場 12.16(Tue) 01:42
http://www.u3music.com/message/index.php?m=1&d=2008121601422j.xml
CBtMのPVを初めて通して見てすぐに思い出したのが、この時のHikki。衣装も何となくPVでの彼女を思わせる格好。古典的なようで、モダンなようで、普遍的な感じ。しかも女性的なやらしさが無い。PVでHikkiは、いや、UtaDAはそういう非の打ち所の無い美しさを見せてくれているように思いました。自分で「かわいくとれた(笑)」と分かるような仕上がり、っていうのかな?


◆秋 11.6(Thu) 19:59
http://www.u3music.com/message/backnumber/ja/20081106j.html
この時のメッセで「なんか秋っぽい感じにしたいなと思って。」なんて言いながら打ち合わせに遅刻したHikki。イメチェンしたのはやっぱりCBtMのPVのイメージ作りの為だったんだろうか?それとも、Hikkiのヘアスタイルに合わせてPVが作られることになったんだろうか?CBtMのPVを見て、改めてこの時のHikkiのメッセが思い出されるのでした。PVでは左手の小指に指輪も光っていますね。

Exodus '09

2009年01月22日 14時17分53秒 | Hikki
「一人旅をしてみたい」ってことで昨日、夫はエジプトへと旅立ちました☆ちょうど今、ピラミッド探索しているところみたいっす。エジプトは今が一番良い時期なようで、ツアーは一ヶ月程前に問い合わせた時には既に予約でいっぱい。今月に入ってやっとキャンセルが出ました。急に旅行行けることになってからは、仕事の調整でちょっとハードな作業が続きやした。うちは生き物相手のお仕事なので毎日何かしらやる事はあるのですが、2人じゃないと無理な作業と1人でも出来る作業と色々あるのです。夫不在でも義父母と一緒に仕事してるんだけどね~、まぁこの家業全員が社長みたいなもんなんで相方居ないとやりづらいのよさ色々と(←独り言)
そしてすっかり遅くなってしまいましたが、Hikki26才のお誕生日、おめでとうございます♪あの旅客機のニュース見てて思い出したのですが、あるサッカー選手が大活躍の末有名になり、彼が持っていたお守りがまた注目を浴び、そのお守りを販売している神社が一躍脚光を浴びることになったというのをテレビのニュースか何かでやってて。それにも何だか似てるな~って思いました。確かにその神社は由緒正しい所だろうし、お守りも有難いものなんだろうとは思う。でも、彼はお守りのご利益だけで活躍出来た訳じゃないよね?旅客機のパイロット同様、普段からの不断の努力、そして努力の軌跡の上の奇跡(※共和国でAnimeさんも書かれてますが)ということになるんじゃないのかな?だけど、良いことは良いし素晴らしいことは素晴らしい。ラッキーと思えるものには便乗してあやかりたい。よくは分からなくても、”それ”に触れていれば全ての自体が好転しそう・・・って、そういう気持ちも一方でよく分かるんですよね。
俯瞰目線で物事を考えると冷静な眼差しで、不感で居られる。でも入り過ぎて、周りが見えない私たちはどこにいるの状態の人間もまたイトオシイもの。何だかんだ言ってHikkiに関連するものに場所に触れいちいち大はしゃぎ出来る今の自分は、すんげー幸せなんだなって思います!

Come Back To Me

2009年01月08日 08時22分11秒 | Hikki
UtaDA新曲『Come Back To Me』がフルで聴けるというので、早速試聴してきました!やっぱUtaDA、SUGEEEEEEEEEEEEEEEE!!
歌の感想を一言で言うと、味見しなくても美味しいと分かる味噌汁?
”EXODUS '04”を連想させるような箇所もあり、前作ともどこか繋がりのあるアルバムに仕上がるのかなと思いました。
複雑に絡み合い、混乱している様を描くようなイントロから徐々にほつれを戻し、シンプルでクリーンな最後になっていくような感じのピアノですね。
そう言えばHikkiって昔どっかでぐちゃぐちゃに絡まったネックレスを直すのが好きとか言ってたっけかなぁ?

祝☆宇多田ヒカル 10th Anniversary

2008年12月09日 22時28分11秒 | Hikki
例えば誰かのファンになるきっかけというのは、その人が手がけた作品が自分の好みのものだったり、外見が好みだったり、活躍する姿に憧れたりと”外側”から入っていくのが今までのパターンでした。それを崩してくれたのがHikkiです。もちろん私はHikkiという存在を知った当初から彼女は何て凄い人なんだろうと思っていましたが、彼女のメッセを読むようになるまでは、まだそれ以上の感情はありませんでした。何かに悩むという訳ではなくて、時々途方も無くぐるぐると思考を巡らすことが好きだったりする自分ですが、その中でふと得た感覚というか感触というか、そういう人に面と向かって話すことはないような部分でHikkiの思考とシンクロするものを感じることがあり、それは私にとって驚きであり喜びでした。言ってみれば、自分の内なる声を聞いたような(笑)どんな時でも自分の心の奥底を静かに覗いてみると、何処かでHikkiへと繋がっていく。そんな気がしています。Hikkiから届く1フレーズが、たった1つの音が、私の道しるべになってくれています。けれどやっぱり彼女は、私から見て遠い人。だからこそ、女性同士でありながら私はずっと宇多田ヒカルに焦がれているのです。
Hikki、デビュー10周年おめでとう!!

自分らしく

2008年11月25日 22時08分56秒 | Hikki
このメッセ読んでてふと頭の中を流れたフレーズが”自分らしさというツルギを皆授かった”でした。でもそのツルギは、”剣と剣がぶつかり合う音を知る為に託された剣じゃない”んですよね。ふりかざして誇示するモノなんかじゃなく、ここにいますということの象徴みたいなもの、なのかな。自分で道を切り開いていく為のものであるのかもしれないね。
例えば人が病気や怪我をした時に病院で治療を受けたからといって、必ずしも全く元通りに治るとは限らない。もしかしたらそれをきっかけに、一生その病気や怪我と一緒に生きていかなくてはならない事もあるだろう。病気や怪我だけに留まらず、人間関係だったりだとか、仕事のトラブルだったりだとか失恋だとか何やかや、生きていれば必ず生き方さえ変えさせられてしまうような出来事があると思う。それらをリセットすることなんて、もちろん出来なくて。そういうものを排除しようと躍起になるんじゃなくて、うまく付き合っていこうという考え方が出来たら、随分豊かな人生になるような気がします。かなりの努力とユーモアが必要だろうけど。

宇多田ヒカルと堀北真希

2008年10月24日 20時46分27秒 | Hikki
Hikkiが初めて堀北真希さんの名前を口にしたのは、2006年7月3日発売の『週刊ビッグコミックスピリッツ第29号』でのことでしょうか。アルバム「ULTRA BLUE」の発売と全国ツアー「UTADA UNITED 2006」の開催決定という2つの大きなニュースを中心に取り上げられた特集ページは(表紙を含め)8ページにも及ぶものでした。Hikki自身いつも買って読んでいるというビッグコミックスピリッツでは、最近映画で話題になった『20世紀少年』も連載されていましたね。記事の中でHikkiは、まさか自分が愛読しているマンガ誌の巻頭グラビアを飾ることになるとはと驚きながらも、実は服の下にビキニを着込んできたりとお茶目っぷりを披露してくれています。そんな中Hikkiが「女の子のグラビアもすごい好きで。一番最初に堀北真希ちゃんが出てきた時も、『おっ!』って注目しましたよ」と、ほんのちょっとですが堀北さんについて触れていたのが、何故だかとても印象に残っていました。ちょっと調べてみたのですが、一番最初に堀北さんが出てきた時というのは2003年10月20日発売のビッグコミックスピリッツ第47号で合っているのかな?もしかしたらHikkiと堀北さんを繋いだきっかけは、このマンガ誌だったのかもしれませんね。