(前日からの続き)
いつも
私が申しますように
祈りというのは
光のはしごなんです
世界人類が平和でありますように
という
祈りのエレベーターにのれば
そのまま
辛いまま
悲しいまま
肉体がいくら
辛がっていても
かなしがっていても
そのまま
光にみちる
そういう
光のエレベーターである祈りを
私は
神様との約束事で
いただいたんです
これは
私たちみんなの
人類すべての
祈りです
誰をも
痛めず
誰をも
傷つけない
自己も
他己も
自分の心も
他人の心も
本心の奥の奥まで
てらして
そのままに
光にみちさせ
その人の肉体が
意識していようが
いまいが
光の世界に
つなげてゆく
祈りなんです
主の祈りも
南無阿弥陀仏も
聖者といわれる人々が
説いた祈りには
みなこの
力がこもっています
だから
どこから入っても
いいんですけれども
しかし
私が
神様から
いただいた
世界平和の祈りは
この力の
源みたいな祈りなんです
主の祈りも
南無阿弥陀仏も
みんな
救世の大光明が
かがやきわたっているのですが
世界平和の祈りは
さらに
救世の大光明の
本体そのものから
光を
放射される
そういう
光の本尊みたいな
祈りなんです
だから
この祈りを
してゆく内に
知らず知らずの間に
みんなの心が
平和になり
平安になってくる
肉体ばかりではなく
霊体
神体まで
光がみちてゆくのです
そういうすごい力を
持った
祈りというものを
神様が
人間に
与えて下さっているのです
だから
何にも
心配することは
ないのです
もっというと
みんな
厚かましく
五井先生に
荷物を
預けなきゃあ
みんな
遠慮して
こんなことを
五井先生に
頼んじゃわるい
こんな泣きごとを
ならべては
申しわけないと
思っちゃう
何が申しわけないんですか
預けて任せて
スッキリした
いのちに
ならない方が
よっぽど
神様に
申しわけないんですよ
神様の前に
はだかになる
はだかの心で
祈るというのは
神様に
恥をさらす
ことじゃありません
人間の
おもいでは
はずかしいとか
何とか
あっても
そういう
いろいろなものが
まざっているのが
肉体人間の
おもいであり
おもいぐせなんですから
だから
それを
自分一人で
解決しようなんて
思うと
とんでもなく苦しいんです
そのまま一度
すっきりと
神様に返してしまう
返してしまって
もう一度
いのちの
明るい
朗らかな
光をいただく
自分の中に
かがやいている
天命に
気付いてゆく
天命の存在に
気付いてゆく
それが
日々の
新生ということであり
いただきなおす
生生
ということなのです
そのことに
気付けば
おのずから
生命は
光にみちるのです
(つづく)
いつも
私が申しますように
祈りというのは
光のはしごなんです
世界人類が平和でありますように
という
祈りのエレベーターにのれば
そのまま
辛いまま
悲しいまま
肉体がいくら
辛がっていても
かなしがっていても
そのまま
光にみちる
そういう
光のエレベーターである祈りを
私は
神様との約束事で
いただいたんです
これは
私たちみんなの
人類すべての
祈りです
誰をも
痛めず
誰をも
傷つけない
自己も
他己も
自分の心も
他人の心も
本心の奥の奥まで
てらして
そのままに
光にみちさせ
その人の肉体が
意識していようが
いまいが
光の世界に
つなげてゆく
祈りなんです
主の祈りも
南無阿弥陀仏も
聖者といわれる人々が
説いた祈りには
みなこの
力がこもっています
だから
どこから入っても
いいんですけれども
しかし
私が
神様から
いただいた
世界平和の祈りは
この力の
源みたいな祈りなんです
主の祈りも
南無阿弥陀仏も
みんな
救世の大光明が
かがやきわたっているのですが
世界平和の祈りは
さらに
救世の大光明の
本体そのものから
光を
放射される
そういう
光の本尊みたいな
祈りなんです
だから
この祈りを
してゆく内に
知らず知らずの間に
みんなの心が
平和になり
平安になってくる
肉体ばかりではなく
霊体
神体まで
光がみちてゆくのです
そういうすごい力を
持った
祈りというものを
神様が
人間に
与えて下さっているのです
だから
何にも
心配することは
ないのです
もっというと
みんな
厚かましく
五井先生に
荷物を
預けなきゃあ
みんな
遠慮して
こんなことを
五井先生に
頼んじゃわるい
こんな泣きごとを
ならべては
申しわけないと
思っちゃう
何が申しわけないんですか
預けて任せて
スッキリした
いのちに
ならない方が
よっぽど
神様に
申しわけないんですよ
神様の前に
はだかになる
はだかの心で
祈るというのは
神様に
恥をさらす
ことじゃありません
人間の
おもいでは
はずかしいとか
何とか
あっても
そういう
いろいろなものが
まざっているのが
肉体人間の
おもいであり
おもいぐせなんですから
だから
それを
自分一人で
解決しようなんて
思うと
とんでもなく苦しいんです
そのまま一度
すっきりと
神様に返してしまう
返してしまって
もう一度
いのちの
明るい
朗らかな
光をいただく
自分の中に
かがやいている
天命に
気付いてゆく
天命の存在に
気付いてゆく
それが
日々の
新生ということであり
いただきなおす
生生
ということなのです
そのことに
気付けば
おのずから
生命は
光にみちるのです
(つづく)