2025年2月14日、香川県から来阪した古代史仲間のOさんと一緒に富雄丸山古墳、天理の杣之内古墳群を訪ねてきました。またその翌日には関西在住のSさん、Hさんの2名が合流して4人で飛鳥を巡ってきたので、2日間の様子を順に紹介したいと思います。とくに富雄丸山古墳は昨年の熱狂的なブームの最中には訪ねる気にならず、いつかそのうちに、と思っていたのでちょうどいい機会となりました。
富雄丸山古墳は4世紀後半の築造、直径が全国最大規模の約109m、造出を持つ3段築成の円墳です。2022年の調査で造出部から粘土槨の埋葬施設が新たに見つかり、木棺を覆った粘土層から過去最大となる2.37m(柄や鞘を装着すると全長2.85m)の蛇行剣、さらにその下層から過去に類例のない盾形銅鏡が見つかっています。



まず、盾形銅鏡には鼉龍文が施されています。鼉龍とは中国における空想上の神獣(ワニのような姿の龍)で、日本では画文帯神獣鏡を模倣したとされる鼉龍鏡が70面ほど確認されています。このことから、鼉龍→神獣→神仙思想→徐福という連想が働きました。Noteのマガジン「物部氏を妄想する」で書いたように私は、徐福が中国から引き連れてきた数千名の童男童女や方士たちの後裔がのちに「物部」と呼ばれるようになったと考えています。また彼らは渡来の際に意図したか否かはわかりませんが、全国各地に上陸しています(全国30カ所以上に徐福伝説が残っています)。
次に、蛇行剣は身の部分が文字通り蛇のようにくねった形をした剣です。全国で80例以上が確認され、その多くが九州南部の宮崎県や鹿児島県での出土となっています。後藤守一という考古学者が「蛇行曲身剣」と呼んだのが命名の始まりらしいのですが、これはまさに慧眼だったと思います。この剣は蛇が水面を泳ぐ姿を表しているのでしょう。蛇は神の化身とされます。また、蛇がとぐろを巻く様は渦に似ていて、渦は穢れを取り払うとされています。蛇行剣の主要出土地である九州南部を拠点にしていた隼人族の盾にある文様はこの渦をデフォルメしたものです。このあたりは当ブログ「龍蛇神について」で書きました。
さて、この古墳の被葬者についていろいろ議論があるようですが、盾形銅鏡の鼉龍文からは、のちに「物部氏」につながっていく人物との関連、蛇行剣からは隼人族との関連を考えたいところです。とくに後者については、狗奴国が九州南部にあって、その狗奴国王が神武天皇であったと考える私には何とも愉快な妄想ネタとなります。
すぐ隣に2号墳、3号墳がありました。これは知らなかった。


この日は平日ということもあったのでしょうが、昨年の熱狂がウソのように私たち以外には誰もいませんでした。少し後ろ髪を引かれる思いで天理を目指して出発です。
(つづく)
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富雄丸山古墳は4世紀後半の築造、直径が全国最大規模の約109m、造出を持つ3段築成の円墳です。2022年の調査で造出部から粘土槨の埋葬施設が新たに見つかり、木棺を覆った粘土層から過去最大となる2.37m(柄や鞘を装着すると全長2.85m)の蛇行剣、さらにその下層から過去に類例のない盾形銅鏡が見つかっています。



まず、盾形銅鏡には鼉龍文が施されています。鼉龍とは中国における空想上の神獣(ワニのような姿の龍)で、日本では画文帯神獣鏡を模倣したとされる鼉龍鏡が70面ほど確認されています。このことから、鼉龍→神獣→神仙思想→徐福という連想が働きました。Noteのマガジン「物部氏を妄想する」で書いたように私は、徐福が中国から引き連れてきた数千名の童男童女や方士たちの後裔がのちに「物部」と呼ばれるようになったと考えています。また彼らは渡来の際に意図したか否かはわかりませんが、全国各地に上陸しています(全国30カ所以上に徐福伝説が残っています)。
次に、蛇行剣は身の部分が文字通り蛇のようにくねった形をした剣です。全国で80例以上が確認され、その多くが九州南部の宮崎県や鹿児島県での出土となっています。後藤守一という考古学者が「蛇行曲身剣」と呼んだのが命名の始まりらしいのですが、これはまさに慧眼だったと思います。この剣は蛇が水面を泳ぐ姿を表しているのでしょう。蛇は神の化身とされます。また、蛇がとぐろを巻く様は渦に似ていて、渦は穢れを取り払うとされています。蛇行剣の主要出土地である九州南部を拠点にしていた隼人族の盾にある文様はこの渦をデフォルメしたものです。このあたりは当ブログ「龍蛇神について」で書きました。
さて、この古墳の被葬者についていろいろ議論があるようですが、盾形銅鏡の鼉龍文からは、のちに「物部氏」につながっていく人物との関連、蛇行剣からは隼人族との関連を考えたいところです。とくに後者については、狗奴国が九州南部にあって、その狗奴国王が神武天皇であったと考える私には何とも愉快な妄想ネタとなります。
すぐ隣に2号墳、3号墳がありました。これは知らなかった。


この日は平日ということもあったのでしょうが、昨年の熱狂がウソのように私たち以外には誰もいませんでした。少し後ろ髪を引かれる思いで天理を目指して出発です。
(つづく)
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