古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

群馬の古墳(保渡田古墳群)

2021年04月06日 | 遺跡・古墳
白石古墳群を見学した日の後半は高崎市にある保渡田古墳群を訪ねました。榛名山南麓の保渡田・井出の地区にあり、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の三基の大型前方後円墳が残っています。築造年代は5世紀の後半も終わりに近い頃から6世紀前半にかけてとされ、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順に3代にわたって継続して造営されたと考えられています。

駐車場に車を停めて、まず八幡塚古墳を見学しました。この古墳は綺麗に復元整備されているため、空からの映像が美しく、以前から見たいと思っていた古墳です。Googleマップを切り取ってみました。右上が八幡塚古墳で左下が二子山古墳です。八幡塚古墳は築造当時の状況に復元され、二子山古墳は発掘前の古墳の形状をできるだけ変えない手法で整備されました。


八幡塚古墳は全長102メートルの前方後円墳。後円部を囲むように周濠内に4基の中島が設けられています。






中島のひとつです。墳丘上には円筒埴輪が巡らされて小さな円墳のようにも見えます。

祭祀の場もしくは近親者や従者が葬られた倍塚ではないかと考えらえていますが、確定に至っていないようです。



後円部頂上から前方部の眺め。葺石や埴輪など全てが築造当時の状況に復元されていますが、私はこのような完全な復元は興ざめであまり好きではありません。


石室も復元され、石棺が置かれています。


内堤上に54体の人物・動物埴輪等が配置された「形象埴輪配列区」があります。



古墳が美しく見える角度です。


次はすぐ近くの二小山古墳に向かう途中にある桜の木が見事でした。


夕暮れの二子山古墳。二子山古墳は全長108メートルの前方後円墳。この古墳も周濠内に4基の中島が配置されています。




後円部頂上には石棺の写真が置かれています。





後円部頂上からみた前方部。


中島。






先に見た白石古墳群は5世紀前半には稲荷山古墳が造営され、6世紀前半の七輿山古墳で最盛期を迎え、7世紀前半には皇子塚古墳が存在したので、少なくとも200年ほどは継続していたと考えられますが、この保渡田古墳群は最後の薬師塚古墳が6世紀前半なので、白石古墳群の勢力に吸収されたのか、それとも白石から分派(分家)した勢力だったのか、興味深いところです。保渡田古墳群は白石古墳群から北に15キロのところ、烏川を挟むように位置しています。徒歩で3時間程度の距離ですが、川を挟んでいることから別の勢力が一時的に栄えたと考えることもできるし、東国最大級を誇る七輿山古墳とほぼ同じ時期ということから、勢力拡大を目論んで川の向こうに派遣された白石の一派と考えることもできるのではないでしょうか。

この日はこれから四万温泉に向かうため、日が暮れてきたこともあり、もうひとつの薬師塚古墳はパスしました。是非とも訪ねてみたいと思っていた八幡塚古墳に来れただけで満足です。






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