古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

吉備津神社(吉備国実地踏査ツアーNo.11)

2019年06月20日 | 実地踏査・古代史旅
 吉備津彦神社の次は吉備の中山の北西麓にある吉備津神社へ。備中国一之宮で祭神は吉備津彦神社と同じ大吉備津彦命です。吉備津彦神社の記事にも書いた通り、吉備国が備前、備中、備後に分かれる前はこの吉備津神社が吉備国総鎮守であったので、こちらが大吉備津彦命を祀る本宮ということになります。ちなみに、備後国一之宮は広島県福山市新市町にある吉備津神社で、こちらも当然のことながら大吉備津彦命を祀っています。



        


 公式サイトの縁起によると「当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、文献もなく確かなことはわかりませんが、ただ言い伝えによると、一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)という人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。また一説に若建日子吉備津彦命から三代目の孫と云われる稲速別命(イナハヤワケ)・御友別命・鴨別命(カモノワケ)が始めて社殿を造りお祀りしたとも云われます。さらに一説に仁徳天皇が吉備海部直の娘である黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、吉備津彦の功績を聞き称えるために社殿を創建してお祀りしたのが起源とも伝わっております」となっています。

 この吉備津神社は2日目のメインと思っていました。国宝である「吉備津造」の本殿、総延長398mの廻廊、鳴釜神事の御釜殿など見どころ満載で、雑誌などで本殿や廻廊の写真を見るたびに一度は実物を見ておきたいと思っていた神社です。入母屋造の屋根を前後に2つ並べた「吉備津造」は建築学的には「比翼入母屋造」と言うそうです。

扁額。


本殿。


これが「吉備津造」の本殿。美しいです。

拝殿右手の南随神門から南に延びる廻廊。

いずれも南(廻廊下側)から見た写真。写真の腕がないのでうまく撮れませんが、実際に見ると屋根の曲線が何とも言えず美しい。

 この神社にも桃太郎のモチーフとなった温羅伝説が伝わっており、公式サイトで「鬼退治神話」として紹介されています。そして、この伝説がもとになって生まれた鳴釜神事。吉備津彦命に祈願したことが叶えられるかどうかを釜の鳴る音で占う神事です。多聞院日記という文献の永禄11年(1568年)5月16日の記事に「備中の吉備津宮に鳴釜あり、神楽料廿疋を納めて奏すれば釜が鳴り、志が叶うほど高く鳴るという、稀代のことで天下無比である」と記されていて、少なくとも室町時代末期には行われていたことがわかります。江戸時代に上田秋成が著した雨月物語のなかにも「吉備津の釜」として登場するそうです。その古くから続く不思議な神事が行われる御釜殿が廻廊の途中にあります。

御釜殿。




 御釜殿の周囲は神事が終わったあとなのか、米を炊くような匂いがしていました。そして、驚いたことに御釜殿の中に入らせてもらうことができました(残念ながら撮影はできませんでした)。割烹着を着たお世話係の女性が少し説明をしてくれましたが、あまりに神聖で長居できない雰囲気があり、質問の言葉が続きませんでした。希望すれば神事を受けることができたそうです。経験してみたかった。

 御釜殿の裏には弓道場があります。この日は岡山県の高校弓道大会が開催されていて、弓道の試合を初めて観ました。集まった高校生はかなりの数で、温羅伝説の影響でしょうか、岡山は弓道が盛んなのだろうと思いました。





 この神社はいつまでもここに居たいと思える場所で、後ろ髪を引かれながら駐車場に戻りました。

 駐車場の前に桃太郎というお土産屋さんがあって、きび団子と書かれた大きな看板が出ています。吉備津彦神社の茶店で写真を撮り忘れたこともあり、食べ比べをしてみたいという気持ちもあってお店に入りました。メニューを見ておばちゃんに聞いて、そしてビックリ。このお店できび団子を食べようと思うと、熱いぜんざいに入ったものしかないとのこと。今さら立ち上がってお店を出ることもできず、佐々木さんと私は熱いぜんざいを注文。岡田さんはところてんだったかな。

そのぜんざいがこれ。

これで600円は少し高いかな。残念ながらふつうでした。

 駐車場を出て次の目的地、吉備の中山にある古代吉備文化財 センターと中山茶臼山古墳に向かいます。車は神社の裏手から山道を登って行きます。
 
これは吉備津神社に向かう途中に撮った吉備の中山。

 やっぱり登っておけばよかったかな。あとの祭りだけど。


 
 
 


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