人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

人類を光の世界へ(3)

2020-06-25 06:03:13 | スピリチュアル
  (前日からの続き)
あなた方の
生まれる以前から
守護の神霊は
あなた方の
いのちが
光にみちた
もので
あることを
知らせるために
あらゆる
手段を
使ってきて
そうして 
祈りの座に
あなた方を
みちびいてきたのです

この
守護霊
守護神
そうして
神様の愛を
おもうとき
私たちは
自然に
暗い所から
明るい所へ
すなわち
闇から
光へと
場所を移され
いのちが
本来
そのかがやきを
放っている世界
本心
本体
真実の
人間が
活きづいている
自由の
天地へと
永遠の住み家に
案内され
移されるのです

人間のいのちが
どんなに
自由で
明るく
無邪気な
神への愛と
人への愛に
みちたものであるか
この一点を
示されるために
神様は
五井昌久という
働きの場所を
お使い下さったのです 
決して私がとびぬけていた
わけではありません
私が特別
とびぬけたすぐれた人間で
あったわけではないのです

ただ
私は
どんな時にも
神様に素直だった
神様の前に
いのちを
投げ出して
完きよろこびに
あふれこそすれ
それを
一度も後悔したことのない
人間だった
ただ
それだけなのです
そして
これは
こういうことは
私一人に
おきることではないのです

実は
人間の真性は
本来そういう
すなおな
光にみちた
ものなのです
人間というものを
考えるときに
みんなどうしても
この肉体界の目に
みえる範囲のなかで
片づけてしまう

元々
肉体界というところは
波動のあらいところだし
肉体人間は
この眼で
たしかめられるものに安心して
そこにすがって
生きてきた
それが
ならい性なのです
けれど
それが
人間のすべてではない
目にみえる世界などという
せまい世界が
人間の本来の場所ではないんです

人間は
自由の天地の住人です
神の
分生命
分霊として
縦横無尽に
神の光と
人にやどった
分生命
分霊としての
光を
交叉させて
働き
活きづいてゆく
その天地を
一人一人が
からだの
奥に持っている
そういう
存在なのです
    (つづく)

人類を光の世界へ(2)

2020-06-24 07:12:38 | スピリチュアル
  (前日からの続き)
いつも
私が申しますように
祈りというのは
光のはしごなんです
世界人類が平和でありますように
という
祈りのエレベーターにのれば
そのまま
辛いまま
悲しいまま
肉体がいくら
辛がっていても
かなしがっていても
そのまま
光にみちる 
そういう
光のエレベーターである祈りを
私は
神様との約束事で
いただいたんです
これは
私たちみんなの
人類すべての
祈りです

誰をも
痛めず
誰をも
傷つけない
自己も
他己も
自分の心も
他人の心も
本心の奥の奥まで
てらして
そのままに
光にみちさせ
その人の肉体が
意識していようが
いまいが
光の世界に
つなげてゆく
祈りなんです

主の祈りも
南無阿弥陀仏も
聖者といわれる人々が
説いた祈りには
みなこの
力がこもっています
だから
どこから入っても
いいんですけれども
しかし
私が
神様から
いただいた
世界平和の祈りは 
この力の
源みたいな祈りなんです

主の祈りも
南無阿弥陀仏も
みんな
救世の大光明が
かがやきわたっているのですが
世界平和の祈りは
さらに
救世の大光明の
本体そのものから
光を 
放射される
そういう
光の本尊みたいな
祈りなんです

だから
この祈りを
してゆく内に
知らず知らずの間に
みんなの心が
平和になり
平安になってくる
肉体ばかりではなく
霊体
神体まで
光がみちてゆくのです
そういうすごい力を
持った
祈りというものを
神様が
人間に
与えて下さっているのです
だから
何にも
心配することは
ないのです

もっというと
みんな
厚かましく
五井先生に
荷物を
預けなきゃあ
みんな
遠慮して
こんなことを
五井先生に
頼んじゃわるい
こんな泣きごとを
ならべては
申しわけないと
思っちゃう
何が申しわけないんですか
預けて任せて
スッキリした
いのちに
ならない方が
よっぽど
神様に
申しわけないんですよ

神様の前に
はだかになる
はだかの心で
祈るというのは
神様に
恥をさらす
ことじゃありません

人間の
おもいでは
はずかしいとか
何とか
あっても
そういう
いろいろなものが
まざっているのが
肉体人間の
おもいであり
おもいぐせなんですから
だから
それを
自分一人で
解決しようなんて
思うと
とんでもなく苦しいんです

そのまま一度
すっきりと
神様に返してしまう
返してしまって
もう一度
いのちの
明るい
朗らかな
光をいただく
自分の中に
かがやいている
天命に
気付いてゆく
天命の存在に
気付いてゆく
それが
日々の
新生ということであり
いただきなおす
生生
ということなのです
そのことに
気付けば
おのずから
生命は
光にみちるのです
   (つづく)

人類を光の世界へ(1)

2020-06-23 07:46:24 | スピリチュアル
     〇
光にみちた世界は
何も神殿や
社ばかりではないのです
もっといえば
いたる所に
神様の光は
みちているのです

自分のような人間は
まだまだ
なんて
思うのが
間違いの元
今は
そんな上品な
遠慮が
通る時じゃありません
みんな
神様の分霊 
分生命という
教義は
なぐさめでも
おかざりでも
ありません

みんなが
明るい
神の
いのちに
目覚めて
その
目覚めを
深くすればするほど
光は
増し加わり
強められていくのです
なぜなら
人間は
神様の
光を受けて
生まれた存在なのだから
元々が
明るいんですから

ただ
あんまり
明るすぎて
こんなに 
自分は明るいのかしらと
思わず
あたりをみまわしているのが
今の状況です

世界人類が
平和でありますように
という祈りを唱えながらでも
これでいいのかしら
私は明るいのかしら
本当に
明るいのかしらと
思っちゃう
こっちからみてると
もうどうしようもないなあと
思うほどだし
笑ってしまうけれど
みんな
明るいんです
五井先生が
保障します

私には
何がみえているかと
いうと
みなさんの
肉体の奥の
奥の奥の
光りかがやいている
さながらの
生命がみえてるんです

くらいくらい
想念や
業といった
幽界の世界じゃない
幽・霊・神界を
突き抜けて
どこまでも
明るい
さながらの
ほがらかな
生命が
みなさん
一人一人の
天命が
みえているんです

だから
五井先生
病気です
子どもが死にそうです
家の中が
引っくり返って
いますと
泣きながら
きてもね
そこで感情を
動かされないんじゃない
十分
みんな大変だと思うし
かわいそうだと
私の個性
神様が
守護の神霊が
のこしてくれた
人間
五井昌久の心は
おもうけれど
本心本体の
ずっと
神界に
つながっている
私自身は
奥の奥の
みんなの天命を
一瞬にしてみているし
また
みせられるんです

いのちというもの
いのちを
支えている
人間の天命
神様から
与えられた
天命というものは
ずっとずっと
宇宙神の
みこころの
大奥の
奥底にまで
つらなっている
ものなのです
それを
私はみているんです

だから
この世の中での
或る
一人の個人を
いやす
かしわ手を
打っているようでいて
実は
その人の
何十生
何百生
何千生後の
みちすじを
ばーっとみて
それで
その道筋は
誤りなく
保つことができるように
守護の
神霊が
その人の魂を
みちびきやすいように
とりあえず

とりのぞいておいた方がいいものを
のぞくわけです
けれども
のぞくといったって
それが
その人の
願い通りのものを
とりのぞくとは
かぎらないんです

あくまでも
この世も
あの世もなく
ひとつづきに
ずーっと
つづいてゆく
いのちというもの
その人のその人らしさと
いうものが
真実に
発揮できるように
そのために 
のぞくわけなんで
今の今
とりのぞいてほしいと
思うものと
神様側で
とりのぞくものとは
ちがうんです

しかし
それじゃあ
人間の
現在の苦しみを
かえりみないと
いうことになって
神様というのは
何て不公平だというと
それは
やっぱり
ちがうんです
どうちがうかと
いいますとね
そこに祈りが
与えられている
これで
不公平じゃないんです
    (つづく)


一人のいのちは すべてを結ぶいのち

2020-06-22 11:20:08 | スピリチュアル
   〇  
こころよ
惑うことなく
神の
愛のもとに
走れ

活かされている
この
私たちのいのちは
光にみちて
天地宇宙を
結んで
ゆくものなのだ

肉の身に
宿っている
いのちは
一人の
いのちでは
ないのだ

万人に
流れてゆく
一瞬にして
すべてを
結ぶ
いのちなのだ

世界人類が平和でありますように
という
祈り言のもとに
人々が
宇宙人類が
結集してゆく

あなたがたは
すべてを
結ぶ
いのちなのだ
    昭和62年1月18日

仰ぎみよ 神のすがたを

2020-06-21 06:20:37 | スピリチュアル
   〇
仰ぎみよ
神を
神のすがたを

天地自然
ありとあらゆるもののなかに
神の息吹きがあることを
おもうとき
ただ
生かされていることの
不思議と
天地の間に
呼吸することを
ゆるされた
恵みとが
迫ってくるでは
ないか

神の
不思議な
愛の働き
神の智恵
神のこころよ

仰ぎみよ
神のすがたを