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金魚のひとりごと

縁日ですくってきた金魚も大きくなりました

銀杏‥

2009年10月28日 | 夕焼けの詩

好天に恵まれ、愛車を走らせる



前に来た時はもっと池の水かさがあり、
鴨も元気に泳いでいたのだが
今日は水も少なく鴨は中央の方にチョットだけ集まっている



息子たちは大きくなり親と一緒に出かけたりはしない
助手席には金妻‥これからはせいぜい仲良く元気に歩いていかなくてはね‥



イチョウの樹の下でギンナンを拾い集めているおじさんがいた


“夕焼けの詩”の銀杏という話を思い出した


      臭い果肉と、堅い殻に隠れた
      緑色の宝石のようなギンナンの実‥

      イチョウの木は雌雄異株で
      実は雌木にしかならない
 
      最近は臭いが嫌われて
      公園や街路樹には、わざわざ
      雄木ばかり植えると言う


      みんなでギンナン拾いをした昔がなつかしい‥



もしも‥

2009年08月12日 | 夕焼けの詩

もしも過去に戻れたら?

そんなトラックバック練習板の記事が目についた

そんなの決まっているじゃん!  問答無用!

1999年12月17日(金) 脳幹出血で倒れた日だ

あっ、その前日がいいかな‥いろいろ心構えも必要だから‥

あれっ、もし過去に戻れるとしたら

今の記憶って無くなるのかなぁ~

もし過去に戻っても、そっくりそのままくりかえされ‥

また倒れたりしたら絶対嫌だなぁ~




『夕焼けの詩』に“夕焼けメルヘン”という話がある


人は誰でも一生に一回だけ
過去に戻って人生をやり直す事ができる決まりなんです。
だって人生が一度きりで失敗が許されないなんて、
あまりに酷じゃないですか。
で、神様がこういうリターンマッチ制度をお創りになられたのですよ。
もっともその権利を行使しない人も、中にはいますけど‥
一度目の人生に心から満足している、幸せな人達がね。
しかし、多くの人達は、この制度を利用して、人生をやり直していらっしゃいます。
だけど過去に戻った時に、それ以降の分の記憶は消えてしまうので
やり直した事自体忘れているのです。
だから、人間はみんなこういう制度があることを知らない。
でもこれは当然の配慮で一度目の人生のほうを
いいかげんに生きてもらいたくないからなんです。
さあ、どうします。あなたは人生をやり直しますか?



もしかしたら‥

あの日に死んでしまっていたのを
一生に一度だけの権利を行使して
それなりの人生をやり直しているのかもしれない

今の人生を一生命のある限り生きていくしかないのかもしれませんね




お父ちゃんの帽子

2009年02月16日 | 夕焼けの詩

三丁目の夕日 夕焼けの詩に
「お父ちゃんの帽子」という話がある

昔の男性は、よく帽子をかぶっていた

一番ポピュラーなソフト帽(中折れ帽ともいう)
夏用の麦わらでできたカンカン帽
正式な時用の山高帽
他にも鳥打ち帽とかもあった

「アンタッチャブル」のFBIもギャングも
みんなソフト帽でかっこ良かった




そういえば
亡くなった祖父も帽子を愛用していた
頑固で几帳面な人だったような記憶がある

夏物と冬物とかあり、それをしまっておく丸い箱もあった
出かけるときは
ちょっとした買い物でも帽子をかぶり
それに合うようなオーバーを羽織っていた

結構オシャレだったのかもしれない




最近はソフト帽をかぶる男性はあまり見かけなくなった
そして、
男性の権威もまた、
ソフト帽とともに消えてしまったようだ






ポート池

2009年02月15日 | 夕焼けの詩
三丁目の夕日 夕焼けの詩に
「ボート池」という話がある

昭和30年代
ボート遊びは庶民に親しまれた娯楽だった‥

そして、家の近くの池や川にも
小さな貸しボート屋があって繁盛していたものである


金魚の住んでいる近くの池にも
貸しボート屋があって
休みの日には家族連れやアベックで混んでいたものである

漕ぐ人は進行方向に背を向けて
一緒に乗る人と向かい合って座る
「よ~し、カッコいいところを見せなくては‥」(えっ、誰に?)
と意気込んでも
手にしたオールは言うことを聞いてくれない


今は貸しボート屋もなくなって
池の水も干上がっている



チョコレート

2009年02月11日 | 夕焼けの詩
三丁目の夕日 夕焼けの詩に
「チョコレート」という話がある


昔は今と違い、
愛を告白するのは男性と決まっていて
女性から、男性に愛を告白するのははしたない事とされていた

バレンタインデーは
本来聖バレンタインを偲ぶ
ヨーロッパの祭日で
欧米では花やカード、ケーキなどを贈り
特に女性から男性へという訳ではないという

この日が日本で女性が男性にチョコレートを贈って
愛を告白する日、として定着したのは
昭和30年代に始まる
日本のチョコレート業界の大キャンペーンの成果だと言われている
日本で本格的に盛んになるのは
昭和50年頃からだという

しかし、たとえ、それが
チョコレート業界の戦略だったとしても
ひかえめな日本女性を
積極的に変えた、大きなカルチャーショックだったのかもしれない



ちょうど2月14日は聖バレンタインデー


金魚が中学生だった頃‥
こんなことを書くと金妻が不機嫌になるかもしれないが‥

学校の廊下に呼び出されて
チョコレートをもらったことがある

そして友達からお返しもしなきゃならないと教えられた

その日は
“クッキーデー”とか“マシュマロデー”とか言われていた

何も知らない素直な田舎の少年は悩んだ
今のようにシャレたこぎれいな店は近くにはなかったし
何を贈ったらいいのかわからなかった

結局、家にあったクッキーの小さな詰め合わせにしたように思う




今は愛する夫と息子たちのために
スーパーから金妻がチョコレートの徳用袋を買ってきてくれる‥
‥はずだけど‥今年はどうだろうか‥‥




あっ!息子たちは内緒で
チョコレートをもらってきているかもしれないなぁ~

あぁ~青春!






おさがり

2009年02月05日 | 夕焼けの詩

三丁目の夕日 夕焼けの詩に
「お姉ちゃんのお古」という話がある


   昔は子どもの数も多く
   家も貧しかったので、
   弟や妹が、兄や姉のお古を
   着るのは当たり前だった


金魚にも兄がいて
お古にお世話になった
“おさがり”と言っていた
縫い目の跡があったりすると正直嫌だった


妹もいたが妹に男物のおさがりは
着せられないだろうし
新品の洋服だった


兄や妹は新品の洋服なのに
どうして、と世の中の不条理に気づかされたものだった



月日は流れ
我が家の息子たちが小さい頃
従兄弟(兄の息子)のおさがりにお世話になった
お古といっても新品のようなものだった


   古い服を繕いながら
   大切に使っていた、あの頃
   今にして思えば、
   兄や姉の匂いがしみついたお古には、
   温かい家族の心も通っていたような気もするのである