飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

ストレスフリー爺さん いつもどこでも笑顔?

2021-08-25 15:33:33 | エッセイの部屋

むかしむかし飛騨の山里に、
1人暮らしの爺さんが、朝早く散歩をしていました。
両手で白い杖をついてノルヂックスキーのように歩いていました。
それは当時流行したばかりの高齢者用の登山ストックだったのです。
目の悪い爺さんにとっては、一本の白杖よりもだんぜん安全で歩きやすかったのです。
もう八月の終わりだと言うのに、梅雨のような長雨が続いていました。
気分転換の散歩ができなかった爺さんは久々の散歩に大喜びでした。
周りの山のせみ達も、待っていたかのように大喜びで、思いっ切り鳴いていました。
ところが、しばらくすると、天からポツポツと雨粒がこぼれてきたのです。
「はて、どうしたことじゃろう?朝日も射してせみ達も元気に鳴いていると言うのに?」
と爺さんはちょっと不思議に思いましたが、気にせず好きな散歩を続けました。
ところがしばらくすると、本格的に大粒の雨が降りだしたのです。
「うわーっ、こりゃ大変!」
あわてた爺さんは、すぐに引き返しましたが、大粒の大量の雨に、あっと言う間にずぶ濡れになってしまいました。
下着や靴までびしょびしょになりながら、爺さんは思いました。
「そうじゃ、今着ている物は長雨のためしばらく洗濯してなかったのじゃ。ずっと気になっていた。ちょうどいい機会じゃから、着ている物を全部洗濯しよう。これはきっとご先祖様や神様がそうしろとしむけたんじゃ」
とひとり素っ裸になって、着ている物すべてを洗濯しました。
すると一糸まとわぬ?身も心もすっきりさっぱりして晴れ晴れとした顔になりました。
さて、翌日の事です。
朝早く起きると、いい天気だったので、爺さんは、また喜んで散歩に出かけました。
爺さんの散歩路は、家の近くの山寺の参道を上がり切ったところでした。
参道を上がり切ると鉄道が横切っています。
その踏切を渡って鉄道沿いの真っ直ぐな路を何回も往復すると言うものでした。
以前はもっと先の山の路を登った水路脇の路を散歩していたのです。
しかし、最近はその辺りには熊が出ると言うので、安全のため山に登るのを中止しました。
そして、その代わりに、手前の熊が近寄らない鉄道沿いの短い道を、三、四回ほど往復していたのです。
その日は前日と同じように、朝日がさしせみ達が大喜びで鳴いていました。
「そう、そうじゃった、昨日はせみ達が鳴いていたので雨は降らないだろうと安心していたらずぶ濡れになってしまった」
等々想い出しながら、踏切を渡って鉄道沿いの道を歩いていました。
すると、まだ一往復もしない内に、またポツポツと雨粒がこぼれてきたのです。
「えっ、雨?もう降りだしたのかい?また昨日と同じじゃ。今度はもうせみ達にはだまされないぞ」
と爺さんは残念に想いながらも、大慌てで引き返す事にしました。
その時、フと、
「ああ、そうじゃった、忘れていた。今日は午前中に出かける予定じゃった、散歩などしていたら朝食する時間が無くなるところじゃった、良かった、良かった、きっと、これもご先祖様か神様がそうさせてくれたんじゃ、有難い事じゃ」
と先ほどまでの残念がっていた想いも吹き飛んで、心底から感謝しました。
案の定、家に着くや否や、バケツを引っくり返したようなドシャ降りになりました。
その日は日曜日でした。
朝食の珈琲とピザもゆっくり食べ、九時半頃になると約束通り爺さんの知り合いの女性の迎えの車が到着しました。
ところが、間が悪い事に、その直前からまた雨が激しく降り始めたのです。
しかも激しい雨で車のドアも見にくいため、乗る時にかなり濡れてしまいました。
車が動き出し雨の中、心も落ち着いた頃、運転していた知り合いの女性が、
「もう最近は雨ばかりで嫌になってしまうわ、今朝も出がけに息子が、こんな雨降りにどこへ出かけるんだ?と文句を言われて・・」
と愚痴を言い出しました。
これは、きっとせっかくの日曜日がドシャ降りなので、息子さんも機嫌が悪いんだろう。
それに、おそらく最近の長雨を家の中で親子で毎日愚痴っているんだろう。
そう感じた爺さんは、これは彼女親子の癖と言うか、愚痴の習慣を変えてやらねば!と思いました。
いや、正直、もう愚痴を聞きたくなかったのです。
もっと楽しい話をしたかったのでした。
そこで爺さんは先手を打って、
「そうそう、それそれ、その言葉、まただ!とか、毎日ひどい雨だ!とか、そう言う愚痴ばかり口にしていると良くないんじゃ、そう言う愚痴はどちらかと言えば地獄的な言葉じゃ。もっと天国的な楽しい言葉を口にしなきゃ」
すると女性がすぐに反発した。
「そんな事を言ったって、本当の事だから仕方ないわよ」
その反論は、既に爺さんが予想していた。
「いや、そんな事はない、もし今の雨が無かったら、今頃は昼間は40度近い真夏日になって、家の中にいても熱中症になるし、それに、夜もエアコン無しでは眠れなくなる。
それに比べたら雨の方がマシじゃ!雨と40度とでは、いったいどっちがいいと想う?」
と爺さんが聞いた。
女性は、考えながら、小さな声で、
「それは、やっぱり雨の方がいいわ・・」
と本音を言った。
「ほらっ、じゃったら雨は有難いじゃ、雨よありがとう!じゃ、愚痴なんか言ってる場合じゃないぞ」
「・・・・」
「じゃから、人間は口を開けば有難いって言うことじゃ、そう言う言葉を出していると、周りが天国的になるんじゃ、楽しい事を引き寄せるんじゃ。
反対に愚痴ばかり言ってると、愚痴を言いたい事ばかりを引き寄せるんじゃ、だから、愚痴が出たら、引っ繰り返して感謝の言葉にするんじゃ。良い事も悪い事も表裏一体じゃからな、愚痴はひっくりかえせば感謝になるんじゃ、見る方向が違えば反対になるんじゃ、この豪雨もそうなんじゃ」
しかし、彼女は少しは理解できても、まだ百%は納得できないようでした。
「ええ、それはそうでも、いつも、そんなに有難い!ばかりなんて言えないわ、例えば息子の事でも・・」
しかし、爺さんは女性から詳しい事情など聞こうとしませんでした。
「そう、息子さんだって、そうじゃ、今、元気じゃろう?
だったら、もう有難いじゃ、入院していたら大変じゃ、もし癌じゃったらもっと大変じゃ。
毎日食べられるじゃろう?食べられなかったら大変じゃ、心配じゃ。
朝起きられるじゃろう?朝、起きられなかったら大変じゃ、
だったら、起きられて有難いじゃろ?食べられて有難いじゃ?嫁さんも孫も同じじゃ、皆が起きられて、食べられて、トイレで出せて、
もし出なかったら大変じゃ、そうじゃ、みな有難い事ばかりじゃ、じゃから、毎日感謝の言葉が口に出せるのじゃ。
そう言う陽の当たる明るい有難い面を見ずに、裏の影の暗い所ばかり見て愚痴ばかり言ってる。それは癖じゃ、両面あるのに、影の暗い面ばかりを見て口にする癖じゃ、その癖が家族中にコロナのように感染して皆が愚痴るんじゃ、
1人でも、こんな楽しい良い事があるわよ!と言い出せば愚痴家族が感謝家族に変わるんじゃ、じゃからじゃ、有難い、有難い、このひどい豪雨もありがたいじゃ」
ちょうどその時、車はニュースで報じられた豪雨で増水した川で削られた国道41号線の近くを通った。
「これもきっと有難いじゃ、そうじゃ、仕事の無い地元の土建屋さんにとっては有難い事じゃろう」
と爺さんはカラカラ笑った。
車内に愚痴が消え、感謝の雰囲気になった。
車は目的地に着いた。
すると、幸いにもその時に雨はほとんど止んでいた。
「ほらっ、やっぱり!有難いって口にしたので、有難い事を引き寄せたのじゃ、早く、建物の中に入ろう」
と爺さんは白杖を手に車を出た。
そして、もう一方の手で女性の肩に触れ、慌てて玄関内に入っていった。
建物内には高齢の女性がいた。
「ああ、久しぶり・・ったく雨ばかりで!ほんとに・・・」
女性どうしの暗い顔の挨拶だった。
出迎えた高齢の女性は、爺さんがいつも愚痴を注意している婆さんだった。
「そう言う事を言ってはいけないんだって」
「えっ、こんな事もなの?」
小声の二人のささやきが耳に入った。
「ここは天国じゃ、なのでここでは天国的な言葉だけを言うんじゃ」
爺さんはストレスを貯めないように一言だけ言った。

(おしまい)