緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

空から眺めた富士山

2011年02月22日 17時14分52秒 | 健康
2月22日(火)  

 どういう訳か、新年を迎えて仕事で四回も上京する羽目になり、航空券シニア割引を活用して東京まで一飛びの旅を楽しみます。今日のフライトは二百人乗りの大型機でしょうか、空席がかなりありました。時間もたっぷりとあり最後列の窓側を求めて空の光景に眺め入りました。この辺の浮き浮き心は小学生と同じです。さあ、絵になりそうな場面は無いかと目をこらしカメラを構えて下界を眺め入ります。



晴れた日ですので宮崎県の沿線、上空から順に大淀川と次は一ツ瀬川さらに小丸川と日向灘の海岸線、次は豊後水道を越えて四国の陸地に足摺岬、室戸岬と、更に海を隔てて紀伊半島の山容は確認できましたが、その先は進路を東へ沖合へと出て海岸線から遠ざかりました。高度一万メートルの上空から眺めますと、日向灘から遠州灘へ掛けては意外と近い距離である事が分かります。黒潮に乗れば北前船でも二日間もあれば遠州灘を通り過ぎるかなと思います。この辺りは風次第天候次第でしょう。筆者の気分転換を求める感想です。



こうして上空から日本の海、黒潮流れる太平洋の一角を眺めますと、土佐のジョン万次郎が幕末期に仲間の漁師と伴に遭難して太平洋へと流されたのは天候不順と潮の流れから反れたせいかなと感じました。紀伊半島の最南端に位置します串本町、その東隣にある紀伊大島と橋でで結ばれているのが上空からよく確認できました。紀伊大島とは意外と大きな島でもあります。



五〇年前に旧運輸省航海訓練所練習船銀河丸で日本一周した一ヶ月間にわたる訓練航海の世界へ入り込んでいきます。当時は海上から眺める海と陸と空ですから、どちらか言いますと平面的でした。それでも三千噸級の練習船には一応の安定感があり新入生には大船に乗船した気分でしたが、外海へ出ますとローリング・ピッチングとかなり揺れますので六六名の練習生の中には食事がノドを通らなくてふらふらになる者も出て来る始末です。季節も十一月で紀伊半島最南端潮岬沖とは海が荒れる頃、白波が立つ頃です。季節練習生には難所の一つでした。



こうして上空から日本地図を片手に眺めますと遊び心が浮かんできます。五〇年間が経過しても海も空も何も変わっていない感がします。海と空の世界には時計が無いように見受けます。その後、名古屋湾の入口、知多半島と渥美半島の形がハッキリしません。中部空港セントポーリアはどの辺でしょうか?判明出来ませんでした。すっかり上空での地名当て遊びに乗った感があります。



一万メートルの上空で同じ飛行中の旅客機を眺めるのも不思議な気分です。平和な時代です。そんな他機に気を奪われていますと、南アルプスでしょうか、三千メートル級の山脈が白く冠雪して現れて来ました。そして、その先に日本のシンボル富士山がうっすらと白い姿を現してきました。なるほど、富士山までたどり着いてようやく一人前だなとうなずきました。


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