実はまだ読んでいませんでしたシリーズ第一弾として、「風の谷のナウシカ7巻セット」を購入。一気に読み上げました!ずっと昔にアニメ雑誌「アニメージュ」で連載していたのは知っていたけど、その時は何だか話が難しくて、よく分からないなと思ったのを覚えています。今こうして改めて読んでみて思うのは、やっぱり難しい☆特に最終巻では、宮崎さん自身が何か得体の知れないものに憑り付かれてるんじゃないかと思うくらい、タッチも荒いものになっている気がします。そして、よくぞこんなものを描こうとしたなと、本を手にし途方に暮れる自分がいます。
何度も考えてみるのは、最終巻のシュワの墓所でのシーン。汚れた世界に終止符を打ち、共に新しい世界に作り変えていこうと、先人達の魂がナウシカに呼びかけます。が、ナウシカはそれを拒否し、人類の辿る道が例え滅びの道でしかなくとも、今を生きていくことを宣言するのです。ここは正直、しばらく考えさせられました。新しい、平和な美しい世界にしていこうとすることは、決して悪ではない筈。でも大人しくシュワの墓所の主に従うには、やっぱり何かが引っかかる。それは何なのだろう?
ひとつ分かったのは、ナウシカにはあって、シュワの墓所の主には無いものがある、ということ。
”疑問”というものが、それなんじゃないかと。
シュワの墓所の主には、ただ”答え”だけがある。ところがナウシカには、”答え”の前に”疑問”がある。
”疑問”というのは、”否定”とは違うものなんですよね。なんだろうと思うから、発見がある。その発見は、かたちのない財産となって、次の人に遺していけるんだと思う。それがもし、そこにあるのが間違いようのない正しい答えだけだとしたら・・・人は考えなくなるし、感じなくなる。
そうして傷付きながらも得たものだからこそ、人は信じられるんじゃないのかな。
「疑いはいつまでも残り、だから信用することに意味がある」
そう言えば、誰かさんもこんなことを言ってたね。疑いは、人を特別に信用することを可能にさせるって。
また、”墓所”は、人が努力してもしなくても、求めても求めなくても、いずれ皆辿り着けてしまう所なのだから、墓所にあるのは全人類への”答え”だという言い方が出来るのかもしれません。ところがナウシカにとっての”答え”は、終着点ではなくて通過点なんだと思う。
生きることは変わること。
そう言い切るナウシカだからこそ、何も変わることのないシュワの美しい庭にさえ捕らわれることはなかったのでしょう。
同時読みした「シュナの旅」についても、いつか書いてみたいな・・・。
何度も考えてみるのは、最終巻のシュワの墓所でのシーン。汚れた世界に終止符を打ち、共に新しい世界に作り変えていこうと、先人達の魂がナウシカに呼びかけます。が、ナウシカはそれを拒否し、人類の辿る道が例え滅びの道でしかなくとも、今を生きていくことを宣言するのです。ここは正直、しばらく考えさせられました。新しい、平和な美しい世界にしていこうとすることは、決して悪ではない筈。でも大人しくシュワの墓所の主に従うには、やっぱり何かが引っかかる。それは何なのだろう?
ひとつ分かったのは、ナウシカにはあって、シュワの墓所の主には無いものがある、ということ。
”疑問”というものが、それなんじゃないかと。
シュワの墓所の主には、ただ”答え”だけがある。ところがナウシカには、”答え”の前に”疑問”がある。
”疑問”というのは、”否定”とは違うものなんですよね。なんだろうと思うから、発見がある。その発見は、かたちのない財産となって、次の人に遺していけるんだと思う。それがもし、そこにあるのが間違いようのない正しい答えだけだとしたら・・・人は考えなくなるし、感じなくなる。
そうして傷付きながらも得たものだからこそ、人は信じられるんじゃないのかな。
「疑いはいつまでも残り、だから信用することに意味がある」
そう言えば、誰かさんもこんなことを言ってたね。疑いは、人を特別に信用することを可能にさせるって。
また、”墓所”は、人が努力してもしなくても、求めても求めなくても、いずれ皆辿り着けてしまう所なのだから、墓所にあるのは全人類への”答え”だという言い方が出来るのかもしれません。ところがナウシカにとっての”答え”は、終着点ではなくて通過点なんだと思う。
生きることは変わること。
そう言い切るナウシカだからこそ、何も変わることのないシュワの美しい庭にさえ捕らわれることはなかったのでしょう。
同時読みした「シュナの旅」についても、いつか書いてみたいな・・・。