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From Hiron to many NetWalkers♪

YO めーん

2007年04月28日 00時07分02秒 | ぼくはくま
Hey, Yo!!
調子はどうだい、イカれた兄弟!
今夜もオレのハートにミートで一気にヒートアップさ!
ひゅ~ういご~!

YO めーん ほわっつぁっぷ めーん YO YO
夏はさっぱり食いたいぜ!(SO めーん)
冬はこってり食いたいぜ!(RA めーん)
YO めーん ほわっつぁっぷ めーん YO YO
適当、祈祷、神様待とう!(AH めーん)
何だい、周りのこの空気?(読 めーん)
YO めーん ほわっつぁっぷ めーん YO YO
YO めーん ほわっつぁっぷ めーん YO YO

【Kiss & Cry】試聴

2007年04月20日 13時52分01秒 | Hikki
”何て女の子な歌なんだろう”というのが新曲『Kiss & Cry』の第一印象。『Keep Tryin'』とはまた違った応援ソングとして、定着しそうな1曲。
ちなみにタイトルの”Kiss and Cry”とはフィギュアスケート用語で、俗にフィギュアスケートの大会で,演技を終えた選手とコーチが採点の発表を待つための場所の事を指し、喜びと悲しみが交錯する場所であることからいわれるのだそうだ。(Thanks to Mikihhi&Cozy@NHW)
11日付けメッセでHikkiが上手に歌を歌うコツとして、フィギュアスケートに例えてアドバイスをしてくれていたのが思い出されるね。今回特に歌の終わり方に気を配って歌入れをしたと見えるので、その辺りも聴きこんでいきたいな。

収穫の日

2007年04月19日 21時30分11秒 | Hikki
FOLポスターうただいたよーーー!!!


僕達が出会ってから、もうすぐ2ヶ月になろうとしていた。
僕は君を最初に見つけた時すぐに、君のお店のマスターに掛け合ったんだ。
そしたらもう君は既に誰かのものだと言って、マスターに軽くあしらわれたのさ。
それでも僕はずっと君の事が諦められなかった、、、!
いつもいつも君がいる店の前を通り過ぎては、今すぐ君を連れ出したい衝動に駆られていたよ。
だけどあぁ!今日から君は僕のものさ!
How wonderful world!!


いい加減にしろこの野郎(((((;`Д´)≡⊃)`Д)、;'.・


という訳で、念願のFOLポスターやっとゲットしました!!
子供達の塾の時にいつも通りがかるお店にこのポスターを見つけた時、
お店にいた年配の店主と思われる方に譲ってもらえないか早速交渉してみたのですが、
その時は店内のポスターは全て予約済みという事であえなく却下(泣)
駄菓子菓子!
その時店主が宇多田ヒカルと浜崎あゆみの区別が付いてなかった事を、
この私がみすみす見逃す筈もありません。
彼はきっと、どの店頭ポスターが予約済みでどれが予約されていないか把握していない!
それどころか応対が面倒なので適当に言っているだけと見ました!(笑)
そしてしばらく時が経ち、FOL販促ポスターも店頭から姿を消し始めました。


時、来たれり!(笑)


今日の店番は年配の店主じゃなくて、メガネっ子じゃないけどヤングでナウな兄さんだ!
そして塾の終了まであと5分ある。
上手くすれば、ポスターもらってからお迎えに行ける。
チャンスは1度。


意を決した私はわざと店からちょっと離れた所に車を停めると、
小走りで入店して息を切らせながらポスターの事を訊ねてみました(笑)
するといきなり圧倒されながらもお兄さんが即答してくれました。


店員:「あのポスターは誰も予約はしていませんよ」

「あのポスターは誰も予約はしていませんよ」(リフレイン)
「あのポスターは誰も予約はしていませんよ」(リフレイン)


私:「じゃあ、ポスターいただいてもいいですか!?」
店員:「いいですよ」

「いいですよ」(リフレイン)
「いいですよ」(リフレイン)


ほらほらほらほら~~~!!
やっぱそうだったでしょ~~!!読み当たったよ~!!
既に興奮気味の私に更に彼は、


「今、剥がしてお持ちしますね」

「今、剥がしてお
いい加減にしろこの野郎(((((;`Д´)≡⊃)`Д)、;'.・


そんなこんなで、とうとうゲット~!!
僕、何だかとっても愛と勇気が沸いてきたよっ!

【近況ダイジェスト】15、16、17と

2007年04月18日 13時55分24秒 | 日常茶番劇
生まれたばかりの子牛

◆15日(日)
日曜日の夜、地区執行委員の会長である私は市の”子供会育成連絡協議会(市子連)”の会議の為に市民会館へ。お知らせの葉書には”18:00~18:30役員選考会、18:30~19:30常任理事会、19:30~21:00役員全大会”と書いてあったから何の疑いも無く18:00に行ってみたら、私が出るのは全体会だけで良かったんだって(泣)ちょっと待ってよ~、それならそうと明記して欲しかった、、、orz
でも折角出かける準備して来ちゃったし、直前まで仕事していて何も食べてなかったので、市民会館前のレストランで食事をする事に。このレストラン『時鐘(タイムベル)』に入ったのは、私が中学生以来だよ。当時英会話部に入っていて、年一回市民会館で開かれる”スピーチ・コンテスト”という大会に出ていたのね。いつもは大会が終わるとすぐに電車に乗って学校へ戻っちゃうんだけど、何年生の時だったか、一度だけ大会の後にここへ来て打ち上げをしたの。コース料理とかも出してくれるような、ちょっといいお値段のお店なんだけど、先生がおごってくれる事になって皆思い思いにデザート頼んだんだよね。私が頼んだのはプリンだったかな?見た目もお洒落だしとっても美味しくて、ミントの葉っぱにハマッたのもその時からで、、、。と、そんな懐かしい思い出に浸りながらカルボナーラとティラミスを完食。しっかりとエネルギー充電してその後の会議に臨んだのである。
会議の内容は子供会加入の手続きの事と、今後の市子連の活動予定などなど。それによると、今後の私は週末がけっこう潰れる(涙)更に市子連内の”JL(ジュニア・リーダー)”という専門部にどうやら私は自動的に割り振られてしまったようだけど、活動内容の詳細についてはまだ知らされていないっす。It's Automatic♪

◆16日(月)
そして月曜日からハヤトの部活が始まり、家を出るのが6:30になった(早)人数が少ない学校なので、4年生以上は”陸上・駅伝・ソフトボール部”に強制参加なのだ。今週はまだ短縮日課が続くからいいけど、来週からは放課後の練習も本格的に始まるし大変だね。朝送り出す方も早起きだよ。毎朝遅くとも5:30には起きないと~。ママさん頑張れ~!と他人事のように言ったからといって他人事になる訳ではないな。はっはっは。

◆17日(火)
火曜日の朝は、連絡網から始まった。今日はこの辺り暴風警報が出ているという事で自宅待機。そういやいつかHikkiの携帯に、間違い電話でやたらテンション高い連絡網がかかってきた事があったような無かったような。いや、でも、内容間違えたら大変だからどうしても朝っぱらからフルスロットルにならざるを得ないし。結局この日、何故か保育園は通常通りで小学校は休校に。管轄が違うとはいえ、隣同士の場所にあるのに面白いもんだよね。
それから今日は、前の家からタケノコをもらったよ~!前の家とうちのちょうど境界線に竹林があって、この時期になるとタケノコが生えてくるの。毎年前の家が最初にタケノコを掘ってうちに持って来てくれるのを、我が家のタケノコ掘り解禁の合図にしてるのだよん。掘り立てのタケノコを混ぜご飯とお味噌汁にして、早速夕ご飯の時に食べました♪子供の頃はタケノコってあんまり好きじゃなかったけど、最近美味しくて美味しくて仕方ない!私もヲトナになったって事ぢゃのー。子供達にはいまいち不評のタケノコ、「食べたくな~い☆」と言ってご飯の上のタケノコのけた。(回文)

◆18日(水)
そして今朝は出荷の付き添いで夫と一緒に屠場へ。普段出荷を担当している義父が行けない時は、代理で私達が。一般的に出荷を運送業者さんに頼んでいる同業者の方が多い中、うちは生産者の私達が直に下ろしに行っているので、お肉の問屋さんは私達の接待におおわらわだす(苦笑)私達が行くと、事務所でいつも昼食に仕出しのお弁当を食べさせてくれるの。問屋さんとしては売ってくれる人がいないと困るからサービスしてくれてるんだけど、私達は買ってくれる人がいないと困るから本当はお互い様なんだけどね。「食べていきな~!」っていう言葉に甘えてま~す。

帰りにリュウんちへ寄って、リュウのお父さんとで使う農機具について色々相談を。リュウんちは乳牛を飼ってるんだけど、今ハウスの中には生まれたばかりの子牛が3頭いるんだよ。写真は、そのうちの1頭。頭を撫でてやると、気持ち良さそうに擦り寄ってきて可愛いよ!

【文藝春秋2000年1月号】対談 もうひとりの私

2007年04月12日 21時09分52秒 | Hikki
1999年11月。
当時72才のダニエル・キイス氏と16才の宇多田ヒカルが芸術、生と死など幅広いテーマで語り合った対談は、日本中に大きな反響を巻き起こした。
二人の対談は年齢差を全く感じさせず、ヒカルに対してキイス氏は「こんなに年が離れているのに、こうやって話が合い、あなたの気持ちが理解できるなんて驚きだね」と語っている。
私はずっとこの対談の存在を知りながら今まで読む機会を持てずにいたけれど、今回ようやく読む事が出来たので、気が付いた事をいくつか書き出してみたいと思う。


まず音楽の作り方についてヒカルの発言から目についたのが、
”日本では抽象的なことを曲にする書き手が多い”
”日本の他のミュージシャンは、歌詞を先に書いてから曲をつけるって言うけど”
という部分。
『MUSICA』の中でもこれに関連したヒカルの発言があったのを思い出した。
”日本語の音楽は変に楽器がたくさんあるよりも、要するに『歌』なんだなってことで。民謡とかも楽器も少なくて薄い中に歌とメロディが1本あるじゃない?それが日本の音楽、日本語の音楽の持つ特徴なんだなぁって思った。”
英語の歌は音楽で、日本語の歌は唄であるという解釈である。
俳句や短歌という文化を持つ日本では、日々の様々な出来事や想いなどが唄に託して詠まれてきた。
限られた字数の中で美しく、そして儚く綴られる唄の世界は抽象的な表現が多く、一読しただけでは書き手の意図が掴み切れない奥深さがある。

そして日本語には英語のそれとは比べ物にならない程の深い意味と音感があるから、一字一句に込められた意味が重くて強いのが特徴だ。
身近な例を挙げれば、人名などがまさにそういうものだろう。
だから日本語の音楽にはまず詞ありきという考えになったのではないかと思う。
また、ヒカルは毎日の生活から音楽のインスピレーションを得るとし、
”私はヴィジュアル・コンセプトからで、映画のシナリオを書くのに近くて言葉にした情景はすべて見ることができます”としている。
彼女の音楽を聴くといつも何かしら絵というか、風景のようなものが見えてくる気がしていたのはそういう事だったのか、と納得。

この対談から約1年後に発表された『traveling』では”春の夜の夢の如し”や”風の前の塵に同じ”といった平家物語から引用された歌詞が印象的であった。
思えばこの辺りからヒカルは日本語の面白さというものを追求してきたように思う。

それから、”疑いはいつまでも残り、だから信用することに意味がある”
”疑いは、人を特別に信用することを可能にさせる”
というヒカルの結論からは、後の『光』に通じるものを感じさせられた。

具体的な音作りについては、ヒカルは音楽機材を前にしてとにかく音を出していき、
”「この音はいいわ。この音は気に入った」という感じでサウンドを聴く。そうすると音がみつかります。”としている。
2006年5月号の『Invitation』でヒカルと対談した浦沢直樹氏もものづくりについて、
”「あ、みっけた」っていう発見者の喜びなんです。発明者ではなく、発見者。”と語っていた。
手近なもので遊びと発見を覚えていく子供の行動に、どこか似ている気がする。

クリエイターというのはどこまでいっても自己完結な人種で、自分の中から発生したものは全て自分の中に収めてしまう。
誰かに何かを分かって欲しいだとか、何かを訴えたいだとか、ましてや何かを与えたいのではない。
キイス氏は”これは人々のために書いているわけではない。書けという要求があるわけでもない。自分のためでさえもない。作品を終らせるためだった、、、。”と言っている。
また、『Invitation』では浦沢氏が”何か言いたいことやメッセージが中心にあって、それを語るために物語を作るなんてありえない。”とし、ヒカルもそれに同意していた。
そういった自我を押し通さない姿勢こそが、その作品に触れた者達の誰もをその世界の主人公にさせ、感情を分かち合い、共感へと結びつけていくのではないかと思えた。
面白いことにその現象は、沢山の”私”を生む。その文章の中に、歌詞の中に自分の姿を見る。
そして思わず問うのだろう。

「どうして私のことを、あなたは知っているの?」
「どうして私の人生を知っているんだ」


私は高校生の時、『アルジャーノンに花束を』を読んだ。
主人公のチャーリイは、手術によって知能を授かった。
ところが常人では考えられない程高いIQを得てなお、得られないものがあった。
そうして彼は結局、ずっと孤独のままだった。
チャーリイが終に得られなかったものは、得られなかったのではなくて、見つけられなかったというのが正しいのかもしれない。
とにかくそれを宇多田ヒカルという人は、この対談をした16才の時にはもう見つけていた。
それについて語るキイス氏の”この答えにたどりつくまで、私は七十二年かかった。あなたはどうして知ったのかな。”という言葉が、
私の中に響いて離れない。

【MUSICA創刊号】あなたの中に眠るヒカル

2007年04月05日 21時49分50秒 | Hikki
”すべてを語った宇多田ヒカル”というキャッチがあまりに重い響きに思え、恐る恐る手にした音楽雑誌MUSICA。これが彼女の内面を知る初めての機会になった人の目には、どのように映ったのだろう。
インタビュー記事は一見すると全体的に物憂げな雰囲気でまとめられており、淡々と語るヒカルからは覇気が感じられず、何にも破られる事のない殻に閉じこもり、生きる意欲さえも消え失せてしまっているかのようであり、何とも絶望的な思いに駆られる。
でも、忘れないで欲しいのは、宇多田ヒカルという人はいつも、ただ、ニュートラルであるだけなのだ。何かに対して必要以上に執着することがいつも良い結果をもたらしてくれる訳ではない事を人一倍思い知っているから、ある意味自分を戒めているという事ではないだろうか。
今回ヒカルは、事前に予めプライベートを含む様々な質問をされる事を想定してインタビューにのぞんだと思われるが、想像していたものよりは具体性の無い内容であったように思う。鹿野氏が結局一番聞きたいのも、一連の出来事がどう今の音楽に繋がってくるのかという点ではないかと思えた。
ところでヒカルは一つを深追いしない事で沢山のものと繋がれるのだとしたら、自我というものをすっぽりと抜いてしまう事で誰にでもなれるのではないだろうか。究極のUniteである。今あなたとヒカルは、同じ事を考えているかもしれない。

くまだから当たり前か。

2007年04月03日 20時14分51秒 | ぼくはくま
今日はね、ちっちゃいひかるちゃんの入園式だったんだ。
それでね、あんぱんまんのバックをもらってきたんだよ。
これはね、明日から仲良く遊ぼうねのプレゼントだって。
ここにね、まだプリッツの美味しい匂いが残っているよ。

くんくん、くんくん、、、。

本当はね、ぼくも一緒に保育園ってところに行きたいな。
だけどね、ぼくはくまだからやっぱり行くのは無理かな。