緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

近づく奄美大島の祭りアラセツとシバサシ

2011年08月23日 18時40分37秒 | 民俗芸能
8月23日(火)  

 黒糖焼酎のお礼に奄美市笠利町へ電話を入れてみました。電話の待ち時間に奄美の風景が浮かび上がり夏は南九州も奄美大島もおなじ位に暑さの中にあります。一回目の電話は不在、時間を置いて二回目の電話をしますと聞き慣れた声が聞こえてきました。お中元の御礼を申し上げて九月は奄美大島へ出向きたい旨を述べますと、歓迎の声が笑い声となって伝わってきます。


奄美市笠利町佐仁の海

八月踊りとアラセツとシバサシの違いはどのように区別するのか、細やかな説明をする事が出来ませんが、旧暦八月最初の丙の日を基準としてアラセツとシバサシはその年の祭り日程が決まります。八月踊りは筆者の想像する世界の事ですが、稲作儀礼の一つで秋の収穫を感謝する祭りで有ると認識します。狭い島内で稲の収穫高を上げる為に二期作が奨励されていたと、或いは裏作は芋類や根菜類の二毛作か。稲の収穫は集落の最大行事八月踊りで五穀豊穣・家内安全・集落平安と続きます。


佐仁のシバサシ(撮影:2007.9.19)

南島へ祭り見物に出かけて感じます事は、祭りの始まりにチジンの音や唄者の声に踊り手の体がすーっと吸い込まれるようにして、揺れ動き踊りとなっていく様は、何とも不思議な世界へ入り込んで行く始まりです。南島の小さな集落に故郷へ帰る気分の如く訪問の回数を重ねますのは、あのリズム感が自分の遺伝子にも繰り込まれているのかと思ったりします。


踊り衆の訪問先で振る舞われる料理

現地で個人の写真撮影の事を話しますと、八〇歳記念写真を奄美市主催で撮影して貰ったと電話先から返事がありました。近所の仲良し三人組で記念写真を撮影するという約束をして一段落。額入りの写真とはさまざまな場面で思い出の記念となり、プレゼントとしては申し分の無いものとして、そんな場面を撮影する事に心がけております。次にアラセツとシバサシの日程は如何に?アラセツが九月八日・九日でシバサシが十四日・十五日に決まりましたと。どうやら旧暦八月二回目と三回目の丙の日を祭り日と決定されたようです。


楽器はサンシンとチジン

今月十三日夜に客船にっぽん丸船上から眺めた関門花火大会の花火、海峡の夜空を赤く染め明かす一万三千発、ようも飽きもせずに打ち上げたものだと飽きもせずに見入った見物人の弁でもあります。それも東京電力の福島第一原発事故が収束の目処も立たない中で、全国いたる都市で花火大会は開催されており、どこかで奄美大島八月踊りと相通じるものは何で有りましょうと?考えます。


九州からも踊りに参加する人が結構おられます

祭りには勢いが有ってこそ祭りの醍醐味があり、祭りで何かの一区切りと子ども達へ伝えようとするものが溢れ出るもの。勢いを祭りの中心に持って行きますと、祭りへのとらえ方も微妙に変化するのではないか?むしろ勢いを男と女の表現から捉えますと祭りの雰囲気が伝わるようでもあります。何かしら混迷の中へ入っていきそうで、解明には祭りへ出かける事で混迷の糸口が見えると。


こうして写真を眺めますと故人となられた方もおられて感慨もひとしお

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