緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

ダライラマ法王来日法話

2010年06月27日 14時33分35秒 | 宗教
6月27日(日) 

 二六日の朝早めに会場パシフィコ横浜展示場に着きますと、そこは長方形の会場、フラットな室内にずらりと椅子が並べてあります。主催者発表は一万人の参加者と申します。このような広い会場で法話を拝聴できる機会は今回が初めてで規模の大きさは首都圏ならの会場でもあります。それと何を感じればよいか?宗教を求めている人が自分自身をも含めて多く存在する現実でしょうか。21世紀とは新たなうねりが科学から宗教へも向かう兆しでしょうか。前方中央部に主演台が据えられて左右に大型スクリーンが設置されております。入場者はアジア各国から参集されておるのか、さまざまな民族衣装をまとった女性を見受けたり韓国や台湾からツアーで出向いて来た信者集団も見受けます。また、参列者の法衣も異なりアジアの仏教が垣間見えます。



さて、肝心な来日法話横浜会場の時間割は午前十時から正午までが法話「縁起賛と発菩提心」、午後一時から二時までが各国(インド・台湾・モンゴル・韓国・チベット・日本)仏教僧侶による声明による祈りの時間です。その後、法王による講演が続きます。いずれにしても六時間の長丁場、こんな機会はこれからも有りますかどうかです。法王の使います言語は英語とチベット語、会場には翻訳日本語が流れます。



法話「縁起賛と発菩提心」について素人解釈は余りに無謀な感が有りますので敬虔な祈りを込めて数節を表記します。
   文殊菩薩に礼拝いたします。
1.[縁起を]見て、[それを]説かれるため、[釈尊は]無上の知者であり、無上の師である。 [故に]縁起を見て、それを説かれた。勝利者[仏陀]に礼拝いたします。
2.この世のいかなる堕落も、その源は無明である。[縁起を]見ることにより、それ(無明)を滅することができるため、縁起の[の教え]を説かれた。
3.故に、知性ある者が、縁起の道こそ、あなた(釈尊)の教えの神髄であることを、どうして理解しないことなどあろうか。
5.「条件により依存しているものはみなその自性は空である」これよりも驚くべき、どのような善き教えがあると言うか。以下58節まで続きます。(Japanese translation completed on May 2010 by Maria Rinchen)



法話の始まりは、「知恵をはぐくむことは仏教で最も大切なことです」。この言葉はすんなりと法話の世界に入り込む誘導路の役割を果たしたようで、「空」の認識が筆者には完成していませんので消化不良の感で終わります。宿題を頂きました。宗教論として仏教の本質は神を信じない宗教、神を持たない宗教と教えられます。午後から講演を通して説かれる新世紀について、世界は一つになってしまったと。非暴力の大切さを宗教家として説かれるさまはインドに起源をなす宗教が連綿と続いていることを知ります。喜捨の心も延長線上にありますか。
最後に講演の中で印象に残りました言葉を表記してみます。「相手に対する慈悲の心を自分に育てる」とは、すなわち「どれだけ他者に思いをなす事が出来るか、広いゆったりとした心で他者のためになる考え方を持つ」と教えて頂きました。

重い法話も軽いつぶやきが

2010年05月18日 17時43分10秒 | 宗教
5月18日(火) 

When we can recognize and forgive ignorant actions of the past, we gain the strength to constructively solve the problems of the present. (http://twitter.com/DalaiLama
過去の無知な動作を認めて、許すことができるとき、私たちは、現在の問題を建設的に解決するために強さを獲得します。(exicite翻訳)
我々が過去の無知な動作を認めることができて、許すことができるとき、我々は建設的に現在の問題を解決する力がつきます。(infoseek翻訳)



ツイッターで始めて出逢った宗教家はチベット仏教のダライラマ法王です。彼がどのような法話を世界へ向けて説いているのかほとんど関心を持ちませんでした。家族の誰かがダライラマ法王をフォローしたのが縁で法話を拝読する機会を得ました。縁は大切にしましょう。当分の間、ダライラマ法王を英文法話と機械翻訳文で追っかけてみます。
http://www.dalailama.com/



本日、本業の合間で為した別作業は、Twitterへ飛んで検索欄(友だちを検索)で「Lions Club」を入力しますと、主にアメリカLionsClubのツイッターが出て来ます。そのクラブ数は九〇を越えており、この数は何かに使えそうです。筆者のリスト「lions-club」へフォロー中に各クラブを加えて行きます。これらフォロー中の「Twitter」には各Lions Clubのイベント紹介が掲載されており、そこへ飛びますと動画であったりHPであったりして各クラブの活動が把握出来ます。流石にTwitterはアメリカ生まれだけ有りアメリカ人は器用に使っております。因みに日本語で「ライオンズクラブ」と入力しますとLionsClub333Cしか検索されません。この辺は今後の展開を期待して穏やかに考えて行きましょう。
(http://twitter.com/higasimay)



こうして見ますと、ブログより簡便なTwitterは今後とも通信手段として、つまり情報伝達の導入部分の役割を果たしそうです。もちろん、百四十文字でも充分に情報伝達の役割は果たしますが、動画や写真を掲載出来る事やブログやHPへリンク出来ることは、思った以上に使い道がありそうです。とは言っても、まだ、筆者は充分に機能を理解しておりませんが、それでも横への広がりは目を見張るものがあります。
http://twitter.com/ )



手元に「Twitter社会論」(新たなリアルタイム・ウェブの潮流)津田大介著・洋泉社 があります。手頃な頁数で面白く読みこなすには、なるべく記事をパソコン上で確認しながら読破して行きますと何かしら理解出来る面が見えてきます。その分だけ読む文章を限られてきます。



さて、夕方になっても低く垂れ込めた雨雲はそのまま変化がありません。田植え準備が整う水田の期待を裏切ること無く、やがて雨季に差しかかります。春は思いのほか満開の花が目につきました。電話が鳴り、電話先から友人は人間気持の持ちようが自分自身でもなかなかコントロール出来ないと申されます。なるほど、その辺は筆者も同じで、つい喜怒哀楽の波に乗り、気づいた時には独りで傷ついていると申しますと。やっぱり、人間は雲の上を歩いている気分も大切だと納得されたご様子です。



「雲の上」を「空気の上」と解釈しますと、かなり分かり易くなり日常業務にも描けるような表現になります。Twitterが世の中に広がりますのは、誰に対してでもない軽い会話も必要で、ヒントとなるのはその時の雰囲気と相手の人柄によるのでしょうか。法話の専門家が短い言葉で法話を説くとは?人間は外に出る時にはこのくらいが気楽か!です。

ダライラマの法話とは

2010年05月13日 17時18分53秒 | 宗教
5月13日(木)  

In the biggest sense, environmental education means learning to maintain a balanced way of life. (http://twitter.com/DalaiLama)(http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2010japan/
最大の意味では、環境教育の生活のバランスの取れた方法を維持するために学習を意味します。(google翻訳)
最大の意味では、環境教育の生活のバランスの取れた方法を維持するために学習を意味します。(excite翻訳)
最大の感覚で、環境教育は学習をバランスのよい生活様式を守ると定めます。(infoseek翻訳)


都城市緑道公園、この辺りは人家や公園もありムクドリが繁殖している地域です。

ダライ・ラマ法王 2010年 来日情報(http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2010japan/)がツイッター上で見つかりました。 【長野 講演】6/20 Sun  【金沢 講演】 6/22 Tue  【横浜 法話・講演】6/26 Satと六月には国内三都市で講演会が開催されます。まあ情報に関しては驚くばかりで、便利な世の中です。その気になればさまざまな情報が難なく(少しオーバーか)手に入りのですから、これからどのような世界に巡りあえるのか?興味津々、なろう事なら三会場のどこかに出向いて説法を拝聴したいものです。おっと、既に金沢会場は満席です。モニター席しか空席は無いとの事です。


来月には田植えが始まる都城市早鈴町の水田風景

何故にダライラマに関心を抱くか?ほんの僅かな日数ではないかと自問自答。古希ともなっても、なおかつ、日々の出来事や出逢う人様の生き方にも戸惑う場面があります。そんな時は凡人の常でエネルギーも使いますし感情の起伏も激しくなります。さて、どうすれば良いのだ?まず考えますことは、必ず導きの手は有るはず、むしろ自分で探し出せるはず、先人の通った道があるはず、その一念が苦難の底から這い上がる源で有るはずです。その先に叡智が人を救うと考えるようになります。

人間は本来自分の中にある叡智に気づくのはどのような事がきっかけになるのでしょうか?或いはそんな事は序の口で何らかの心の整理学が有るはずです。その辺がやはりヒントになりダライラマ法王の説教を拝聴してみたいと続きます。下記の内容を確認して、早速、愚妻と二人分を申し込みしました。

<法話> 縁起賛と発菩提心
The Virtue And Practice of Connectedness and Generating a Kind Heart
より幸せに生きるための智慧。それは、縁起と菩提心です。
一見難しそうに見える仏教の教えは、実は、毎日をより上手に生きていくための
道しるべであり、日常生活の中で活かせるアドバイスばかりなのです。
今、あなたが抱えている悩みをうまく乗り越えていくためのヒントを、
ダライ・ラマ法王が仏教的な観点からわかりやすく丁寧に解き明かして下さいます。
今日よりも明日をより幸せに生きていくための智慧に、あなたも耳を傾けてみませんか?

ダライラマのa good attitude

2010年05月12日 17時50分40秒 | 宗教
5月12日(水) 

Since we all belong to this world, we must try to adopt a good attitude worldwide, a good feeling for our fellow brothers and sisters.
私たちが皆、現世に属すので、私たちは世界中に良い態度を採用しようとしなければなりません、私たちの仲間兄弟に関する好意。(excite翻訳)
我々はすべてのこの世界に属しているので、立派な態度を世界的に、我々の仲間の兄弟姉妹のためにいい感じを採用しようとする必要があります。(google翻訳)
みんながこの世界に属しているので、我々は世界中で良い態度(我々の仲間の兄弟と姉妹のための善意)をとろうとしなければなりません。(Infoseek翻訳)

本日は、ダライラマのつぶやきを朝に拝読して、午後の時間に、たまたま、仕事合間に「検察が危ない」郷原信郎著・ベスト新書を読んでいました。頁数で二〇六ページありますが、何せこの分野は不勉強で皆目検討もつかない世界です。検察官であった著者が検察に対する劣化の過程を本書で細やかに指摘しており、それだけに噛みしめながら読みますと、つい時間もかかります。司法行政について内部の現状まで細やかに知る機会なんてまるで有りませんでした。それだけに検察庁の実情が本書から透けて見えて来ます。

本文の中で「刑事訴訟法」の二つの原則と言うのがあり、日本の刑事司法の特徴とあり、書き留めておくに値すると感じましたので記してみます。
一つは、「起訴独占主義」である。刑事事件の起訴、つまり刑事裁判に掛けることは国家機関である検察官の権限とされていて、検察官以外が行う事ができない。
もう一つは「起訴便宜主義」。検察官は、犯罪事実が認められても、情状を考慮して起訴をしないという「起訴猶予処分」を行うことができる。
著者は続けて「刑事司法の正義は事実上検察に独占されている。」と記載しています。そう言えば弁護士が刑事事件の起訴をしたと聴いた事がありません。独占の危うさはあらゆるものに通じるのでしょうか。まさに「検察が危ない」は「日本が危ない」に通じるタイトルです。つくづくと世の中の矛盾を感じさせられる著書です。

さて、日本検察制度の矛盾を感じた心でダライラマのつぶやきつまり「a good attitude」良い態度とは何でしょうか?どうすれば良いのか一瞬ためらいが走ります。数年前の映像で雪中の逃避行、国境山越えをするチベット人集団を中国国境警備兵が射撃して無防備のチベット僧が殺される場面がテレビで放映されました。何とも後味の悪いもので、見てはいけない場面を見てしまったと言う切なさを感じました。
人間社会は左に大きく揺れますと何らかの力が作用して今度は逆方向の右に振ります。あの力は何であろうかと考えます。左右に振り舞わされる当事者には精神の錯乱を来す場合があります。「a good attitude」とは人間の叡智なのでしょうか!苦難の中で叡智にたどり着くには並大抵ではありません。しかし、叡智が無ければ人間は生きて行けません。

愛は人間の永い歴史から生まれる

2010年05月10日 18時16分25秒 | 宗教
5月10日(月) 

Without love, our society is in a very difficult state; in the future, we will face tremendous problems. Love is the center of human life.(http://twitter.com/DalaiLama)
愛がなければ、私たちの社会が非常に難しい状態にあります。 将来、私たちは、物凄い問題に直面するつもりです。 愛は人間の人生のセンターです。(excite翻訳)
愛なしで、我々の社会は、非常に難しい州にあります;将来、我々は相当な問題に取り組みます。愛は、人の生命のセンターです。(infoseek翻訳)
愛がなければ、私たちの社会は非常に難しい状態になって、将来的に、我々は大きな問題に直面します。愛は人間の生活の中心です。(google翻訳)

現代社会、愛の対象は人様により異なるでしょうが、やはり、人間は永い歴史を体験して身近な人から始まるのが自然か。人様への愛が継続して、そして、広がるには出発点は家族が最適かな!家族への愛とは、その家族に人間の奥深い歴史が刻み込まれていると感じます。第一段階が無ければ次の段階もありません。詰まるところは、愛とは常に心に置いておくべきもので、その事に気づくにどれほど人を傷つけたか、或いは人に傷つけられたか、愛の輪を広げるには試練も乗り越えねばならず、どなたかの力添えも求められます。 愛を持つ人に出逢うは幸いなり。

ダライラマとiPad

2010年05月09日 17時47分11秒 | 宗教
5月9日(日) 

 本日はネット上にダライラマのつぶやきは見あたりません。伝道者にも日曜日は休日なのか、内心は何処かでほっとする部分があります。筆者も休日はノンビリとした時間の中で一日を過ごしたいもの。しかし、好奇心旺盛といいますか、ダライラマのツイッターホームを覗いてみました。「フォローしている」が0人、「ファラオ-されている」が三一〇,四〇三人、それにリスト一四,七一八とあります。自分でツイッターを始めますと分かる事ですが、なかなか重みのあるつぶやきを口走るには並大抵ではありません。つまり、筆者を始めとした凡人には無いものねだりだからです。

なお、この数字で感じます事は「フォローしている」が0人とは宗教家の心構えを見る思いであります。こんな処にも宗教家の考え方が現れるものか!です。また「フォローされている」が三一〇,四〇三人、それにリスト一四,七一八はさすがの数字だと思います。世界中の人がチベット仏教伝道者のつぶやきに注目しているのでしょう。それにツイートが一二三ですから、比較的に最近始めたばかりのようです。ツイートを遡ってみますと今年二月二二日がスタート日になっています。筆者のスタート日が三月九日ですからツイッッターではダライラマとほぼ同期の桜です。出発時期がほぼ同じですと、後は何が異なるか?そこから人生が見えたり世界が見えたりして、古希者には新たな叡智を頂けるものと見ます。

本日の本論はアメリカで好評をはくして近々日本でも発売される「iPad」についての話題を取り上げようと考えています。ダライラマに関して序文が少し長めになりました。日本でも今月二八日に「iPad」が発売になりますが、発売日の混乱を予想してか明十日より予約受付が始まります。前回の「iPhone」発売については何ら関心の持ちようが有りませんでした。何がすごいのか?まるで認識無し。しかし、今回の 「iPad」発売に関しては「Android」搭載端末ドコモHT-03Aが発端となりグーグルが開発しました携帯端末向けOS「Android」の機能を把握した点がヒントになりました。つまりIT情報技術は日に日に進化を続けている事です。使って始めて理解出来る事でもあります。

IT情報技術の新機能とは使ってみますと便利なもので、動画や写真等が軽く転送できます事は結果として豊かなネット生活が始まるに一歩前進。しかし、ネット表現は情報公開にも関連しますので、それなりの考え方や法規の熟知や訓練なりを必要とします。この辺は当然の事ながら世渡りと同じで年季をも必要とします。

そこで市内ソフトバンク代理店に出向いて予約情報を求めてみました。受付の男性が申すには明十日の南九州界隈の予約受付は宮崎市内代理店か鹿児島中央駅の代理店計二ヶ所に限られているとの事です。そんなに購入を急ぐ必要も無いかもしれません。しかし、話題性の有るうちにIT新機種と出逢う事はこれも世渡りの一つかもしれません。まず基本的な通信網Wi-Fiや3Gなどは使ってみて始めて理解出来ますし、ネット網も多様化している事を無意識の内に知らされる羽目になります。また、IT情報技術の進化の速さをダライラマも内心楽しんでいるかもしれません。「コンピュータは道具だ、道具より心が重要だ」と。まさに伝道者の思うつぼです。

宗教家の背景

2010年05月08日 17時49分57秒 | 宗教
5月8日(土) 

It is important to understand that between you and others, others are more important because they are far more numerous. (http://twitter.com/DalaiLama

彼らがはるかに非常に多いので、あなたと他のものの間では、他のものが、より重要であることを理解するのは、重要です。(excite翻訳)
これは、重要な理解することですが、彼らははるかに多数であるため、あなたと、他の人がより重要であると。(google翻訳)
あなたその他の間で、彼らがはるかにより非常に多いので、他がより重要であると思うことは、重要です。(infoseek翻訳)

ダライラマ、昨日のつぶやきを拝読して一瞬戸惑いが走ります。心にストンと落ち込んできません。何故だ?翻訳のせいか?三ヶ所に翻訳を掛けてみますと、同じような文面が出て来ます。個人と大衆とどちらが重要か?大衆が重要だ!うなずける面はありますが、もう一声すっきりと場面が心に描けません。どこで道を踏み外したのか、チベット仏教と浄土真宗とどのような面が異なるのか?

場面を変えてみる事にします。昨日は奉仕活動団体の話し合いがあり、主発言者の立場になり事案について説明しました。参加人員は六名、一通り説明を終えると、A会員から筆者に助言がありました。「説明を聞いた五名の会員はそれそれ異なる考えをしますよ」と。それだけ人様の考え方は広いと伝えています。なるほど印象に残る言葉を頂きました。間接的に賛同の意味が込められていたのか!諺にもありますが「三人寄れば文殊の知恵」。

自我の目覚め、自己主張、独立独歩、その様な世界から離れた別な世界が有る事をダライラマは伝えようとしているのかな!チベット仏教が育まれたチベット高原、僅かな情報しか持ち合わせません。例によってグーグルアースで覗いてみましたが、やはり遠方の国、人の生き方が異なるのか、それでも宗教とは大きく人々を包みこむはずです。

オレオレがと自我に走る時は転ぶ寸前でしょうか。チベット高原には民主主義とか資本主義社会とはまるで縁の無い世界。チベット仏教でまず思い起こす事は三歩進んで次は地面にひれ伏す祈りの作法、五体投地。その昔、修験者が千日修行を終える日は五体投地で高千穂峰へ登り感謝を心を表しました。厳かでした。なるほど自己主張とはまるで別世界か。その上で多くの人々はさらに重要であると。

othersを社会と解釈してみますと、人は取り巻く社会の何かに気づくべきと続きます。「あなたと社会の関係を理解する事は人間として生きていく上で大切な心構えです。社会はその大きさ故に深さも持ちます。深さの中にさまざまな叡智があります。社会の叡智を常に心して生きて行く事はあなたの人生に悟りをもたらします。」

宗教家の説法

2010年05月07日 17時21分33秒 | 宗教
5月7日(金) 

If you wonder what you were doing in the past, look at your body; to know what will happen to you in the future, look at your mind. (http://twitter.com/DalaiLama

過去に何をしていたかと思うなら、身体を見てください。 何が将来起こるかを知るには、心を見てください。(excite翻訳)

昨日に引き続きダライラマのつぶやきを拝読して心に触れる言葉として感じ取りました。本来、仏教とは教義が庶民に分かり易い教えであると考えております。分かり易さが無ければ時間を超えて地域を越えて世界の人々に教えが深く浸透しないからです。教えが心深く刻まれるのは伝道者の透明な心が有ればこそです。この辺が修行を積んだか積まないか、庶民がその領域まで達するには年月をも多く必要としますし、必ずしも達するものでもなくて煩悩の波に飲み込まれるのが人間の性です。

「あなたの過去は体に刻まれており、決して心には刻まれていません。あなたの未来は体には有りません。心から新たに生まれいずるものです」。なんと人に優しい言葉か、人が絶望の淵にあっても、しっかりと勇気づけてくれる言葉と捉えます。過去と未来、体と心、対称的な存在を比較して違いを解き明かす説法は、古来から人類が受け継いだ思考法の一つと考えます。

宗教家のつぶやき

2010年05月06日 15時06分37秒 | 宗教
5月6日(木) 

Human happiness and satisfaction come from within oneself; it is wrong to expect some final satisfaction from money or a computer. (http://twitter.com/DalaiLama
人類の幸福と満足は中から自らに来ます。 お金かコンピュータから何らかの最終的な満足を予想するのは、間違っています。(エキサイト翻訳)

昨日のツイッターで拾いましたダライラマのつぶやきです。宗教家がIT情報技術に関心を持ち、それを宗教活動に活用している場面をあまり見掛けません。筆者も仏教徒ながらチベット仏教にとりわけ注目している訳でも有りませんが、それだけにダライラマのつぶやきは空間を飛び越えてストンと心の中に入り込んできます。この辺りはダライラマの叡智を見る思いでもあります。

チベット高原にそそり立つラサのポタラ宮は十三階建で十八世紀に掛けては世界一高い建物群であったと言いますから、なにやら、当時のチベットは建築技術でも世界水準か或いはトップクラスに有った事が想像できます。その流れが現代のダライラマに引き継がれてツイッターで世界の人々に宗教家のメッセージを送っています。

最終的にはお金やコンピューターが人々を幸福にする訳では有りません。人々の幸福と満足は心の中から湧き上がって来るものです。心の中から湧き上がるものを生活の中心に備えて日々を満足するには、かなり、現代の日本人には勇気を必要とします。何故だろう?

旅路の先にあるもの

2009年05月19日 18時09分31秒 | 宗教
5月19日(火)  

この数日、少し疲れが出てきて、日々の行動にもう一声が足りない。酒でも飲めば直るか!毎晩飲んでいる酒に今さら頼っても疲れが急激に取れる訳でなし。これ以上に痛飲したら朝が大変、それともお湯割りから冷酒の季節に変わりおるのかな!酒も夏バージョンと言う処でしょう。そもそも疲れも元は大半がストレス、ストレス発生は仕事に関係します。そうであれば仕事が終わるまで日々の生活を慎重に対応して粗相がないようにする以外に疲れを取る術はない。どこかで生活の波長が微妙なひずみを生じています。



それでも今の季節は目ざめも早くて五時を過ぎますと起床気分、六時を待ってNHKBS放送ハイビジョンで西洋音楽に聴き入ります。ここの処、国内外のクラシック歌手が歌曲を歌っており、ニュースよりよっぽどマシだなと思うようになりました。朝から音楽のある生活は年季がいるのか愚妻はまだ興味を示しません。いつの間にやらミュージックCDもたまって無造作にテレビの脇に積まれたままです。そんなんでクラシックも気楽に聴けるようになりました。



ミュージックCDにつきましても取り留めがありませんが、気づいて曲を調べますと東洋音楽、中国音楽は聴き込んでいきますと違和感を持たなくなります。むしろ中国楽器で引きこんだ曲はすんなりと心の中へ溶けこんできます。楽器は何でしょう?弦楽器だから二胡かな、観光地や旅先で求めたもの、とりわけ夢中になったジャンルが有るわけで無し、その程度の知識です。二胡の調べから受けるイメージはさしずめ大陸の薫風でしょうか。若い女性演奏者はchen min とあります。



こんな時は旅に出たいのが本心かな?それも海外が良いですね!海外と言ってもそんな遠い処まで行くのは大変で、さしずめ台北旅行をしてみたい。昨日の地方紙には宮崎県知事の笑顔をセットして五月から九月までの台湾旅行の日程と内容が四段階の料金でカラー広告二ページを飾っていました。宮崎観光を復活するためにも宮崎台湾航空路の維持は大切。南の風か台北市儒教と仏教の混じりこんだ龍山寺へ参詣に出向きたいなあ。



寺院に参拝して思わず知らずに涙が流れる心境。ここにも数回書きましたが、龍山寺で体験しましたのは観光バスを降りて西門から境内に入り、墨染めの衣を羽織った仏教徒が唱える読経が耳に入ってきました。読経には不思議な抑揚があり、日本寺院での読経とも異なり、老婆も多い女性信者の読経は彼女たちが体験してきたさまざまな苦労が表れているみたいでした。
あんな場面に出会いますとどうにもなりません。波長が合ったのでしょうか涙があふれてきます。宗教について深い信心を持っていたわけでもありませんが、あの読経で涙が流れ落ちてオレは仏教徒だなとハッキリ悟りました。それから龍山寺を菩提寺にしようと独り決めです。心のたどり着く先があるとは幸せの一語。



なるほど、聖地巡礼、良い言葉です。巡礼するには聖地を持たねばなりません。日本ならば身近な処で四国八十八個所めぐり巡礼の旅、同窓生には数回巡ったという人もいました。回教徒ならばアラビア半島メッカ巡礼。仏教徒は菩提樹の元、祇園精舎のインド巡礼。疲れの先に聖地巡礼があると人間の叡智は深いものです。