■苦行!三輪山登拝
今回はまず纒向ツアーのメインイベントであった三輪山の登拝を紹介したいと思います。
三輪山は奈良盆地の南東部、奈良県桜井市にある標高467mの山で、三諸山(みもろやま)とも呼ばれ、御諸山とも記されます。古代より自然崇拝の対象とされ、山そのものがご神体であるため、神職以外は入山できなかったのですが、明治以降は入山心得を守れば誰でも登れるようになったそうです。ご神体に登ることから、登山ではなく登拝と言われています。
なお、登拝時の写真撮影は厳禁。そして後日には、登拝時に見たことを口外してはならない、ということを耳にした(目にした?)のですが、あらためて大神神社のサイトで確認してもそんなことは書いていないので、当たり障りのない範囲でお伝えします。これから三輪山へ行ってみようと考えられている方の参考になればと思います。
三輪山への登拝は大神神社の摂社である狭井神社での受付から始まります。300円の登拝料を支払うと三輪山参拝証と記されたタスキが渡されます。これは記念になるので持ち帰りたくなるのですが、登拝後に返却しなければなりません。安全に下山したことを確認するためとのこと。そうなんです。三輪山登拝は危険を伴う登山ということです。
なのに、何の下調べもしていなかった私はこの後、思い知らされることになるのです。
6月、初夏というにはあまりに厳しい日差しの中、帽子もタオルも持たず、さらにはあろうことか、給水の備えもせずに登拝に挑んでしまったのです。当然のことながら途中に自販機などなく、休憩個所もほとんどありません。いったん入山してしまうと頂上を目指してただひたすら歩を進めるのみ。
苦行でした。
帽子、タオル、水を持たなかったことを全身全霊で後悔しました。やっとの事で頂上にたどり着いたものの、日陰がなく、座るベンチもなく、山頂の高宮神社で手を合わせ、磐座を確認して早々に下山しました。下山後は狭井神社境内に湧き出るご神水でようやくノドの、いや全身の渇きを潤すことができました。
往復で約2時間。季節や天候にもよると思いますが、もしこれから行ってみようという方がおられたら、それなりの備えをお勧めします。狭井神社では杖を貸してもらえるのでそれもあった方がいいでしょう。ご神体に失礼になるからということか、靴を脱いで裸足で登拝する人を見かけましたが、危険だなと思いました。
時計はすでに12時を回っていました。実はこのような苦行のあとに私たちを待っていたのは至福のひと時だったのです。続きは次回。
<おまけ>
三輪山の説話は日本書紀や古事記の崇神天皇紀に出てくるのですが、ここで日本書紀のほうを紹介します。有名な話なのでご存知の方も多いかと思います。
卑弥呼ではないかとも言われている倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめ)という女性がいました。彼女は大物主神と結婚しました。しかし夫は夜にしか現われず、その容姿を知ることができませんでした。あるとき夫に「その姿を見たいので朝までいて欲しい」と懇願し、夫は「その気持ちはよくわかるので明朝にあなたの櫛笥(櫛を入れる箱)に入っていよう、ただし、私の本性に驚くなよ」と伝えました。彼女は夜が明けてからその櫛笥を見てみました。すると、とても麗しい小蛇がいました。それで驚いて叫んだところ、夫は恥ずかしく思ってすぐに人の形になりました。「お前、我慢が出来ずにわたしに恥をかかせたな。 わたしも山に還って、お前に恥をかかせよう」 それで大空を飛んで御諸山(三輪山)に登りました。彼女はそれを仰ぎ見て後悔して、ドスンと座りました。そのとき、箸で陰(ほと)をついて亡くなりました。それで大市に葬りました。世の人はその墓を箸墓と名付けました。
箸墓が卑弥呼の墓であるといわれるひとつの根拠になっている説話です。その箸墓は陵墓参考地「大市墓」として宮内庁が管理しているために柵がめぐっていて、周囲から眺めることしかできません。しかしそれにしても、箸墓の名の由来を伝えるのなら、もう少し上品な話にできなかったのでしょうかね。(第6回につづく)
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三輪山登拝の成果も取り込んだストーリーができました。アマゾンで電子版を販売していますので是非ご覧ください。
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今回はまず纒向ツアーのメインイベントであった三輪山の登拝を紹介したいと思います。
三輪山は奈良盆地の南東部、奈良県桜井市にある標高467mの山で、三諸山(みもろやま)とも呼ばれ、御諸山とも記されます。古代より自然崇拝の対象とされ、山そのものがご神体であるため、神職以外は入山できなかったのですが、明治以降は入山心得を守れば誰でも登れるようになったそうです。ご神体に登ることから、登山ではなく登拝と言われています。
なお、登拝時の写真撮影は厳禁。そして後日には、登拝時に見たことを口外してはならない、ということを耳にした(目にした?)のですが、あらためて大神神社のサイトで確認してもそんなことは書いていないので、当たり障りのない範囲でお伝えします。これから三輪山へ行ってみようと考えられている方の参考になればと思います。
三輪山への登拝は大神神社の摂社である狭井神社での受付から始まります。300円の登拝料を支払うと三輪山参拝証と記されたタスキが渡されます。これは記念になるので持ち帰りたくなるのですが、登拝後に返却しなければなりません。安全に下山したことを確認するためとのこと。そうなんです。三輪山登拝は危険を伴う登山ということです。
なのに、何の下調べもしていなかった私はこの後、思い知らされることになるのです。
6月、初夏というにはあまりに厳しい日差しの中、帽子もタオルも持たず、さらにはあろうことか、給水の備えもせずに登拝に挑んでしまったのです。当然のことながら途中に自販機などなく、休憩個所もほとんどありません。いったん入山してしまうと頂上を目指してただひたすら歩を進めるのみ。
苦行でした。
帽子、タオル、水を持たなかったことを全身全霊で後悔しました。やっとの事で頂上にたどり着いたものの、日陰がなく、座るベンチもなく、山頂の高宮神社で手を合わせ、磐座を確認して早々に下山しました。下山後は狭井神社境内に湧き出るご神水でようやくノドの、いや全身の渇きを潤すことができました。
往復で約2時間。季節や天候にもよると思いますが、もしこれから行ってみようという方がおられたら、それなりの備えをお勧めします。狭井神社では杖を貸してもらえるのでそれもあった方がいいでしょう。ご神体に失礼になるからということか、靴を脱いで裸足で登拝する人を見かけましたが、危険だなと思いました。
時計はすでに12時を回っていました。実はこのような苦行のあとに私たちを待っていたのは至福のひと時だったのです。続きは次回。
<おまけ>
三輪山の説話は日本書紀や古事記の崇神天皇紀に出てくるのですが、ここで日本書紀のほうを紹介します。有名な話なのでご存知の方も多いかと思います。
卑弥呼ではないかとも言われている倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめ)という女性がいました。彼女は大物主神と結婚しました。しかし夫は夜にしか現われず、その容姿を知ることができませんでした。あるとき夫に「その姿を見たいので朝までいて欲しい」と懇願し、夫は「その気持ちはよくわかるので明朝にあなたの櫛笥(櫛を入れる箱)に入っていよう、ただし、私の本性に驚くなよ」と伝えました。彼女は夜が明けてからその櫛笥を見てみました。すると、とても麗しい小蛇がいました。それで驚いて叫んだところ、夫は恥ずかしく思ってすぐに人の形になりました。「お前、我慢が出来ずにわたしに恥をかかせたな。 わたしも山に還って、お前に恥をかかせよう」 それで大空を飛んで御諸山(三輪山)に登りました。彼女はそれを仰ぎ見て後悔して、ドスンと座りました。そのとき、箸で陰(ほと)をついて亡くなりました。それで大市に葬りました。世の人はその墓を箸墓と名付けました。
箸墓が卑弥呼の墓であるといわれるひとつの根拠になっている説話です。その箸墓は陵墓参考地「大市墓」として宮内庁が管理しているために柵がめぐっていて、周囲から眺めることしかできません。しかしそれにしても、箸墓の名の由来を伝えるのなら、もう少し上品な話にできなかったのでしょうかね。(第6回につづく)
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