改ざん「上司に報告」 前田容疑者、村木氏初公判の直後(朝日新聞) - goo ニュース
最高検は、9月21日夜、大阪地検特捜部主任検事の前田恒彦を,押収にかかるフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして証拠隠滅容疑で逮捕するという異例の強制捜査の着手に踏み切った。
このFDは2009年5月26日村木厚労省元局長の部下であった同省係長上村被告の自宅から押収されたものであり,同FD内には上村被告が実体のない障害者団体「凛の会」側からの依頼で発行したとされる偽証明書の作成日時等のデータが保存されていた。
そして前田容疑者は,村木元局長の起訴(2009・7・4)の1週間後の2009年7月11日ころ,インターネットでダウンロードした専用ソフトを使用して上記偽証明書の作成年月日が「04年6月1日午前1時20分」とあったのを「04年6月8日午後9時10分」に書き換えているが,その動機が何であったかが問題となる。
検察の描いた構図(ストーリー)については,前回紹介したが,検察は村木氏が上村被告に偽証明書作成の指示をしたのは,同人らの供述等をもとに04年6月上旬としていたのに,FD内の偽証明書の作成日時のデータは「04年6月1日」になっていたことから,上村への指示は当然6月1日より前でないと辻褄が合わなくなってしまう。
また郵便局が凛の会に証明書の提出を促したのが,早くても6月8日であることが郵便局員の事情聴取から判明していたという事情もあった。
そこで前田容疑者は,検察のストーリーにすり合わせようとして,上村に指示した時期とFDの証明書の作成の時期との整合性を図るためFDデータの改ざんを試みたとみるのが自然である。
しかし,すでに押収したFDの検証を行って証明書の作成は6月1日に行われた旨の検察事務官作成の捜査報告書が作成済みである上,前田容疑者は,通常判決が確定するまで返還されない証拠品のFDを改ざんの3日後である7月14日にわざわざ郵送で上村被告の母親方に返還している。
なぜ前田容疑者がこのよな不自然とも思われる行動に出たのかは,前田容疑者が真実を語らないとその詳細は分からないが,あえて推測するならば,前田容疑者は,データが改ざんされたFDが弁護側に返還されれば,「改ざん」には気付かないまま,弁護側が,検察のストーリーに沿う客観証拠として証拠申請してくれるのではないかと期待したのではないか思う。
しかし仮に証明書の作成が6月8日とするFDが証拠採用されたとしても,上記捜査報告書の作成経緯が問題視されれば,FDのデータ解析が行われて,改ざんの事実が判明してしまう危険がある。
現に前田容疑者は,最高検の取調べに対し,上記捜査報告書があるのだから,故意にFDのデータを改ざんする必要はないなどと供述して犯意を否認しているそうである。
ではなぜ前田容疑者は,上記捜査報告書がありながら,これと矛盾するデータの書き換えを行ったのか不可解と言えば不可解である。
ただ前田容疑者は,公判部において,消極証拠になりうる上記捜査報告書を証拠請求することはないのではないかと思っていたのかもしれない。
またデータが改ざんされたFDがそれを知らないまま弁護側から証拠申請してくれれば,自らがデータの改ざんに関与したことが分かりにくくなるのではないかと思い,あえて起訴後間もない時期にデータの改ざんをしてすぐにこのFDを弁護側に返還して,その証拠請求を促していたのではないだろうか。
これはあくまで想像の域を出ないが,この点は最高検の捜査に委ねるしかない。
確かに,前田容疑者は,共犯者らの供述により村木元局長の共謀立証は固いと考えて起訴したものの,FDのデータが自らが描いた事件の構図を崩しかねないという不安を抱いていて,FD改ざんの持つ重大さの認識が希薄なまま,このような挙に出たのかはないか。
しかし,前田容疑者は検察のストーリーに沿う捜査を強行するあまり,客観証拠の吟味を疎かにしていることを留意しないまま,関係者だけの供述が揃いさえすれば起訴できると思い込んでいた可能性が高く,捜査全体を鳥瞰できていなかったことが,このような愚行を導いてしまった原因と言えるのではないか。
なお,前田容疑者は,その後同僚検事に「時限爆弾をしかけた」などと言ったとする旨の報道があるが,これが犯行の動機の核心を示唆するのではないだろうか。
いずれにしても前田容疑者は,パソコンの知識には詳しくなく,後にFDの改ざんが見破られるとは少なくもその時点では考えていなかったのだろう。改ざん工作がばれることが分かっていたらこのような行動はなかったはずだ。
FDのデータ改ざんは,村木元局長が起訴された2009年7月4日の1週間後の7月11日であり,その後前田容疑者がFD改ざんをほのめかすようになるのが,村木元局長の第一回公判が開かれる2010年1月27日の直後である。
前田容疑者は,東京地検特捜部に応援派遣中,村木裁判の第1回公判でFDの最終更新日時が問題になっていることを同僚検事から電話で知らされ,そのときデータの書き換えの可能性があることを打ち明けたのである。
そして前田容疑者がFDのデータを改ざんした事実は,特捜幹部さらに地検次席・検事正も把握することになった。
もちろん検事正以下の幹部は,FDデータ改ざんに対する何らかの協議を行っているはずであるが,結局その後村木元局長の無罪判決がでる2010年9月までの約7か月間,データの徹底検証等をしないまま放置した。
おそらく検察は,村木裁判の公判中にFDデータが改ざんされていることが公になったときに検察が受けるダメージがあまりに大きいことに恐怖し,いまさら引き返すこともできないという進退両難の窮地に陥ったまま時間だけを経過させてしまった可能性があるものと思う。
今回のFDデータ書き換え疑惑は,自ら描いたストーリーに固執し過ぎた特捜部が客観証拠との矛盾という蟻地獄に陥りながら,最後まで村木元局長の有罪立証に向けて突き進んでしまった末の愚行と言うしかない。
それだけでなく検察は,前田容疑者がどのようにしてデータの改ざんをしたのか,改めてFDの所有者からFDを任意提出させて検証するなどの措置を講じることなく,これを隠ぺいしてしまった疑いがあるのであって,それは検察の存立基盤を揺るがしかねず,世間は,今,最高検による捜査の進展を固唾を飲んで見守っている。
最高検は、9月21日夜、大阪地検特捜部主任検事の前田恒彦を,押収にかかるフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして証拠隠滅容疑で逮捕するという異例の強制捜査の着手に踏み切った。
このFDは2009年5月26日村木厚労省元局長の部下であった同省係長上村被告の自宅から押収されたものであり,同FD内には上村被告が実体のない障害者団体「凛の会」側からの依頼で発行したとされる偽証明書の作成日時等のデータが保存されていた。
そして前田容疑者は,村木元局長の起訴(2009・7・4)の1週間後の2009年7月11日ころ,インターネットでダウンロードした専用ソフトを使用して上記偽証明書の作成年月日が「04年6月1日午前1時20分」とあったのを「04年6月8日午後9時10分」に書き換えているが,その動機が何であったかが問題となる。
検察の描いた構図(ストーリー)については,前回紹介したが,検察は村木氏が上村被告に偽証明書作成の指示をしたのは,同人らの供述等をもとに04年6月上旬としていたのに,FD内の偽証明書の作成日時のデータは「04年6月1日」になっていたことから,上村への指示は当然6月1日より前でないと辻褄が合わなくなってしまう。
また郵便局が凛の会に証明書の提出を促したのが,早くても6月8日であることが郵便局員の事情聴取から判明していたという事情もあった。
そこで前田容疑者は,検察のストーリーにすり合わせようとして,上村に指示した時期とFDの証明書の作成の時期との整合性を図るためFDデータの改ざんを試みたとみるのが自然である。
しかし,すでに押収したFDの検証を行って証明書の作成は6月1日に行われた旨の検察事務官作成の捜査報告書が作成済みである上,前田容疑者は,通常判決が確定するまで返還されない証拠品のFDを改ざんの3日後である7月14日にわざわざ郵送で上村被告の母親方に返還している。
なぜ前田容疑者がこのよな不自然とも思われる行動に出たのかは,前田容疑者が真実を語らないとその詳細は分からないが,あえて推測するならば,前田容疑者は,データが改ざんされたFDが弁護側に返還されれば,「改ざん」には気付かないまま,弁護側が,検察のストーリーに沿う客観証拠として証拠申請してくれるのではないかと期待したのではないか思う。
しかし仮に証明書の作成が6月8日とするFDが証拠採用されたとしても,上記捜査報告書の作成経緯が問題視されれば,FDのデータ解析が行われて,改ざんの事実が判明してしまう危険がある。
現に前田容疑者は,最高検の取調べに対し,上記捜査報告書があるのだから,故意にFDのデータを改ざんする必要はないなどと供述して犯意を否認しているそうである。
ではなぜ前田容疑者は,上記捜査報告書がありながら,これと矛盾するデータの書き換えを行ったのか不可解と言えば不可解である。
ただ前田容疑者は,公判部において,消極証拠になりうる上記捜査報告書を証拠請求することはないのではないかと思っていたのかもしれない。
またデータが改ざんされたFDがそれを知らないまま弁護側から証拠申請してくれれば,自らがデータの改ざんに関与したことが分かりにくくなるのではないかと思い,あえて起訴後間もない時期にデータの改ざんをしてすぐにこのFDを弁護側に返還して,その証拠請求を促していたのではないだろうか。
これはあくまで想像の域を出ないが,この点は最高検の捜査に委ねるしかない。
確かに,前田容疑者は,共犯者らの供述により村木元局長の共謀立証は固いと考えて起訴したものの,FDのデータが自らが描いた事件の構図を崩しかねないという不安を抱いていて,FD改ざんの持つ重大さの認識が希薄なまま,このような挙に出たのかはないか。
しかし,前田容疑者は検察のストーリーに沿う捜査を強行するあまり,客観証拠の吟味を疎かにしていることを留意しないまま,関係者だけの供述が揃いさえすれば起訴できると思い込んでいた可能性が高く,捜査全体を鳥瞰できていなかったことが,このような愚行を導いてしまった原因と言えるのではないか。
なお,前田容疑者は,その後同僚検事に「時限爆弾をしかけた」などと言ったとする旨の報道があるが,これが犯行の動機の核心を示唆するのではないだろうか。
いずれにしても前田容疑者は,パソコンの知識には詳しくなく,後にFDの改ざんが見破られるとは少なくもその時点では考えていなかったのだろう。改ざん工作がばれることが分かっていたらこのような行動はなかったはずだ。
FDのデータ改ざんは,村木元局長が起訴された2009年7月4日の1週間後の7月11日であり,その後前田容疑者がFD改ざんをほのめかすようになるのが,村木元局長の第一回公判が開かれる2010年1月27日の直後である。
前田容疑者は,東京地検特捜部に応援派遣中,村木裁判の第1回公判でFDの最終更新日時が問題になっていることを同僚検事から電話で知らされ,そのときデータの書き換えの可能性があることを打ち明けたのである。
そして前田容疑者がFDのデータを改ざんした事実は,特捜幹部さらに地検次席・検事正も把握することになった。
もちろん検事正以下の幹部は,FDデータ改ざんに対する何らかの協議を行っているはずであるが,結局その後村木元局長の無罪判決がでる2010年9月までの約7か月間,データの徹底検証等をしないまま放置した。
おそらく検察は,村木裁判の公判中にFDデータが改ざんされていることが公になったときに検察が受けるダメージがあまりに大きいことに恐怖し,いまさら引き返すこともできないという進退両難の窮地に陥ったまま時間だけを経過させてしまった可能性があるものと思う。
今回のFDデータ書き換え疑惑は,自ら描いたストーリーに固執し過ぎた特捜部が客観証拠との矛盾という蟻地獄に陥りながら,最後まで村木元局長の有罪立証に向けて突き進んでしまった末の愚行と言うしかない。
それだけでなく検察は,前田容疑者がどのようにしてデータの改ざんをしたのか,改めてFDの所有者からFDを任意提出させて検証するなどの措置を講じることなく,これを隠ぺいしてしまった疑いがあるのであって,それは検察の存立基盤を揺るがしかねず,世間は,今,最高検による捜査の進展を固唾を飲んで見守っている。