古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

波多子塚古墳・ヒエ塚古墳・ノムギ古墳(葛城・纒向ツアー No.26)

2020年01月19日 | 実地踏査・古代史旅
 西山塚古墳を少し北へ行ったところの左手にあるのが波多子塚古墳です。全長約140メートルの前方後方墳で、特殊器台型の埴輪が検出されています。また、1998年の発掘調査で古墳の北側に周濠が見つかり、多量の埴輪が出土しました。3世紀後半に築造された古墳時代前期前半の古墳です。



 特殊器台型埴輪というのは特殊器台が円筒埴輪に変化する過程のもので、特殊器台の台座の部分がなくなったものと考えればいいと思います。特殊器台が弥生時代後期後葉、円筒埴輪が古墳時代なので、特殊器台形埴輪が見つかることによって、その古墳の築造時期が古墳時代の早い時期、それこそ出現期あるいは前期前半ということが想定できることになります。



 でも、遠目から見てもこの古墳が140メートルもあるようには見えなかったのですが、それもそのはず、後方部の正面からの眺めだったので、この奥に前方部が伸びていたのです。

 自転車で走り出そうとしたら水が流れる音が聞こえたので思わず写真を撮りました。大和高原から流れ出る清水です。そのまま飲めそうなくらい美味しそうに見えました。



 そして、この写真を撮っているうちに岡田さん、佐々木さんは先に行ってしまいました。すぐに追いかけたものの、ふたりの姿は見えなくなっていました。軽い下り坂になっているので気持ち良くペダルを漕いだのでしょう。しばらく待ったものの戻ってこないので携帯に電話をしました。すぐその先を左に曲がらないといけないので、そのまま行かれては困るのです。ふたりが戻ったので予定していた道を進みます。ここまでずっと山の辺の道を北へ北へと進んできたのですが、ここで折り返しです。

 折り返し点にある古墳はヒエ塚古墳。全長が130メートルの前方後円墳で、前方部がバチ形に開いていることから古墳時代前期前半の築造と考えられます。大型古墳としては大和古墳群の最北端に位置します。

 尾根上に築かれた墳丘を下から見上げた時に思わず「ホタテや」とつぶやきました。というのも、左側の後円部と右側の前方部を道路が突っ切っているので、左側の墳丘は前方部の極端に短い帆立貝型前方後円墳と思ってしまったのです。そして右側の墳丘は別の古墳、具体的には次に行く予定だったノムギ古墳だと思ったのです。


前方部(右側)が短く切れているのがわかると思います。

道路を挟んで右側にある前方部です。


 このときはふたつの墳丘が別の古墳だと思いましたが、合わせてひとつのヒエ塚古墳だとわかったのが次のノムギ古墳に立つ説明板を見たときでした。

その説明板です。

図の上部に前方後円墳が描かれていますが、これがヒエ塚古墳で、その真ん中を道路が横切っていることがこの図で理解できました。

 そしてこの説明板のうしろにあるのがノムギ古墳です。全長が63メートルの前方後方墳です。出土した土器から大和古墳群に分布する前方後方墳のなかでは最も古い古墳時代前期前半の古墳と考えられています。

後方部の墳丘です。そんなに高くない。



私たちは古墳の周濠跡に立ってこの説明板を見ています。

大和古墳群の全体図です。


 さあ、ここから折り返しになります。そして自転車に乗ろうと足元を見てビックリ。靴から靴下からズボンから、ひっつき虫だらけになっていました。取るのが大変でした。



古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~
小嶋 浩毅
日比谷出版社

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