古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

西谷墳墓群(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.21)

2017年04月03日 | 実地踏査・古代史旅
 Oさん待望の西谷墳墓群へ到着。私も初めてなので少しワクワクしてきた。西谷墳墓群は弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。32基の墳墓、古墳と横穴墓が確認されており、このうち、1・2・3・4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。とくに3号墓は当時の葬送儀礼を知るうえで貴重な遺構、遺物が見つかった。

 ここはまず隣接する「出雲弥生の森博物館」で情報収集することに。この博物館の開館は平成22年(2010年)、したがって清潔感あふれる綺麗な建物で、しかも料金が無料というのがありがたい。2Fには西谷墳墓群ガイダンス施設がある。トイレのために出遅れた私が2Fへ上がると二人はすでに職員の女性から展示の説明を受けていた。この日はこれで3ヶ所目のガイド付き見学となった。私が追いついたタイミングでこの女性職員が発した言葉に驚いた。入館したのが12時少し前だったのだが「私の説明は12時までになります。12時からは別の者が対応します」とのこと。ここの職員はおそらく公務員なのだろう。「12時になったら昼休みに入るので私は休憩します」と宣言されたのだ。これはいただけないな。
 とはいえ、この女性職員、知識が豊富で説明も上手い。12時を回ったけどまだ説明してるぞ。このまま最後までこの人の説明を聞いていたい、と思ったがやはり甘かった。途中で交代の女性がやってきた。あ~残念。

マークがかわいい。赤い「よすみ」の真ん中に青い勾玉。


展示室内部。真ん中に西谷3号墓の模型が置かれ、入り口を入って左側から壁に沿って展示される出土物や説明パネルを見る。


3号墓からは男王と女王の棺が出た。これは男王の棺。



こちらが女王。


北陸や吉備の土器も出土。各地から弔問に訪れたと考えられる。


展示をじっくり見た後、いよいよ王墓へ。ついにきたぞ、西谷へ!


史跡公園の全体図。


4号墓。長く延びた突出部が確認できる。



3号墓。貼り石も綺麗に復元されている。



墳丘上には男王、女王の棺が出た場所を再現。男王の棺の周囲には4本の柱が立ち、屋根を設けて葬送の儀式を行ったと考えられている。 


3号墓の墳丘上から見た2号墓。

向こうに出雲商業高校のグランドが見える。野球部が練習していた。ときどきここまで打球が飛んでくるらしく、注意を促す看板が立っていた。

2号墓の復元は少しやり過ぎで興ざめ。

墳丘内にコンクリートの空間を設けて壁に棺の位置や地層の絵が描かれていた。何を伝えたいのか理解し難いものがあった。

 今回のツアーでいくつもの遺跡とそれに付随する展示施設(資料館や博物館)を見てきたが、遺跡をどのように保存して、それをどのように見せるか(伝えるか)をもっと考えてほしいと感じた。今回の私たちのように考古学や古代史に少しは興味を持って何かを知りたい、何かを学びたい、何かを感じたいと思って訪れる人に対して何をどのように見せるか、が最も重要であって、まったく興味のない人や逆にプロフェッショナルに対しての配慮は不要であると思う。そしてポイントは「リアリティ」である。現物を見るのが一番。現物から何を感じるかだ。現物が無理なら写真や映像がいい。レプリカはナンセンスだ。朽ちたり錆びたりした実物と元の姿を復元したレプリカを並べて置くなら意味あるかもしれないが。それと人形や剥製や安っぽい模型もNG。遺跡の復元においてもコンクリートは論外。古代から現代までの時間の経過を感じることも重要なのだ。遺跡の復元はどこまで行っても想像の世界が残る。だとしたら見る側にもその余地を残しておいてほしい。学者が出した答えをいかにも正解であるかのように見せるのはやめてほしい。

 さあ、次はいよいよツアー最後の目的地である出雲大社だ。実は私は出雲大社に行ったことがなく、密かに楽しみにしていた。加えて、古代出雲歴史博物館に展示されている荒神谷の358本の銅剣、加茂岩倉の39個の銅鐸、神原神社古墳の景初三年銘の三角縁神獣鏡、これらはすべて実物であり、それを見ることは私にとってはツアー最大のクライマックスであるのだ。いざ、出雲大社へ!

 

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