古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

飛鳥を巡ってきました(後編)

2023年10月16日 | 実地踏査・古代史旅
飛鳥駅前のレンタサイクル屋さんで自転車を借りてキトラ古墳を目指します。高松塚古墳とともに石室内の壁画で有名な古墳です。ダラダラと続く長い上り坂、帰りは下りなので楽チンだぞと自分に言い聞かせて頑張ってペダルを踏みます。

キトラ古墳では先に壁画体験館「四神の館」へ入ります。先に情報収集した上で現地に立つ。実地踏査の鉄則ですね。ちなみにキトラ古墳は7世紀末~8世紀初頭に築造された小さな円墳です。




石室、正確には横口式石槨のレプリカ。正面(北面)に玄武、右(東面)に青龍、左(西面)に白虎、そして手前(南面)に朱雀が描かれ、それぞれの絵の下に十二支像が描かれます。そして天井には天文図。






壁面の劣化が激しくて壁画を十分に確認することができません。これが発見された当時の姿なのか、それとも保存が適切に行われなかった結果の姿なのか。館内の展示説明は保存や修復の苦労話が並んでいましたが、上手くいかなかったことがあったはずで、そういうことも説明されるべきだと思いました。館内の天井は天文図を模した照明が輝いてなかなか幻想的です。



館内での学習を済ませて外へ出て古墳を見学します。想像していたよりも小さい。この小さな墳丘の中にあんなものが埋まっていたのか。



次は第42代文武天皇陵に治定される檜隈安古岡上陵。ちょうど清掃が行われていて、清掃員の方が門扉を開けて墳丘に入っていくところでした。「手伝いますよ」と言ってついて入りたかった。





そして次は高松塚古墳。ここも先に展示施設の「壁画館」に入ります。高松塚古墳は1972年に色彩鮮やかな壁画が発見された古墳です。キトラ古墳と同様に石室の四面に四神が、天井には星宿図が描かれていて、築造はキトラ古墳とほぼ同じ時期の円墳です。



展示室の両側に実物大の壁画が展示されています。右側に展示されるのが「現状模写」(写真上)、左側の展示が「一部復元模写」(写真下)です。ほとんど違いがないのですが、さて、どう違うのでしょうか。





そんなことをブツブツ言いながら見学しているとタイミングよく職員の方が出てきて教えてくれました。右側は現状のままに模写したもので、左側は泥などの付着物を除去できる範囲で除去した状態を模写したもので、付着物を完全に除去できないのでそんなに違いが出ない、ということでした。

もう一つ、キトラ古墳では天文図と言ってたのに、こちらでは星宿図と言います。これもどう違うのかと思っていたのですが、説明を読んで理解しました。天文図は実際の星(星座)の配置を示していて、星宿図とは実際の配置とは関係なく星座を並べたものです。



見学を終えてすぐ近くの古墳へ。キトラよりも大きいけど直径はわずか23mです。ここも近くから見るだけです。




次は中尾山古墳。ここは発掘調査の結果、8世紀初頭の築造であること、八角形墳であること、立派な横口式石槨をもつこと、石槨中央部に火葬骨の蔵骨器があったと思われること、などから文武天皇の真陵だと考えられています。



天皇陵かも知れないにもかかわらず、発掘調査後の墳丘は残念な姿になっていました。



手前の五角形の石、何か意味ありそうですが、なんだかわかりますか。ヒントはこの古墳が八角形墳であること。この古墳は墳丘裾部(墳丘の周り)に石敷きが設けられていて、それが墳丘と同じ八角形をしていたことがわかっています。この五角形の石はその八角形の石敷きのひとつの角を表しているのです。



このあと、近道をするために自転車で階段を降りて、次の梅山古墳を目指したのですが、古墳の横を通過してまずは猿石を見ようと、吉備姫王墓に寄りました。






今はこの場所に置かれていますが、もともとは梅山古墳の南側の田んぼ(下の写真の場所かな)で見つかったと言います。また、ここには4体ありますが、もう1体が高取城跡への登山道に置かれているらしいのです。ということは田んぼから掘り出されたのが5体あったということになります。



いよいよ最後の見学です。さっき横を通ってきた梅山古墳、第29代欽明天皇陵(檜隈坂合陵)に治定される全長140mの前方後円墳です。築造時期6世紀後半で、天皇陵として築造された最後の前方後円墳になります。ただし、本当に欽明陵だとすればです。



『日本書紀』には妃の堅塩媛を合葬したと記されていることから、この古墳が欽明陵だとすれば主体部には二つの石棺があるはずです。ただ、残念ながら宮内庁管理下にあるために主体部の発掘が叶わず確認することができません。天武・持統合葬陵が野口王墓に治定された今、奈良県下最大の前方後円墳である丸山古墳がどの天皇陵にも治定されない中途半端な状態に置かれています。石棺が二つあることが確実であることから、丸山古墳が欽明陵である可能性は大きいと思います。

以上でこの日の飛鳥巡りは終了です。飛鳥駅で自転車を返却し、帰りの電車を待つまでの間、駅前の喫茶店で休憩です。秋晴れで汗ばむ1日、午前中は山登り、午後からは自転車で坂道上り、結構な疲労感の中で飲んだストロベリーの氷カフェの美味しかったこと。






(おわり)








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