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金魚のひとりごと

縁日ですくってきた金魚も大きくなりました

れんらくちょう その4

2007年06月06日 | 回想
                  じゃがいものはな


10がつ27にち

「あ~っ、カマキリがこうびしているよ~」
玄関先で叫ぶ大きな声。ご近所に響きわたるような声に親はちょっぴりオロオロ。
庭先でみつけたコカマキリのオスとメスを飼育箱に入れた日の夕方のことでした。
二日後にはオスはメスに食べられてしまい羽根の一部が落ちていました。

毎日のようにのぞきこんでは図鑑と見比べたりしているようすです。
「カマキリに生まれなくてよかったなあ~」
「どうして?」
「だって、こうびが終わったらオスはメスに食べられちゃうんだよ。メスは卵をうむために栄養をとらなきゃならないんだ。」
図鑑からか、テレビからか、学校からか、どこで仕入れてきたのか、いろんなことが少しずつ知識として吸収されているようです。

そして、コカマキリをみつけてきては、飼育箱の住人?にしているようです。
現在はオスが一匹に、メスが三匹の住虫がいるようです。
「あ~っ、カマキリがけっこんしているよ~」
いったい、どこで仕入れてきた表現なのか!?
親は目をシロクロさせる日々が続きます。


れんらくちょう その3

2007年05月28日 | 回想
                      ラ・フランス


10がつ25にち

学年行事の芋煮会、日曜参観と二日続けて小学校へ行ってきました。
体育館や教室をまわってみて、小学校とはこんなに狭かったのかなあと感じてきました。
教室や机の大きさはどこも同じなのでしょうか。それとも大人になって体が大きくなるとそんなふうに感じるのでしょうか。

それにしても40人(1人お休みだったかな)の子どもたちを前にして先生のご苦労も大変ですね。
「はあ~い!は~い!」椅子からのり出して大きな声で手を挙げる子。
腕を耳につけるようにして指先までまっすぐに伸ばして手を挙げている子。
ひじを机について遠慮がちに手を挙げている子。
わかっているようなのに一回も手を挙げようとしない子。
本当ににぎやかで個性あふれる風景でした。

我が子はと見てみると腕をL字形にして後ろの方にそらすように手を挙げていました。
まるで「はずかしいから、先生、ボクにはかけないでね。」と体で表現しているようです。

家では弟を生徒にみたてたりして学校ごっこをしながら、大きな声を出して遊んでいるのに‥。これも恥かしがり屋の現在の個性なのかもしれません。
つい半年前まではあそびの世界がすべてだったのに、漢字の書き順や書き取り、くりあがりのたしざんまで勉強しているんですね。
自分の好きなあそびなら1時間以上でも遊べるでしょうが、教室での45分の授業に集中するということは大変なことだと思います。
もちろんあそびの要素や興味を持続させる先生の言葉がけで成立していることですが、子どもたちは先生のことが大好きで、とても信頼しているんだなあということがひしひしと伝わってくるような授業風景でした。
これからも吸収しなければならないことが、次から次へとでてきますが、いつまでも今日の授業のように目を輝かせて、自分なりによくかみくだいて、いっぱい消化していってほしいと思います。
これからもご指導よろしくお願いします。


れんらくちょう その2

2007年05月24日 | 回想
                    ピンクのミヤコワスレ

10がつ2にち

2学期までのさんすうのプリントを見せてもらいました。
2ヶ所ほど、たしざんとひきざんの式を逆に書いていたので「もう一度よんでごらん」といってなおしてもらいました。
ところが、そのあとで母親がもう一度見直すと他にも5~6ヶ所のまちがいがあるというのです。
ガ~ン! 父親の信用と威厳の失墜です。
よ~く見直さなかったこともあるのでしょうが、一年生でも結構難しい問題があるんですね。こんなふうに感じるのは私だけかもしれませんが‥

ながさくらべの3問目 えほんのながいほうに○をかきましょう
たてとよこにテープのようなものがあって1ヶ所に印がついています。印を基準にして考えればえほんのよこのほうが長いということがわかりますが、テープだけを見てしまうとたての方が長く見えてしまうのですよ!?私には‥

かさくらべの1問目 上の牛乳びんいっぱいの水を下のびんに入れたら、いっぱいにはならなかったということでかさをくらべるのでしょうが、
仮に上の牛乳びんに半分しか水が入っていなかったと考えると、下のびんに入れたらもう少しでいっぱいのところまできているので、上の牛乳びんのほうがかさが多いとはならないかなあ~。

よく読んで、よく見れば、一年生でもちゃんとわかるのでしょうけど、つい悔しくて屁理屈を書いてしまいました。
さあ、明日から父親の信用と威厳の回復のために苦難の日々が続きます。



れんらくちょう その1

2007年05月21日 | 回想
7がつ17にち

今日はプールに入ってきたという。帰ってからプールのバックを出して
「おかあさん、みてみて、なにかないかもしれないよ。」
本人はプール用のキャップがなくなったことに気づいたようですが、先生にも何も言えずに帰ってきたようでした。
その後で○○と弟と母親と学校に行き、机の中やまわりをさがしてみたのですが、みつからなかったそうです。
日頃から遊んだあとのあとかたづけが苦手な○○にとっては「みつかるといいなあ~」とちょっぴり不安な表情の一日でした。

家では弟を子分にして大きな声であばれまわっている○○も学校では〝かりてきたネコ〟のような姿が想像されます。
記名はしてありますので、捜索の方よろしくお願いします。

ところで教室でキャップをさがしている時に、手作りバックがはられているのを親子でみてきたそうです。○○のバックは袋状にもなっていなくて、とてもバックといえるしろものではなく、家に帰る途中で「あれじゃあ、なにもいれられないでしょう‥」「‥‥‥‥‥。」
その後もいろいろあったようですが、学校で手作りバックを作ったその日に、家に帰ってから、あまった紙で同じようにバックを作って遊んでいたところをみると、上手には作れなかったものの、○○にとっては楽しいひとときだったようです。

上手にできなくても、楽しく作れたことを認めてあげて、ちょっぴりだけでもすてきなところをみつけてあげて、ほめて励ましてやることが親にとってできることではないかなあと思います。

先ほど、☆☆☆くんのお母さんから電話があり、☆☆☆くんのバックの中に○○のキャップが入っていたそうです。
「これであしたもプールにはいれるね。」安心して床につくことができた○○でした。



一冊の本

2007年05月20日 | 回想

〝子どもの笑顔で結ぶ保護者との連携〟

これは長男が小学校一年生の時の
担任の沼澤先生がまとめたもので
教師と保護者が子どもの成長を楽しみながら
互いに伝え合うことによって教育効果を高めていく
一年間の様子を綴った本である

先生方向けの本のようだが
実在の子どもたちが登場しているので(もちろん息子も)
我が家でも購入した

学校の様子を伝える教師からの文
子どもの日記
保護者からの連絡帳の文
そして
それらを載せた学級通信で構成されている



保護者からの連絡帳といえば

「風邪気味ですので、体育は見学させてください。」とか
「微熱があり、医者に行くので早退します。」

我が家でもそんな当たり前の連絡帳だったけど
家庭から連絡帳に書かれた文を、学級通信に載せると
次第に単なる連絡事項でない
子どもの成長を喜ぶ親の言葉が寄せられるようになったという

我が家でも父がペン(鉛筆)を手にした

連絡帳の内容はまた今度‥‥


さくら さくら

2007年04月22日 | 回想
             昨日は朝から厚い黒い雲

この季節‥何かと桜の花が話題になる

   桜坂      福山雅治
   さくら      ケツメイシ
   さくら      森山直太朗
   桜        コブクロ
   サクラ色    アンジェラ・アキ
   桜咲く街物語 いきものがかり

他にもあるけど
歌の世界にも桜を扱ったものがいっぱいある

それで思い出すのは‥〝さくらさくら〟

小学2年生の音楽の時間

〝さくら さくら やよいのそらは‥〟

みんなで大きな声で歌っているとき
うちの班だけ笑いながら歌っていた
他愛もない理由だったけど笑いは止まらなかった

先生に何度か注意されたにも
同じことを繰り返していたので
とうとう廊下の中央に立たされることになった

廊下のセンターラインの端にそれぞれ離れて立たされた
廊下に立たされても反省するどころかクスクスと思い出し笑い


音楽の時間が終わっても先生は無視したまま‥
教室から出てきたクラスメートが
廊下に立たされている僕たちを笑ってのぞき込んでいた

先生は無視したまま‥

さすがに不安になった僕たちは
先生のところにあやまりに行ったことを憶えている


あの時のみんなは今頃どうしているだろうか‥


レッツゴーヤング

2007年04月14日 | 回想
NHKスペシャル「松田聖子 女性の時代の物語」を見た。

当日は夜の10時から放送だったので (もう寝てた時間かな)
正確にはビデオに撮っておいてついさっき見終わったところ。

いろいろな意見や感想があると思うが‥‥

ちょっと昔のことを思い出した‥‥

1982年2月‥‥
当時ひとり暮らしだった部屋には、
松田聖子のポスターが貼ってあった。
(松田優作の映画のポスターも貼ってあったけど‥)

コンサートに足を運んだり、レコードを買ったりの熱烈なファンではなかったけど、好きなアイドルだった。

貸しレコード屋さんからLPを借りてきて録音して、
テープが擦り切れるまで聴いて、出演するテレビやラジオ番組もよく視聴していた。


そんな時、友達から願ってもない誘いがあった。

詳しいことはわからないが、友達が〝ゴダイゴ〟というバンドの関係者の知り合い?で裏方の手伝いもしていたようだった。
当時、NHKで日曜日の午後6時から放送していた「レッツゴーヤング」に〝ゴダイゴ〟が出演するということで(松田聖子は司会も担当していた)裏方の手伝いにまぜてもらった。
その時に知ったのだが「レッツゴーヤング」は公開録画番組で録画したものを編集して後日に放送していた。

当日は月曜日で午前11時に原宿駅で待ち合わせをして、NHKホールへ。
夜の7時からの開演だったと思うが、もう人が並んでいたり、場所獲りのシートが置かれていたりした。
普通だったら踏み入れることのない通路、守衛室を通って内部へ‥ドキドキ‥

〝おはようございます〟
〝川崎麻世〟とすれ違う時に挨拶された。
もう昼過ぎなのに芸能界では決まり文句だという。
大きな鏡の前で堤大二郎、新田純一らが練習していた。

ソファに腰掛けて一服していた時、
後ろに〝柏原よしえ〟がいて髪にちょっと触れてしまった‥ドキドキ‥

ステージでは司会の太川陽介が登場してリハーサルが進められていたが、
〝松田聖子〟は他の仕事でまだ来ていないらしく、
衣装を手にした付き人らしき人が登場していた。

当日は松田聖子特集コーナーがあって、
本人がメドレー(風たちぬ、青い珊瑚礁、夏の扉、チェリー・ブロッサム、いちご畑でつかまえて、赤いスイートピー)を歌うリハーサルの時は、
ホールの一番前に座って見ることもできた。

 ‥‥あっ~夢のようなひと時‥‥

本番の時は〝ゴダイゴ〟のバンドの後方で台を移動したりしてステージにも上がったんだぞ!
〝松田聖子〟が出演するときはステージの横で関係者と最終打ち合わせをしている姿も見ていた‥

夢のようなひと時はあっという間に過ぎ去っていった。

後片付けも終わって外に出ると、何時だったかは忘れたが夜空に星が見えていた憶えがある。
(東京の空でも星は瞬くんだ‥)


あの時はみんなが〝聖子ちゃんカット〟に走っていた。
その当時‥‥
(あんまし詳しく書くと現在の生活にひびが生じると悪いので止めとこう)

まだ出逢っていないが、
金妻も聖子ちゃんカットをしてたらしい。

ずっと、ずっと昔のことを思い出させてくれた番組だった。


コレクトコール

2007年04月04日 | 回想

もう20数年も前のことだから
記憶も曖昧かもしれない

親元を離れての一人暮らし

実家への連絡といえば
携帯電話など無いし
テレホンカードも存在してないし
公衆電話をよく利用した

店先の赤電話では10円玉しか使えず
ガチャン、ガチャン、ガチャン‥(硬貨が落ちる音)
ピーッと通話時間がもう終わりだよとなってきれてしまう

寅さんが実家に連絡する時は
いつもこのパターンで小銭をいっぱい用意しても途中できれてしまう
「まあっ~いいか~!」

100円玉が使える黄色や青色の公衆電話では
少し長く話せるけれどお釣りが出てこない

それにそれほど長電話にお世話になることもない

せいぜい〝教科書代〟とか〝ゼミ費用〟とかと
称して仕送りを頼むだけだったと思う

そんな時に〝コレクトコール〟を利用した
今もあるようだが〝通話料金着信払い〟のこと

自分の名前と先方の名前、電話番号を述べてつないでもらったと思う
つながった時には何となくうれしかった

通話料金も負担できない〝バカ息子〟に
親は味噌をなめて仕送りを工面してくれたのかもしれない

時代は変わって
〝バカ息子〟は親になったけど
はたして味噌をなめて仕送りを工面できるだろうか
    (あっはっはっはっ‥)
味噌そのものを買うことができるだろうか
    (その時はその時で何とかなるものさ‥)




新生活‥

2007年04月02日 | 回想

 三畳一間の小さな下宿‥‥

ラジオから〝神田川〟が流れていた

三畳よりは広いけど
学生の頃、四畳半一間に暮らしていた

五つ違いの兄が5年間?の学生生活を終え
田舎に帰ることになったので

家財道具一切合財引き継ぐことになった

新しい一人暮らしに用意したものは
やかん1個だけだった

兄のところから四畳半に引っ越してきたものは

小さな冷蔵庫
鍋やフライパン
コップや茶碗や皿などと食器棚
炊飯器
コタツ
白黒テレビ
物置用の小さなテーブル
衣装ケース(ファンシーケースと呼んでいた)

半間の押入れには布団
カーテンも兄からのお下がりの品

部屋の隅には流し台と
自炊用のガスコンロがあり
その上のやかんだけが輝いていた

トイレは共同
お風呂は銭湯で
もちろん電話などはない

四畳半で1か月1万円ちょっとだったと思う

淋しい一人暮らしの始まりでも
何か期待に胸が弾む時でもあった


春は新生活のスタートする時季
今年もそれぞれが不安と期待の新生活を迎えている




お便り‥Ⅱ

2007年02月22日 | 回想
父が入院した当初は
子ども達とも面会はできませんでした

妻が
小3と小1の息子たちの写真と
それぞれのお便りをもってきてくれました

昨日は長男のお便りをしたので‥


 おとうさんへ

 おとうさん、げん気ですか。
  
 クリスマス・イブの日はサンドイッチとケーキなどをたべました。

 おとうさんは、なにかたべましたか。

 クリスマス・イブの日に、あさおきたらまくらのところに

 プレゼントがおいてありました。

 プレゼントは、

 ぼくがほしがっていたタルたるアドベンチャーでした。

 なぜかサンタクロースの名まえが

 「なぞのサンタクロース」になっていました。

 おとうさんが、びょういんにいっていることもしっているので

 びっくりしました。

 おてがみもありました。

 もうすぐ2000年です。

 2000ねんもげんきにしていきます。

 はやくげん気になってください。

                 次男より


妻はしっかり父の代わりも努めてくれて
家族を守ってくれました