古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

物部氏を妄想する⑫(物部氏の台頭)

2024年01月12日 | 妄想・物部氏
昨年の学習テーマは「物部氏」でした。物部氏はどこから始まったのか、降って湧いたように全国に分布するようになったのはどうしてか、物部氏のヤマト王権内での役割は何だったのか、などなど、折に触れて断片的に妄想していたことを真面目に考えてみよう、自分の妄想が成り立つのかどうかを検証してみよう、と考えて重い腰を上げました(やる前から大変な作業になるのはわかっていたのでそれなりの覚悟が必要でした)。

専門家の本や論文を読んだり、在野の研究家やわたしのような古代史マニアの方々がブログなどで発信されている様々な情報に目を通したり、関連しそうな遺跡の調査報告書から使えそうな情報を探したりしながら、約1年をかけて自分の考えを作り上げ、No.1〜No.18まで全部で18回シリーズ、約5万文字のレポートとしてまとめました。

まとめたものはすでにNoteで有料記事として公開していますが、ここでも18回それぞれ各回の触りの部分のみ紹介してみたいと思います。

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物部氏を妄想する⑫(物部氏の台頭)

6世紀初めの継体天皇の時に部民制が始まり、中央では大王家の祭祀を取り仕切ってきた一族が物部連氏となり、地方では各地の豪族の祭祀を担ってきた一族が物部氏となります。『先代旧事本紀』に天物部二十五部として二田物部、当麻物部など「○○物部」と記される物部や、『新撰姓氏録』にある物部飛鳥や『続日本紀』に見られる物部多芸など「物部○○」として記される物部がそれにあたります。これらは複姓物部氏と呼ばれ、「物部」に地名や職業の名称が付随したパターンが見られます。

また、この6世紀はその後の律令国家成立に向けて様々な変化が時代を動かす画期となった時期で、物部氏の役割にも大きな変化が見られます。ここでは『日本書紀』の物部氏が登場する場面をダイジェストで順に見ながら物部氏の台頭からその役割の変遷の様子を確認してみます。まずは①〜⑦として第14代仲哀天皇までを整理します。

① 初代神武天皇が即位前に大和に東征した際、敵対する長髄彦が「天磐船に乗って天降った櫛玉饒速日命という天津神の子がいる」と告げた。物部氏の遠祖である饒速日命は長髄彦を誅殺して神武に帰順した。

② 第8代孝元天皇は物部氏の遠祖である大綜麻杵の娘の伊香色謎命を妃として彦太忍信命を生んだ。また、物部系の穂積氏の遠祖である鬱色雄命の妹、鬱色謎命を皇后として第9代開化天皇を生んだ。

③ 第9代開化天皇は第8代孝元天皇の妃であった伊香色謎命を皇后として第10代崇神天皇を生んだ。

④ 第10代崇神天皇は大物主神を祀ろうと大田田根子を探し当てた際に、物部連の祖先の伊香色雄を神班物者(神に捧げるものを分ける人)にしようと占うと「吉」と出た。続いて、伊香色雄に命じて物部の八十平瓮で神に奉るものを作らせた。

⑤ 第11代垂仁天皇は安倍臣遠祖の武淳川別・和珥臣遠祖の彦国葺・中臣連遠祖の大鹿嶋・物部連遠祖の十千根・大伴連遠祖の武日の五大夫に対して、先代崇神天皇の事績を称えるとともに自らの治世においても神祇祭祀を怠りはしないと言った。また、天皇は物部十千根大連に命じて出雲国の神宝を検校させた。さらに、五十瓊敷命が作らせた太刀一千口を納めた石上神宮の管理を物部首の始祖、春日臣の市河にまかせた。その後、石上神宮の管理は物部十千根大連に委ねられ、これが所以で物部連が石上神宮の神宝を管理するようになった。

⑥ 第12代景行天皇は九州征討の途中、周防国佐波郡において南方に煙がたくさん上がるのを見て、多臣の祖の武諸木・国前臣の祖の菟名手・物部君の祖の夏花を派遣して偵察させた。続いて碩田国直入県(大分県直入郡)で土蜘蛛を討とうとして祈った神が志我神・直入物部神・直入中臣神の三神だった。

⑦ 第14代仲哀天皇が熊襲征伐のため神功皇后とともに橿日宮(福岡市)に滞在していたとき、皇后に憑依した神の託宣に背いたために突然病死した。皇后は武内宿禰と中臣烏賊津連・大三輪大友主君・物部膽咋連・大伴武以連ら四大夫に天皇崩御の秘匿と宮中警護を命じた。

それぞれの天皇の実在性や実年代に諸説あるものの、ここでは実在を前提に概ね2〜4世紀頃のこととして検討してみます。

続きはこちら→物部氏を妄想する⑫(物部氏の台頭)

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