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金魚のひとりごと

縁日ですくってきた金魚も大きくなりました

帰省‥

2007年12月29日 | 回想
御用納めも終わった今日が
帰省ラッシュのピークだという

数十年前には帰省の経験もしたことがある

今でこそ東京駅から最寄の駅まで
3時間ぐらいしかかからないが
当時は新幹線なるものもなくて
特急や急行を利用しても、
在来線の乗り継ぎも悪く
6時間以上立ちっぱなしということもあった

夜行列車を利用したこともあったなぁ~
故郷に帰省するというのは重労働だった

もちろん、都会の玄関口は上野駅だった
上野といえばアメ横‥
この時期は正月用品を買い求める人で
アメ横も混んでいるだろうなぁ~


昨日、近くでも暮(つめ)の市なるものが開かれていた



二百メートル位の区間を通行止めにして
露店が並んでいたけど‥

昔はこの通りも賑わったのだろうけれど
シャッターが閉まったままの店舗も多く
〝市〟に集まってくる人も
近所の年寄りが多いような気がする

さぁ~今年も今日を入れてあと3日です
皆さま、お元気ですか~?


クリスマスイブ

2007年12月24日 | 回想
聞いてください、わたしの悲しいクリスマス

TB練習版の今週のお題です

誰も聞いてくれなくてもいいですけど


本当に悲しいのは8年前のクリスマス‥

1週間前に金魚(父)が突然倒れて
救急車で病院の集中治療室へ
容態もわからないし、家族は不安でいっぱいだったと思う

長男は小学校3年生
次男は小学校1年生

夏には家族で海にも行ったのに‥

クリスマスをいちばん待ち遠しく思える頃なのに
それどころじゃあないよなぁ‥


金妻(母)は毎日病院へ足を運んでくれた

小学校から帰るといつも笑顔で迎えてくれるのに‥
そんな子どもの気持ちを大切にして
忙しいはずなのに金妻はいつも迎えられるようにしていた


本人はもちろん、家族もこれからのことを思い
不安だらけだったに違いない

クリスマスの食卓に金魚の姿はないけれど
ささやかな料理とケーキを食べたという

金妻がサンタ役もしてくれて
子ども達のプレゼントも買いにいってくれた

彼方此方まわってくれて
〝ゲームボーイ〟を用意してくれたらしい


子ども達に夢と希望を与えてくれて
みんなをしっかり支えてくれた

〝どうもありがとう〟

これからは
少しずつでもみんなを支えていけるかな

それとも
これからもみんなに支えられて生きていくのかな

これからもよろしく!


明日はクリスマスイブ‥

2007年12月23日 | 回想
聞いてください、わたしの悲しいクリスマス

TB練習版の今週のお題だそうです


誰も聞いてくれなくてもいいですけど‥

あれは大学を卒業して一年目のことだったかな~

千葉県の某市でひとり暮らしをしていた時
まわりも淋しそうなところで
アパートは6畳と台所とトイレとお風呂‥
それまでは銭湯に通っていたので
お風呂がついていたのは嬉しかった

ある時は酔っ払って帰って、
お風呂を沸かしている時に寝てしまい
部屋中に湯気が立ち込め、
目が覚めた時は天井も壁もビチョビチョ‥
もちろんお風呂も煮えたぎった状態だった‥

近くにコインランドリーも無くて
洗濯機を玄関の外に置いていたけど
洗濯機をまわしたことを忘れて、
洗濯物が凍っていたこともあったっけ‥


その頃は彼女もいなくて
淋しい悲しいひとり暮らしのクリスマスイブ‥

仕事の帰りにコンビニに寄ったけど
まわりはクリスマスムード一色で
なんか参加しないといけないような雰囲気‥

誰も見ていないのに見栄を張って
シャンペンを買って、二人分のモモ肉やおかず、
弁当を買った気がする

あ~ぁ‥ひとりって淋しいよなあ~

「ちくしょ~来年は2人でクリスマスを迎えるぞ‥」と
思ったことだけは憶えている










涙‥

2007年12月15日 | 回想
ラジオから懐かしい曲が流れていた

さよならは誰に言う さよならは悲しみに
雨の降る日を待って さらば涙と言おう
頬をぬらす涙は 誰にも見せない
こらえきれぬ時には 小雨に流そう
さみしさも悲しさも いくたびか出会うだろう
だけどそんな時でも さらば涙と言おう
 
青春の勲章は くじけない心だと
知った今日であるなら さらば涙と言おう
まぶたはらす涙は こぼしちゃいけない
こらえきれぬ時には まつげにためよう
恋のため愛のため まっすぐに生きるため
泣けることもあるけど さらば涙と言おう



日曜日夜8時から放送されていた
〝おれは男だ!〟の主題歌〝さらば涙と言おう〟

1971年だから小学校の上級生ぐらいかな
当時は夢中になって見ていたように思う

夏、家族で海水浴に行って
渋滞に巻き込まれ帰りが遅くなって
放送時間に間に合わなかったことだけは憶えている

剣道着姿に憧れて
中学では剣道部に入部しようと思ったけれど
何故か‥柔道部に入ってしまった

当時、歌詞もしっかり憶えて
口ずさんでいたように思う

今もそれなりに覚えていた

〝吉川くん!〟

懐かしさに浸ったひとときでした


コバルトって‥どんな色?

2007年10月23日 | 回想
今朝〝コバルトの季節の中で〟の曲が流れていた
いまの季節にピッタシカンカン!


     髪形がかわりましたね
     秋風によく似合いますね
   何か悲しいことあったのでしょうか
     コバルトが目にしみますね
      誰だって秋は独りですね
   だから今朝はなにも話しかけません
      しあわせの手ざわりが
       いまとても懐かしく
    足早にすぎていくこの秋の中で
    あなたを見失いたくないのです




髪形がかわったのは〝恋人〟なんだろうなぁ

奥さんにそんなこと言ったら
「熱があるんじゃないの‥」と額に手をあてられるか
「何かあるんじゃないの‥」と詮索されるかもしれないなぁ



今日は秋晴れ

ポカポカと暖かい陽射しで
空が高く感じられる一日だった

そして
今晩の月は十三夜だという
くっきりとしっかりと月が浮かんでいた



岬めぐり

2007年10月19日 | 回想
あなたがいつか
話してくれた
岬を僕は訪ねてきた

二人で行くと
約束したが
今ではそれもかなわない事

岬めぐりのバスは走る
窓に広がる青い海よ

悲しみ 深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう


今朝「岬めぐり」の曲がラジオから流れてきた

中学3年の時に流行った曲だったと思う

歌詞を知りたくてて

平凡(明星だったかな‥)の歌本を手にしたことがある

当時はこれでもずいぶんと背伸びしたんだ‥





今日は高校生の長男の誕生日

花のセブンティーンだという

これから合宿や県大会、修学旅行と行事が続く‥

体が資本なんだから
いっぱい食べて
元気に楽しく過ごせるように‥‥


31年前‥

2007年09月26日 | 回想
              もうすぐ‥収穫の秋

〝福田新内閣が発足〟

今日の朝刊はこの話題一色‥

福田康夫新首相の父で福田赳夫氏が首相に就任したのは
1976年・昭和51年暮れのこと


そして、先日のラジオで
この時代(1975、76・昭和50、51年)の
青春の歌、思い出のフォーク&ポップスを流していた


深夜の放送だったが
夜は早く休むのでたまたま目が覚めて聴き入ってしまった


    時代           中島みゆき
    ルージュの伝言     荒井由実
    サボテンの花      チューリップ
    我が良き友よ      かまやつひろし
    どうぞこのまま     丸山圭子
    揺れるまなざし     小椋 佳
    青春時代        森田公一とトップギュラン
    いちご白書をもう一度  バンバン
    わかって下さい     因幡 晃 



寝床で聴いていたので記憶もあやふやだが
こんなラインナップだったように思う

懐かしいなあ~
ときおり、口ずさみながら時を過ごしていた

  〝この曲が流行った頃、何をしてたかなぁ~〟
  〝この歌を聴くとあの人を思い出すなぁ~〟

上手い下手は別にして‥カラオケだったらどれも歌えるぞ~

いろんなことを思い出させてくれました



          たしか‥クロッカスだと思う




御利益

2007年07月13日 | 回想
風鈴が涼呼ぶ「ほおずき市」

東京の浅草寺の「ほおずき市」のことが新聞に載っていた

9、10日は浅草寺の功徳日とかで
参拝すると四万六千日分の御利益があるとか…

ずっと昔、まだ若いとき、この頃に訪れたことがある
そのときも四万六千日分の御利益があるとかで
とても混んでいたけど熱心にお参りした記憶がある

そして…四万六千日分の御利益は…

一緒に行ったのは誰だったか忘れちゃったけど

病に倒れても何とか生きているのは
それなりに御利益があったのかもしれない

これからも、まだまだ御利益があるかもしれないし
まだまだ、いっぱい残っているだろうから
皆さんにも御利益がありますように…      


















…なんてね!

明日は職場の日帰り旅行です
台風も近づいているとか…
日頃の行いが悪いので御利益なんて無いかな…            

コラムから‥

2007年07月02日 | 回想
先日、夕刊にこんなコラムがあった
2007年6月28日(木) 山形新聞より抜粋

〝言葉のチカラ〟

「脳幹出血、後遺症もありますが家族を支えるべく何とか生きています。いや、家族に支えられて元気に生きています。」自己紹介欄にそう記すブログ(日記風のWebサイト)に出会ったのは今年の初め。まもなくウェブ上で言葉を交わすようになった。顔も名前も知らないし住まいも違う。けれど自分がスランプに陥った時や悩んでいる時、いつも優しい言葉でたくさんの励ましと勇気をくれる。

顔の見えない相手に、言葉だけで自分の思いを伝えることは簡単なことではない。言葉を発する側の意図がそれを受け取る側にうまく通じないことも多いし、その逆も往々にある。だが、彼が紡ぎだす言葉の一つ一つは柔らかく、細やかで、常に相手に対する気遣いを忘れない。言葉という無機質なものに命が吹き込まれ、自然に人の心を癒していく。日本語が持つ美しさや繊細さにあらためて気づかされることも多い。

総務省の発表では昨年三月末の国内のブログ登録者は約八百六十八万人、前年比ニ・六倍の増という。誰でも簡単に開設できる手軽さが受け、今なおユーザーは増え続けている。あらゆる分野において情報の裾野が広がるというメリットがある反面、倫理観の欠如が問題視されるものがあるのも事実だ。言葉が乱用されるケースも少なくない。

そんな中、彼が綴るブログは、忙しさの中で失いかけていたものを気づかせ、今を生きていること、自分がたくさんの人によって生かされていることを想起させる力がある。どんな時も家族への感謝の気持ちを忘れず、何げない日常に喜びを見いだして生きていくことが、どれだけ大切で尊いことかを彼は教えてくれる。きっと今日も彼のブログは、たくさんの人に勇気と希望を与えているに違いない。


誰も知らない‥

2007年06月29日 | 回想
昨日の夕刊(地方紙)のコラムにブログのことが載っていた

偶然ウェブ上で知り合いになったブログ友の方が
彼方此方にコラムを載せる仕事をしている

そういったことは文才というか、能力がある方じゃないとできないし
自分のような凡才にはできない、すご~いこと!

その方が夕刊のコラムに〝言葉のチカラ〟と題して
ブログ(金魚の‥)のことを書いていた       

本職は違うらしいが、小説家をめざしている方らしい
短編小説を応募したり、ブログにもショートストーリーを載せたりしている


本当はコラムの全文を公開したいのだが‥
版権とか著作権とか問題でもあるのかな‥

もちろん〝金魚〟というHNもアドレスも書いていないので
誰にも誰のことかはわからない


でも‥両親や兄弟、友人や職場の人等に
大きな声で叫び自慢したくなった‥


「あれって、オレのことですよ‥」
「実は‥ココだけの話ですけど‥」って‥


でも考えてみれば
ブログをしていることすら誰にも教えていないし
誰もわからないことだよなぁ~


ただひとり、全ての経過を知っている金妻は
夕刊を手にして

「えっ~もう掲載されたんだ‥」

「誰も知らないことだけど‥‥当たり前と思っていたけど‥
 目の前にいる人が本当は大切なすごい人なんだ‥」

と、感想を述べてくれました‥‥それだけで満足!


ちょっと買い被りなところもあって
思わず照れてしまったけれど
金魚には素敵な宝物になりました

どうもありがとうございます



それにしても‥ 


息子たちよ!新聞ぐらいちゃんと読めよ!
読めば‥父の偉大さにちょっとは気づくはずだぞ!

でも、読んでも‥父のことかはわからないかな~