飛騨さるぼぼ湧水

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意識が先、現実は後! (その 2 ) 思考は現実化する!

2022-04-27 13:59:38 | エッセイの部屋

前回では、肝臓のγgtの232だったのが、72に下がって喜んだ事を述べた。
しかし、正直なところ、去年の正月以来ノンアルコールビールに変えてアルコールを一滴も飲んでいなかったのに、年末の検査で232に上がっていたのは予想害の悪結果でショックだった。
もし、アルコールが原因でないとすれば事態はもっと深刻である。
ダイエットや筋トレは何とか続けていたから、他に改善する予知はもう精神生活しかなかった。
そこで私の日頃の漠然としたはっきりしない考え方、即ち信仰姿勢を改める事にした。
まず、一番根本的な考え方、つまり、心の奥のいつも思う信念のような考え方を次のように決めた。

もう地球は何千年の夜の時代から昼の時代に変わった。
そして、今の地球は三次元物質世界から五次元の天国世界に移りつつある。
私達は今既に天国に住んでいる天国人である。
天国人ならば病気も貧困も争いも無いはずである。
私は、常に主神の元に教祖や聖イエスやその他の方々の住む天国の神の家に住んでいる。

このように、いつもいつも心の中で思うようにすれば、私の魂や霊はそこに住む事になる。
自分の霊や魂が天国に住めば、「霊主体従」の法則によって、「体」の肉体も天国人らしくなり病気も無くなるはずだ。
よし、これを心の底から信じよう、信念としよう!
そして、自分の体の事は神様にお任せして、もう心配するのは止めよう!
それよりも、もっと大切な神様への奉仕に取り組もう。
それは、ご先祖様方や身近な方々や知人達を心の中で天国へ案内させていただいて、皆さん方が主神の子メシアとして新しく生まれさせていただく事だ。
そうなるように毎日祈らせていただこう。
一日に30分ほどお祈りしよう!

と決断した。
これが、改善した私の新たな精神生活だった。
そして、その後は、いつものダイエット、散歩や筋トレ、そして午後4時頃に30分程のお祈りを続ける事にした。
すると、どんどん体調も良くなり、筋肉も付いて心も体も、健康になっている感じがした。
これなら肝臓や他の臓器も、きっと良くなっていくだろうと思えてきた。
時々、フと心配が湧いてきた時には、
「もう私は天国に住んでいるんだ、天国や天国人には心配事などないはずだ、すべて神様にお任せしてあるから大丈夫、余分な心配心は捨てよう!」
と忘れるようにした。
そして、他の楽しくなるような事ばかりを考えるようにした。

こんな風に取りくんで来たところ、前述のように、願っていた以上の素晴らしい結果となった。

後になって考えてみると、やはり心配心を捨てた事も良かったと思う。
そう、心配も立派?な意識であり、思考である。
だとすれば、意識や思考は現実化すると言う事だから、心配事が現実化する事になる。
この時、以前に学んだ言葉を思い出した。
それは、
「不平は不平を呼び、喜べば喜びが来るぞ!」
感謝は感謝を呼び、不平は不平を呼ぶ!
と言う、大本教教祖やメシア教教祖の言葉だった。
 この教えもよくよく考えてみると、
意識が先、現実は後! 思考は現実化する!と同じ意味の事である。
つまり、喜んだり感謝すれば、その意識や思考が、新たな喜びや感謝事を現実化する、と言う事で、結局、同じ内容を言っているのだ。
なので、同様に、
心配をすると、その意識や思考がやがて現実化して、実際に心配事が起こる、と言う事になる。
だから、スピリチュアルでは、これを、
「ネガチブな事にフォーカスすると、それを呼び寄せてしまう、なのでネガチブな事にフォーカスしない事」
と言われる。
フォーカスするとは、集中して意識や思考する事である。
だから心配や恐れやさらに怒り恨み妬み嫉み等のネガチブな思考はフォーカスするのを早く止めた方が良い。
そう言う暗い事は、すべて表裏をひっくり返して見直せば明るい感謝やポジチブな思考に変える事ができる。
例えば、心配事や恐れなら、これがあったので神様に祈る事が学べたとか他人の痛みも理解できるようになったとか。
また、いじわるされた場合は、怒りや仕返しを考えるよりも、私がこれで鍛えられるのだとか、前世の厄落としやカルマの解消でこれが済めば、これから人生良くなるかも知れないとか、前向きに考えれば、ネガチブ思考を感謝やポジチブ思考に変える事ができる。
と言うように、どんな場合でも、いつでも心には明るい感謝やポジチブ思考を持っているのが天国人である。
それが今の私なのだ。
感謝やポジチブ思考の人には心に闇ができないから、悪とは無縁である。
しかし、心配や恐れや怒り妬み嫉み等の暗いネガチブ思考は、心の中に悪を喜ばせ成長させるエネルギーとなり、小さな闇が生じて悪が忍び込む隙が出てくる。
繰り返しになるが、ネガチブ思考は表裏ひっくり返して常に持ち続けないように心がける事が大切だと思う。
または、ネガチブ思考はすべて正直に、信じている神様や天にお委ねしたり預けたりして、自身が離れる方法もある。

さて、こうして述べていたら、次の言葉を思い出した。

「正しい願いは叶えられる」  神様

「私の辞書には不可能はない、なぜなら実現するまであきらめないからだ」  成功者

「百m選手の試合前のイメージトレーニング」  スポーツ選手全般

等々、これ等は、思考が先、現実は後、思考が現実化する!の具体例と思える事だ。
この例は探せば、他にもたくさん見つかりそうだ。
あっ、そう言えば、もうひとつ私の例を思い出した。

数年前に飛騨地区に教会の若い先生が赴任してきた。
教会の本部では春と秋の大祭に奉唱する献花を全国から募集していた。
その時、私は「よーし、奉唱歌を飛騨地区の私達だけで独占してやろう!」
ととんでもない事を言い出し、皆にも呼びかけ私自信も率先して初めて応募を始める事にした。
予想通り「そんな大きな目標なんて!」と新任の先生が目を丸くして驚き、愉快だった。
その先生がこの春に他の地区へ移動する事になり、責任者としての最後の春の大祭となった。
その時、奇しくも私の応募した献花が、初めて五首の奉唱歌に選ばれ、しかも一番始めに奉唱される事になった。
一首だけだったが、とんでもない大ホラの夢が実現した。
大祭当日にすぐ先生からの祝いの電話があった。
先生の担当中の最後の最後に間に合った!と私は願いが叶った事に感動した。
しかし、選ばれた歌は、私の自信作ではなく、おまけ?の歌だった。
応募時に電話で、もう一首書けるよ!と友人に言われたので、それならついでにと伝えた歌だった。
なので・・・?

(つづく)