緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

ウィーン・フィルを鑑賞して・To watch the Vienna Philharmonic orchestra

2010年11月08日 18時18分10秒 | 芸術
11月08日(月)    

 なかなか音楽をまして管弦楽などゆっくりと聴き入る機会など滅多にありませんが、昨日は友人の誘いもあり宮崎県立芸術劇場(メディキット県民文化センター)まで出向き午後五時より開催のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団宮崎公演を鑑賞しました。指揮者はジョルジュ・ブレートル氏(86歳)、演奏曲目は「シューベルト:交響曲第2番変ロ長調D125」と「ベートーベン:交響曲第3番・変ホ長調op.55「英雄」でした。


今朝の緑道公園でながめた葉っぱのかずかず

演奏会場となりましたアイザックスターンホールは世界のどのホールと比較してもひけをとらない演奏会場であることが素人目にも見て取れます。時間が来て開場そして開演になりますと指揮者の入場でそのまま指揮台に立ち演奏に入ります。演奏に先立ち何の説明も解説もありません。ホールは長方形になっており、観客席の三辺が三階まであり、ユニークな演奏会場に見えます。定員はおよそ千五百名でしょうか満席の状況です。



演奏が始まりますとひたすら聴き入るのみです。演奏の楽団員は数えてみますと六〇名は下らない数、弦楽器と管楽器、どちらか言いますと弦楽器の数が多そうです。交響楽団の演奏会場となるのは大半が室内が多い、管楽器の数が限られて来るのかなとその成長過程を考えて見ました。資料を開いてみますと、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の生い立ちは一九八二年にO.ニコライ指揮で開演したコンサートで幕を開けたとあり、歴代指揮者の中にカラヤン、小澤征爾の名前が連ねてあり、このお二方の名前でウィーン・フィルのイメージが浮かんできました。今年で来日二八回目とありますから日本はお得意様か。



客席はやはり女性客が多め、シューベルトとベートーベンと曲の違いも判断できない身ですが、演奏時間はひたすら耳で聴き取る、六〇余の楽器が奏でる曲が一つのうねりとなり波が岸辺に打ち寄せる如く変化自在の表現を繰り広げます。なまじっか先入観は無い方がまし、感じ取るのはわが魂か、素人の耳にも各楽器が奏でる音色は滑らか、聴いて心地よい音色です。楽団の歴史にはスキルの集積が随所に見受けられるのでしょう。



シューベルトが終わりますとベートーベンの演奏まで二〇分間の休憩です。この時間をかっては長くして社交の場に使われましたと。全体として後半ベートーベンの曲を終えて、アンコールにハンガリアン舞曲とポルカが演奏されて絶大な拍手を浴びて観客も席を立つのが惜しげでしたが、終演までその間二時間でした。それこそ耳に残った演奏の余韻だけが昨夜の成果です。



感想として述べますと、人間は生まれながらに音感を持ち合わせています。或いは更に独断を申しますと、その人独自の音楽を持ってこの世に生まれて来ております!本来なら自分の音楽が何であるかを追究して知らねばならぬのです。自分の音楽を持ちますと他人様の音楽も我が音楽の如く聞こえてきます。この辺が楽しい処ではないかと演奏の間に想いを巡らしました。平和が続きますと、これからも続くと思いますが音楽の世界も益々身近なものになると理解しました。

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