アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

続・納豆狂騒曲と日本の歌百選    (萩尾)

2007-01-23 | 音楽
「狂騒曲」と「日本の歌百選」の続編なので、カテゴリはまた、無理やり、「音楽」。
新聞その他の報道でご存知だろうが、例の納豆ダイエット騒動―結局、捏造ということが判明。
私は番組はみていないが、番組中で用いたデータが捏造もの。実験の結果・・云々をいう前の問題だ。
しかし、問題なのは、それよりも視聴者の反応だ。
TVでやることは、みんな正しいと思っている、いや、TVも報道機関なのだから、不確かな事を「こうだ!」と断言して報道するはずがない―と、善良な視聴者は信じているのだろうなぁ・・・。「鵜呑み」状態。
が、それにしても、売り場から納豆がなくなるほどの狂騒は・・いかがなものか。
これで、製造が間に合わないほどの注文に応えようと業者が作りすぎた納豆が、今度は、余ってくる。(業者も悲鳴!だそうだ)。
日本民族―国民性は、非常に扇動されやすい。
ひとつの論・一事に熱狂する。
今回は納豆だったからよかった(?)ものの、こういう一事に熱狂する国民性が、かつては、「アジアを救うのはわが国の義務だ!」などという美辞麗句、偽の大義名分に扇動され、熱狂し(マ、その前に「教育」で洗脳!されていたけど)、「否!」を誰も唱えることなく(「違う!」と叫んだら「非国民」である)、アジアへの侵略を始めたのだ。資源を持たないわが国が、アジアの資源に目をつけたことは紛れも無い事実。咎められれば、国連を脱退。そして、世界を相手の戦争へ・・・この戦争で逝った命たちは、この戦争を起こした人々ではなく、一般国民。
その悲劇から60年余の現在、あの頃と非常に似ている世相らしい。
為政者たちは一方向に向かおうとしているし、首相は、現実を(ついでにこの国の歴史も)全く知らないかのような、好戦性にあふれたひどく、危険な人物であるし・・。
彼は訪欧中ブリュッセルで言った。
「今や、日本人は国際的な平和と安定のためなら、自衛隊が海外で活動する事をためらわない」と、発言。
日本が「納豆狂騒曲」に酔いしれている間に、こんな危険な発言をこの国の為政者はしている。
そういえば、西武の松坂選手が大リーグに60億円で落札・・云々のニュースをTVはしつこいくらいに放映し、新聞も第一面に大きく取り上げたが、確か、その頃、「教育基本法改正案」が国会で通っていたのだったっけ・・。(目くらまし!・と、思ってしまった。マスコミも情けない!・・と、口惜しかったなぁ)。
話がそれたが、為政者のその発言は、吉田司氏(ノンフィクション作家)のコラムによれば、
「自衛隊の派遣先が流血の激戦地なら、ほとんど、お国のために死んでくれと、国民に告げるに等しい。こんな好戦性を見せる宰相は戦後一人もいなかった」
と、憂う。
日米同盟を大事に大事にしている首相は、その立場にいる人間がまず、考えなければならない国民の事が僅かでも頭にあるのか(無いだろうなぁ)。
その米国の大統領もイラクへの米軍派兵二万増員をきめた。議会が反対しても「それを決定して、前進させる」と譲らない。こいつ(ア、つい、本音が)、この人も、国民の事は考え無しの類(タグイ)の、吉田氏いわく、「日米の冷血宰相」の片方である。
前首相も日本にあった良いものを悉く費えさせたが、今度は、もっと、危険な状態になった。こんなに好戦性の高い為政者二人の下、どうなっていく?!この国は・・。
日本が今、向かっている方向「改憲」→「軍事立国」・・・これを阻止するのは国民の力だが、こんなことを書くと、次の国会で首相と与党が狙っている共謀罪が成立したら、逮捕・拘束・・かな。
が、大丈夫、「これを阻止するのは国民の力」と、一部の人間が言い立てたって、もはや、立ち上がるような日本民族ではなくなっているから(皮肉~!)・・。変な方向には熱狂し、扇動されるくせに、考えることをしないから、本当に拳を振り上げるべき時と事態がわからない(いや、それこそ、考えもしないだろうなぁ、悲しい、本当に悲しい)。
歴史が好きで、この国の歴史を大事に思ってきた私だから、余計に、先人たちの心に思いを馳せて、このままでは、ついに喪失してしまうであろう日本らしさ、この国の良さ、いや、それこそ、「アメリカのひとつの州のような日本が・・」と、北朝鮮が言っていたような形になり兼ねないこの国の未来が、悲しいやら、口惜しいやら、情けないやら・・である。

それでも、ホッと安心したことがあった―と、前回、納豆狂騒曲と一緒に書いた「日本の歌百選」だった。これにコメントをいただいた。
童謡や唱歌が音楽の教科書から消えたのは、
「歌詞が古くて、意味がわかりにくい。不適切な歌詞がある」といったことから、文部省が随分前に教科書から外した―とのこと。
随分と見当違いな理由で、外したものである。
確かに、たとえば、唱歌「ふるさと」を初めて習った子供の頃、その歌詞の「ウサギ オイシ カノ山」で、「何で、ウサギが美味しいのかな、ウサギを食べちゃうのかな」と思ったけど(笑)、先生が「ウサギが美味しいのではなく、ウサギ追いし・・ウサギを追いかけた」と、説明してくれた。(「教師が語る言葉」・・これも、今の教室から失われつつあるという。現場の教師が悪いのではない、悪いのは文部科学省の学習指導要領かな)
「古くてわかりにくい歌詞」というなら、
「君が代などは、もっと、わからない」―と友人が言った。
「親から子にうたいつぐ日本の歌百選」に、「君が代は入っていない」―と、新聞の読者の発言欄の片隅の「笑ケース」なる所に投稿されていた。
もっとも、君が代を国歌とするところに、実は無理がある。あの歌は明治天皇を讃える礼式の歌であるから、それを現代の国歌とするところに最初から無理があった。
マ、君が代について論じると、今度は国旗掲揚が・・云々となってくるから、その話は後日として、その「日本の歌百選」の中で、「揺籃のうた」というのが、わからなかった。
このブログを呼んでいる人で、歌詞を知っている方、どうぞ、コメントで歌詞をお知らせくださいませ。歌詞を読んだら、あるいは、わかるかもしれない・・と、期待しつつ・・。

長い文章、言いたい放題の一文となったが、ブログ(日記)だから、私の独り言である(と、弁解する私は、やはり、国家権力を恐れる弱い一国民??)。