古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

物部氏を妄想する①(「物部」の読み方)

2024年01月01日 | 妄想・物部氏
昨年の学習テーマは「物部氏」でした。物部氏はどこから始まったのか、降って湧いたように全国に分布するようになったのはどうしてか、物部氏のヤマト王権内での役割は何だったのか、などなど、折に触れて断片的に妄想していたことを真面目に考えてみよう、自分の妄想が成り立つのかどうかを検証してみよう、と考えて重い腰を上げました(やる前から大変な作業になるのはわかっていたのでそれなりの覚悟が必要でした)。

専門家の本や論文を読んだり、在野の研究家やわたしのような古代史マニアの方々がブログなどで発信されている様々な情報に目を通したり、関連しそうな遺跡の調査報告書から使えそうな情報を探したりしながら、約1年をかけて自分の考えを作り上げ、No.1〜No.18まで全部で18回シリーズ、約5万文字のレポートとしてまとめました。

まとめたものはすでにNoteで有料記事として公開していますが、ここでも18回それぞれ各回の触りの部分のみ紹介してみたいと思います。

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物部氏を妄想する①(「物部」の読み方)

古代史を学ぶ人にとって「物部(もののべ)」が物部氏を指すのは当たり前のことだと思いますが、これを「もののふ」と読んで「武士」を意味するということも広く知れ渡っているかと思います。

『古事記』には「物部」が3カ所に登場します。神武天皇記で邇藝速日命(饒速日命)の子である宇摩志麻遅命が物部連、穗積臣、婇臣の祖であるとした記事、継体天皇記で磐井の乱の鎮圧に大伴金村とともに物部荒甲(物部麁鹿火)が派遣された記事、そしてもうひとつが清寧天皇記で意富祁命・袁祁命の兄弟が市辺忍歯王の子であると名乗り出て「物部之我夫子之・・・」と謡う場面です。最初のふたつは「もののべ」と読み、3つめは「もののふ」と読むのが一般的なようです。

この3つめについて本居宣長は『古事記伝』において、師である賀茂真淵が「母能々布(もののふ)」と読んだことに従うとして「もののふの、わがせこが・・・」と読んでいます。そして「もののふ」とは、武勇をもって君主に仕えた建士(たけお)のことを言い、『万葉集』に「武士」と書かれているように武士(たけきお)のことを「もののふ」と言う、としています。さらに、「もののふ」とは朝廷に仕える人々を総称する言葉でもある、として上代の武勇をもって仕えた頃の古言が遺っていたと指摘します。

続きはこちら→物部氏を妄想する①(「物部」の読み方)



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