古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

物部氏を妄想する②(「物部」の由来 )

2024年01月02日 | 妄想・物部氏
昨年の学習テーマは「物部氏」でした。物部氏はどこから始まったのか、降って湧いたように全国に分布するようになったのはどうしてか、物部氏のヤマト王権内での役割は何だったのか、などなど、折に触れて断片的に妄想していたことを真面目に考えてみよう、自分の妄想が成り立つのかどうかを検証してみよう、と考えて重い腰を上げました(やる前から大変な作業になるのはわかっていたのでそれなりの覚悟が必要でした)。

専門家の本や論文を読んだり、在野の研究家やわたしのような古代史マニアの方々がブログなどで発信されている様々な情報に目を通したり、関連しそうな遺跡の調査報告書から使えそうな情報を探したりしながら、約1年をかけて自分の考えを作り上げ、No.1〜No.18まで全部で18回シリーズ、約5万文字のレポートとしてまとめました。

まとめたものはすでにNoteで有料記事として公開していますが、ここでも18回それぞれ各回の触りの部分のみ紹介してみたいと思います。

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物部氏を妄想する②(「物部」の由来)

ここでは物部氏のウジ名である「物部」の由来を考えてみます。一般的に物部氏は「物」を取り扱う部民である物部を統率した伴造氏族とされています。部民制は、ヤマト王権が百済の部司制にならって取り入れた王権への従属・奉仕の体制、王権の仕事分掌の体制のことで、職掌や仕事を軸とした部と、豪族や王族に属する部の2つの種類があり、物部は前者とされています。

物部の職掌が何であったかについては、物部の「物(モノ)」をどのように解釈するかで意見が分かれており、モノノフ(武人)やモノノグ(武具)の「モノ」と解釈して軍事や警察を担ったとする考えと、モノノケ(精霊や霊魂)の「モノ」と解釈して祭祀を担ったとする考えがあります。また、物資や物品などもっと広い意味で捉えて、いわゆる「物(ブツ)」によって大王に奉仕した部とする考えも出されています。篠川賢氏はその考えに基づき、「物部」が漠然とした広い範囲を示す語であることに着目して、その職掌は特定の限られた範囲に限定できず、部が多くの職掌に分化する以前の、部民制導入当初から置かれた部であろう、としています。

一方で前田晴人氏は、「物部」は「物(モノ)」を「負(オフ)」の意味であり、「もののふ」と読むべきで、物部氏は「もののふ氏」であったとします。この説では物部は部民制の「部」と関係がないということになります。たしかに『万葉集』では「八十」にかかる枕詞である「物部乃」を「もののふの」と読んでおり、同じ「八十」にかかる枕詞として「毛能乃布能」「物乃負能」なども見られます。前田氏はまた「物(モノ)」の意味を広くとらえ、ある場合には警察・行刑・軍事に用いられる武器となり、同時に祭儀の幣帛・神具として神に捧げられ、さらに神そのものとして宝器とされる「物(モノ)」であったとします。

前稿で書いたように、私は「物部」を「もののふ」と読むことに対して懐疑的であるので、この前田氏の説に従うことができません。また、軍事・警察を職掌とする根拠として「モノノフ(武人)」をあげる考えにも賛同ができません。「モノノグ(武具)」についても、『古事記』には武具としてのモノノグ(物の具)の語が見えず、『国立国会図書館デジタルコレクション』に収録された写本(※1)には同様の意味を表す「兵器」という語に「モノノグ」ではなく「ツハモノ」のルビが振られています。『日本書紀』も同様にモノノグ(物の具)の語はなく、写本(※2)では「兵器」の語の一部に「モノノク」のルビが振られる箇所があるものの、この場合もあくまで「兵器」の読み方なので「物」が「モノノグ」を意味することにはなりません。

では、「モノノケ(精霊や霊魂)」についてはどのように考えればいいでしょか。モノノケは「物の怪」と書き、この場合の「物」は結論だけ言えば「霊魂」「神」「鬼」などを意味します。折口信夫氏は、古代の信仰では、かみ(神)、おに(鬼)、たま(魂)、もの、の4つが代表的であったとし、さらに、極めて古くは悪霊及び悪霊の動揺によって著しく邪悪の偏向を示すものを「もの」と言ったとして、「もの=精霊=鬼」と捉えます。


続きはこちら→物部氏を妄想する②(「物部」の由来)

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