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From Hiron to many NetWalkers♪

Re:”詩の朗読”@UTADA UNITED 2006

2006年11月15日 21時14分28秒 | Hikki
写真には、全てのものが凝縮されています。一枚に起承転結を込め、それに賭ける。
それが生粋の写真家の仕事なのではないかと思います。
だから思い入れのある作品ほど、完成度も高くなることでしょう。
完結しているものには、何処か冷たささえ感じてしまうかもしれません。
そういうものを連続して見てしまうと内容の濃さに酔う事になったり、集中力の欠乏から来る飽きを感じてしまうのでしょうね。

私はさいたま2日目で見た紀里谷さんの映像&SEに関して、彼の意図するところを追うのに精一杯で逆に呆けてしまっていました。
それが間延び感にも繋がり、そんな自分の飲み込みの悪さにも辟易したものです。
ところがそこにHikkiの詩の朗読が入る事で、抵抗無く喉を通ってくれるようになりました。
伝える側と受け取る側の間に上手く入ってきてくれた感じです。

幾分掠れたような、あの乾いた声がいい。
いくら水を与えても決して渇きが癒える事が無い、まるで砂そのものとも言えるような声。

私が初めて詩の朗読を聴いたのは代々木の2日間ででしたが、名古屋公演からさいたま公演までの間に
録り直ししたものではないかという話もあるこの朗読は、映像&SEにもぴったりマッチしていたと思います。

リズムがある。流れもある。
完璧だったものに含みを持たせることで、私達にもその先を考える役割が与えられたというところでしょうね。

「BLUE」

2006年11月15日 11時28分39秒 | Hikki
友人から本を贈られた事がある。

文中の所々には線が引っ張ってあって、そこは彼女が私に特に伝えたいメッセージなんだという。
きっと私に贈る前に、何度も読み込んだことだろう。
私も何か書き込む人だった。
本でもCDのブックレットでも、それを見た時にストレートに心に入ってきた箇所をマークしてみたり。
後になってそのページを開く度、その当時の自分に返るような気分になる。
「BLUE」の中の下線が引かれた歌詞を見て、それを思い出した。

「BLUE」には、青々とした草が生えるなだらかな丘を、一気に駆け下りていくイメージがある。
すっきりと晴れた青空の下を。
それなのに歌詞の世界に、まだ明け切らない夜の感じがあるのが面白い。
冬の夜の張り詰めた空気は、寒いというよりも痛い。
その夜の闇に溶け込んで自問自答するHikkiの姿が、見えてくるような気がする。

「あんたに何がわかるんだい?」

友達からの相談に、的確なアドバイスをしてあげられるHikki。
自分の中から涌き出る疑問にも、的確な答えを早々と見つけてしまう。

Hikkiは、たくさんの人格を自分の中に持っているという。
人格、と言ってしまうと何だか大袈裟になるね。
いろんな考え方をして、いろんな視点で物事を見れるということね。
普通だったらまいってしまうような出来事があったとしても、
視点を切り替えてみると、見えることがある。

想像力やユーモアのある人は、自分にとって何か大きなことがあった時に
真っ向からそれに向かわないで、
自分を茶化してみたり、何かに置き換えたりして回避していく能力を
自然に身につけていると思うんだけど、
それをあんまり繰り返していると、多重人格になってしまう事があるらしい。
もっともHikkiは、自分のキャパをちゃんと知ってる人だと思ってるよ。