飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

ジャガイモは、やはり土寄せ! 家庭菜園のコツ

2015-05-15 18:11:02 | 自然農法の部屋

毎年わが畑の世話をたのんでいたシルバーの爺さんが、奥さんの体調不調で今までのように来れなくなった。
そのため、春一番の農作業であるジャガイモの種イモの植え付けも、かなり遅れてしまった。
これ以上遅れては!と、気を使いながら催促したところ、ようやく翌日来てくれる事になった。
ところが、その日は、あいにく朝から雨が降り出し、家の中でがっかりしていた。
すると、シルバーの爺さんがひょっこり玄関に顔を出し、「終わったよ!」と言って帰ってしまった。
えっ、いつの間に?と驚いた。
不審に思って、翌日畑を見に行くと、
「えーっ、何ていい加減なやり方だ!」
とあきれた。
と言うのは、昨年秋に白菜を育てた黒マルチの畝がそのまま残っていた。
その白菜が植わっていた穴に、種イモを埋めただけだった。
こんなやり方なら、ほんの2、30分でできるはずだ!と合点がいった。
私は、黒マルチの畝の中央部に深い溝を掘って、ボカシ肥を入れ、そこに種イモを植えてほしいと頼んだつもりだった。
当然黒マルチを破っての話だったが、それを言わなかったための誤解だったかも。
「もう済んだ事は仕方ない!何はともかく、時期ぎりぎりまでに何とか植わったのだ」
と思う事にした。
しかし、よく考えてみれば、もし、これでうまく収穫できれば、来年から私自身でもできる楽な方法と言う事になる。
「よし、あとは土寄せ次第だな!」
と覚悟し、心配等はさらさら無かった。
むしろ自信の方があった。
何故なら、昔の「耕福塾」での実例だが、それまで2、3個しかジャガイモを収穫できなかった痩せ地に、私の指示でボカシをまいて3回土寄せをした。
すると、皆が驚くほどの大収穫となって担当した熟成が喜んでアチコチにイモを送ったくらいだったのだ。
さて、先日、シルバーの爺さんに、再び少しの時間を取ってもらって、キウリとスイカの苗を植えに来てもらった時、
「心配していたが、イモの芽が出かかっているわい」
と畑の様子を覗いて安心したように告げて去った。
当然、その後も、手入れに来てくれると思っていたが、案の定、今年はなかなか来なかったので、とうとう私がジャガイモ畑の除草もする事にした。
素手で触って見ると、8、9割のイモの幼葉が出ていてホッとした。
「よし、あとは土寄せ次第!」
と思った。
他の作業が終わり休憩するつもりだったが、今が大切!とばかりに疲れた体を鞭打って土寄せを始めた。
すると、やっぱり早めに取りかかって良かった!とつくづく思った。
と言うのは、発芽したジャガイモの下をモグラが穴を掘っていたのだ。
知らないで放っておけば、枯れてしまうか、成長不足はまちがいなかった。
あわててモグラの穴を指先でつぶして、ボカシを撒いた周囲の土をジャガイモの元へかぶせるように寄せた。
ずっと左膝が痛かったので、一株一株の前に、風呂の古い腰かけを置いて、それに腰を下ろして作業した。
また、晴天が続いて、土も乾いていたので、最後に念のために水やりもした。
すると、運よく二日後に、久々の雨が降った。
「土もボカシも水も、すべてが満たされて、きっと今頃ジャガイモ達も喜んでいるだろう!」
と家の中で私は、雨音を聞きながら喜んだ。
そして、数日経った。
昨日、電話依頼で、シルバーの爺さんがまたキウリの網張りにやって来た。
作業が終わるとジャガイモの様子を見に行ったらしい。
「いや、驚いた。ジャガイモが全く調子がいい。ずいぶん大きくなった。あんなに元気がいいから、今年はたくさん穫れるぞ」
と、意外そうな声で言った。
「ああ、あれは、僕がボカシで土寄せをしたからですよ、ついでにモグラの穴もあったのでふさいだし・・」
と言って、上記の「耕福塾」でのジャガイモの話もした。
「いや、今回は、わしはボカシも鍬も入れなかったから、てっきり駄目だろうと思っていたが、あんなに調子がいいとは・・」
と口を開いて立ったまま驚いていた。
「・・・」
(まあ、私は今まで自分では作業をしなかったが、真の実力はこんなものさ!)
と口には出さなかったが、そんな顔をしていたかも。


風薫る五月

2015-05-13 17:55:29 | 俳句日記の部屋

薫風に 切り髪かるく 吹かれけり  湧水

薫風に わが切る髪の 軽きかな  湧水

畑や庭 整い気づく 薫風かな  湧水

長髪の うるさき初夏の 朝の床  湧水

耳を触る髪が気にかかる初夏となった。
畑や庭の作業もはかどって、心に余裕ができた証拠だ。
ハサミを持って庭に出て、風に吹かれながら左手で髪先をつかみ、右手のハサミで切って、1500円(または4000円?)の節約だ。

朝トースト 昼までもたぬ 夏草ひき  湧水

休憩に 玄米おむすび 初夏の畑  湧水

じゃがいもの 土寄せすれば もぐら穴  湧水

獲るにわずか 手入れに長き 芋の畝  湧水

穴掘りて 里芋の芽の 出るを待つ  湧水

今年の里芋の種芋は数えたら150個ぐらいあった。
畑の畝に125個の穴を掘ってもう植える準備はokだ、庭脇で土で覆われている種芋が芽を出したら、移植しようと手ぐすねをひいて待っている。

川柳

顔のシワ 無くて若いと 褒められし  湧水

若さ自慢 爺さんと呼ばれ 砕かれし  湧水

バスに乗ったら、「こっちこっち!」とおばさん達が空席を案内した。
席に座ったら、一人のおばさんが、「爺さん爺さんなんて呼んでごめんなさい、私だって、もう婆さんだけど」と言ってバスを降りた。
後で自分の事だと分かって腹が立ってきた。
私は、少し前に、久々に会った女性から、「顔にシワもないし、体もスッキリして、ずいぶん若いわ、いったい何歳なの?」と褒められたばかりで、ずいぶん気分良くしていたのだ。
「他に呼び方があるだろ、思いつかなかったのかい!爺さんなんて今じゃ、8、90歳以上の人を言うんだ!」
と追いかけて怒鳴ってやりたかった。
まあ、お互い言葉には気をつけましょうね!


今年の夏の鉢花 さんぱちえんす? 

2015-05-09 17:55:07 | 自然農法の部屋

今年も、いよいよプランタや大鉢に夏花の苗植えを始めた
今まで晴天に恵まれて野菜畑の準備や苗植え等が大変はかどった。
そのため、ようやく夏花に取り組む余裕ができた。感謝感謝!
昨日、そろそろ花の苗を買いに行かなきゃ!と思っていたら、都合よく友人から電話があった。
それで早速昼食を兼ねて花屋さんへ行った。
いつもの、少し遠くの高原にある母と娘が営む店である。
今は、鉢花や苗販売の忙しい時期なので、今年もバイトらしき娘達が手伝っていた。
ところが、今年は様子が少し違っていた。
ビニールハウス店内の苗のコーナーへ行くと、そこには毎年たくさん並んでいた百円程度のペチュニアやインパチエンスの苗が少なかった。
さらに、私が買うつもりの紫など青系の色の花の苗がなかった。
その代わり、以前少なかったベゴニアが多く、青系の苗もあった。
結局、迷い迷ってペチュニアを3個、ベゴニアを4個、インパチエンスを2個買った。
その内の紫系の2個は、百円程度の苗でなく350円もした。
レジでついでにシンピジウムを植え替えるための土?も買った。
レジはたまたま暇そうで、いつもの母親はいなかったが、
「あの、インパチエンスのようにたくさん増える他の花の苗ってありますか?」
と聞くと、
「もうじき入荷予定のサンパチエンスがお奨めです」
と娘らしき店員が答えた。
今年はインパチエンスの百円苗が少ないね!と聞こうとしたが、
(ひょっとしたら、もう流行がインパチエンスからサンパチエンスに変わったのかな)
と思って黙った。
ちょうど私自身も、数年ごしのインパチエンス栽培にも飽きていたのだ。
それよりも、真夏の毎日の水やりの大変さに、今年は鉢花を減らそうとさえ思っていたくらいだ。
が、「わっ、きれい!」と見るのを楽しみにしている通行人達の事が脳裏に浮かんだ。
(また気が向いたら、流行のサンパチエンスでも買いに来ようか!)
と思い直しつつ店を後にした。
帰宅すると、熱い中だったが、小さなポットに窮屈そうに耐えている苗を見て、早速プランタや大きなポットに移植してあげた。
幸い、畑の雑草の腐葉土がたくさん有ったので作業ははかどった。
置く場所に運び、水やり等をして、すべてが終わるともう夕方だった。
翌日、今朝早々に目覚めると、少し気になったので玄関を出て見に行った。
そして、手で苗に触って見ると、苗達は生き生きとしていて、もう一回りも大きく伸びたように感じた。
やれやれ、これで今年もまた水やりにコキ使われそうだ。
そう言えば、我が家の玄関のシクラメン3鉢は、まだ元気で花をいっぱい咲かせて、ヘルパーさん達や牛乳配達人を喜ばせている。
また、今年の薔薇については、
昨年末、鉢ごと運ぼうとしたら、枝先が私の目の近くの顔を突いたので、「これは危険だ!」と枝を全部根元から切り落としてしまった。
切り過ぎたかなと心配していたが、最近、わずかに若葉が出て来たので安心していた。
昨日、ヘルパーさんが、大きなきれいな花が二厘も咲いている!と言って、裏庭から玄関前まで運んでくれた。
薔薇の鉢は、全部で5個もあるから、他のも続いて花を咲かせるかも知れない。
それに、昨年15個も大きな美味しい実を付けた鉢ミカンも、ミニハウスの中で水やりをしていたら、今年も花を付けてくれた。
さて、今年は何個実を付けるか、楽しみ!
ついでに、今年秋に、リンゴと梨の苗木も買って、同じように鉢栽培をしようと思う。
ミカンができたくらいだから、より簡単だろう。
リンゴや梨も同じように15個も獲れれば、我が家では、もう買わなくてもすみそうだ!
おまけに無農薬だったら、あの「奇跡のリンゴ」だ!

(以上)

今年も、いよいよプランタや大鉢に夏花の苗植えを始めた
今まで晴天に恵まれて野菜畑の準備や苗植え等が大変はかどった。
そのため、ようやく夏花に取り組む余裕ができた。感謝感謝!
昨日、そろそろ花の苗を買いに行かなきゃ!と思っていたら、都合よく友人から電話があった。
それで早速昼食を兼ねて花屋さんへ行った。
いつもの、少し遠くの高原にある母と娘が営む店である。
今は、鉢花や苗販売の忙しい時期なので、今年もバイトらしき娘達が手伝っていた。
ところが、今年は様子が少し違っていた。
ビニールハウス店内の苗のコーナーへ行くと、そこには毎年たくさん並んでいた百円程度のペチュニアやインパチエンスの苗が少なかった。
さらに、私が買うつもりの紫など青系の色の花の苗がなかった。
その代わり、以前少なかったベゴニアが多く、青系の苗もあった。
結局、迷い迷ってペチュニアを3個、ベゴニアを4個、インパチエンスを2個買った。
その内の紫系の2個は、百円程度の苗でなく350円もした。
レジでついでにシンピジウムを植え替えるための土?も買った。
レジはたまたま暇そうで、いつもの母親はいなかったが、
「あの、インパチエンスのようにたくさん増える他の花の苗ってありますか?」
と聞くと、
「もうじき入荷予定のサンパチエンスがお奨めです」
と娘らしき店員が答えた。
今年はインパチエンスの百円苗が少ないね!と聞こうとしたが、
(ひょっとしたら、もう流行がインパチエンスからサンパチエンスに変わったのかな)
と思って黙った。
ちょうど私自身も、数年ごしのインパチエンス栽培にも飽きていたのだ。
それよりも、真夏の毎日の水やりの大変さに、今年は鉢花を減らそうとさえ思っていたくらいだ。
が、「わっ、きれい!」と見るのを楽しみにしている通行人達の事が脳裏に浮かんだ。
(また気が向いたら、流行のサンパチエンスでも買いに来ようか!)
と思い直しつつ店を後にした。
帰宅すると、熱い中だったが、小さなポットに窮屈そうに耐えている苗を見て、早速プランタや大きなポットに移植してあげた。
幸い、畑の雑草の腐葉土がたくさん有ったので作業ははかどった。
置く場所に運び、水やり等をして、すべてが終わるともう夕方だった。
翌日、今朝早々に目覚めると、少し気になったので玄関を出て見に行った。
そして、手で苗に触って見ると、苗達は生き生きとしていて、もう一回りも大きく伸びたように感じた。
やれやれ、これで今年もまた水やりにコキ使われそうだ。
そう言えば、我が家の玄関のシクラメン3鉢は、まだ元気で花をいっぱい咲かせて、ヘルパーさん達や牛乳配達人を喜ばせている。
また、今年の薔薇については、
昨年末、鉢ごと運ぼうとしたら、枝先が私の目の近くの顔を突いたので、「これは危険だ!」と枝を全部根元から切り落としてしまった。
切り過ぎたかなと心配していたが、最近、わずかに若葉が出て来たので安心していた。
昨日、ヘルパーさんが、大きなきれいな花が二厘も咲いている!と言って、裏庭から玄関前まで運んでくれた。
薔薇の鉢は、全部で5個もあるから、他のも続いて花を咲かせるかも知れない。
それに、昨年15個も大きな美味しい実を付けた鉢ミカンも、ミニハウスの中で水やりをしていたら、今年も花を付けてくれた。
さて、今年は何個実を付けるか、楽しみ!
ついでに、今年秋に、リンゴと梨の苗木も買って、同じように鉢栽培をしようと思う。
ミカンができたくらいだから、より簡単だろう。
リンゴや梨も同じように15個も獲れれば、我が家では、もう買わなくてもすみそうだ!
おまけに無農薬だったら、あの「奇跡のリンゴ」だ!

(以上)

立夏! 大型連休と田植え

2015-05-06 21:08:09 | 俳句日記の部屋


苗植えの やる気をそぎし 熱日ざし  湧水

さんしょううお ごときゆっくり 初夏の畑  湧水

水やりを 想いて減らす 夏花苗  湧水

いよいよ大型連休も終わる立夏となった。
涼しい家の中から「やるぞ!」と畑に出たが、まだ慣れていない初夏の暑い日差しに、せっかくのやる気も萎んでしまった。
そうなると、もうゆっくりやるしかない。
一億年 かけて横向く 大さんしょううお!ではないが、この呑気さお見習って、まあ焦らずゆっくり行こう!

くしゃくしゃの 顔出す芋の 幼芽かな  湧水

幼芋葉 見ればあれこれ 世話浮かぶ  湧水

草取りを 休めと一日 初夏の雨  湧水

天ぷらと 聞いて食べたき 藤の花  湧水

国道のみ 覆い尽くさず 若葉飛騨  湧水

花のあと 知らぬ間に 若葉飛騨  湧水

こっそりと いつの間にやら 若葉飛騨  湧水

飛騨一望 命新たな 若葉色  湧水

地の皴を 山並みにして 若葉かな  湧水

連休や 飛騨の田一斉に 耕起音  湧水

飛騨の谷 鏡のごとく 田植え前  湧水


シーシュポスの神話 賽の河原 草むしり

2015-05-03 00:26:23 | 自然農法の部屋

地球の 大地にひとり 草むしり  湧水

若葉風吹く五月に入った。
飛騨も見渡すかぎり新緑の季節となった。
コイノボリが青空に舞い、連休を過ごすために日本中を車や新幹線や飛行機が移動している。
私は?と言えば、今年も伸び放題の畑でひとり草むしりをしていた。
目が悪いので、草刈機や草取り具など使わず、文字通り手で雑草をむしっていた。
いや、草を引き抜いているから、草引きと言った方が性格かも知れない。
ひとりで黙々と引き抜いていたところ、フとギリシャ神話を想い出した。
「シーシュポスの神話」である。
神々の罰を受けたシーシュポスは大きな岩を山頂まで坂道を押し上げなければならない。
ところが、山頂に届くと、その瞬間に何故か大岩が転げ落ちてしまい、また初めから坂道を押しあげる事になる。
この繰り返しが永遠に続くと言う罰なのだ。
畑の脇の勢い良く伸びた雑草を引き抜きながら、この話を想い出したのは、毎年何度も雑草引きを繰り返さなければならないからではない。
「おかしいな?確か畑の脇は雑草が生えないようにと、防草シートを敷いたはずだぞ」
急に私は、思い出して手を止めた。
「こんなに雑草が勢い良く伸びているのは、シートが破れているか、それとも、誰かがシートを取り除いてしまったに違いない」
それを確かめるために指で土を掘ろうと思ったが、堅くて駄目だった。
手には、薄い丈夫な作業手袋をしていた。
しかし前日に除草した場所は、連日の日照りで、土が乾いてボロボロと柔らかくなっていた。
早速、そこのシートが無くなっているかどうかと、土を取り除いて見ると、まちがいなく防草シートがあった。
シートは、四、五センチほどの土で隠されていた。
「何だ、シートは有るじゃないか。雑草の勢いがいいのは、この分厚い土のせいだ。ああ、犯人は、またシルバーの爺さんだ」
と思うと腹が立って来た。
と言うのは、実は、四年ほど前、今回と全く同じ事があったのだ。
私が、除草していて、シートの上に数センチの土が乗っているのに気付いた。
その頃、ちょうどプランタの土が大量に必要だったので、その土を十数個のプランタに入れていたら、隣りの人が面白がりながら教えてくれた。
「ハハハ、その土は、あのシルバーの爺さんが畑の雑草を取った時、ポーンポーンと土の付いたままシートの上に投げるからだよ。ほほーっ、毎年やっているから、ずいぶん溜まったんだね」
「なーんだ、そうだったんだ!いや、どうしてシートの上に土が有るのか不思議だったんだ」
「おや、土を取って、色シートが出てきたら、ずいぶん見栄えが良くなった。あのシルバーの爺さんも驚くよ」
隣の人も、爺さんのやり方はまずいと思っていたのだ。
翌日、シルバー爺さんが来て、
「おーっ、畑の脇がずいぶんきれいになった」
と、少し気まり悪そうに褒めた。
「あのー、雑草は抜けば枯れるから、畑の中に置いた方がいいと思うけど・・」
と私がクレームを出すと、
「いやーっ、また生き返って来るからな」
とシートの上に雑草を投げた理由を言い訳のように言った。
確かに、除草した雑草は、面倒でも根の土をきれいに落とさないと、また生えて来る。しかし、シートの上に投げれば土が付いたままでも乾燥して枯れてしまうのだ。
本来ならば、後でその雑草をすべて一か所に集めるべきだろう。
シルバーの爺さんは、隣人の前で大恥をかいてしまったから、この日以来、シートの上に雑草を投げる事はなくなった。
同時に私も、解決済のこの事を、記憶から消した。

と私は思っていた。
が、そうではなかったのだ。
四年ほど経った今年の春、また乾いた土を除いて見ると、その下にシートが有ったのだ。
シートの上には、四年ほど前と全く同様に、四、五センチの土が乗っていた。
「エーッ、こんな事って!・・これって、何かに似ているな。あっ、そうだ、あの、シーシュボスの神話だ」
と言う訳でその話を想い出したのである。
そして、シーシュボスがまた大岩を初めから坂道を押し上げるように、私もシート上の土をすべて取り除き始めた。
「そう言えば、同じような話が日本にもあったな!」
と幼い頃聞いた賽の河原の話を想い出した。
両親より先に亡くなった子供達は、賽の河原で親達が来るのを待っている。
暇をもてあそんだ子供達が、一所懸命河原の石を積んで高い石の塔を作ると、鬼達がやって来て、せっかく仕上げたその塔を足で踏みつぶしてしまう。
子供達は、泣きながら、仕方なくまた初めから、石を積み始める。
と、言う話だ。
しかし、・・・
と私は、最近になってこれ等の話の見方が変わって来た。
子供達は、石を積み始めると夢中になってしまう。
私も幼い頃、河原の砂場で小さなダムを作って湧水をせき止めるのに夢中になった事を思い出した。
石を積み上げるのに夢中になっている子供達は、時間の過ぎる事も両親の事も忘れてしまっている。
それが完成してしまうと、両親の事を想い出して、淋しくて悲しくなってしまう。
だから、鬼達が、完成マ近かになると、やって来て足で踏みつぶすのだ。
本当は鬼達は顔や態度は怖いが、心は優しいのかも知れない。
シーシュボスも、毎日大岩を坂道に押し上げる度に、充実感と快眠を得られる事だろう。
頂上近くまで来れば、今度こそは!と言う希望とここまで押し上げた!と言う喜びも沸く。
つまり、瞬間的な目標よりも毎日のプロセスの方に喜びや生きがいが見つかるのである。
私も、除草や土除きをしていると、きれいになった分だけ満足感と柔術刊が沸く。
全体ができれば、もっときれいになるだろうと、やる気が出て来る。
また、既に一週間も畑仕事に取り組んでいて、冬のメタボ体にも筋肉が付いてきて、腰回りも若い時のようにスッキリして来た。
汗をかいた後の夕方の風呂と、その後の冷えたビールの夕食が楽しみである。
毎日、取り組んだだけ仕事がはかどり、その充実感で快眠できる。
シーシュボスの神話も賽の河原の石積も、草むしりも爺さんの雑草投げも、取り組んでしまえば楽しい事なのだ。
取り組まずに、逃げよう等と考えるから絶望的になるのではないかな?
ナーンテ、悟ったような事を!

何はともかく、腰回りをスッキリさせたい人、または腰にくびれの欲しい人。
どうぞ我が畑まで!
無料で草むしりができますよ。

(以上ねむいー!)