∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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D-1>藤原朝臣姓加藤系水野

2007-11-22 19:06:45 | D-1>藤原姓加藤系水野
D-1>藤原朝臣姓加藤――『系圖纂要』新版 第3冊下

 加藤という苗字は、利仁流北家藤原氏から出たとするものが一般的とされ、鎮守府将軍藤原利仁の孫である「吉信」が「加賀介」となり、吉信の二男加藤豊後守重光の嫡男貞正の子孫が加藤を称し継承していったとみられている。
加藤豊後守重光の二男水野武蔵野守忠正は、兄貞正と弟重吉が加藤氏を嗣いでいるのに対し、唯一「水野武蔵野守」を称したのは何故であろうか。この系図には明記されていないことから、仮に推測してみると、父重光の室が水野氏から嫁いできたことから、外姓を名乗ったものであろうかとも考えられるが、真実は今のところ不詳である。
 更に忠正の嫡男貞輔が武蔵野守を継承しているものの、孫保輔は、将監 尾張守を名乗っている。「保元亂潜居三州太為稱號 仕頼朝郷年六十死法名胤安」とあることから、
「保元元年(1156)、京都に勃発した保元の乱の時は、三河に隠れ潜み、後頼朝公に仕え羽太の称号を為し、六十歳で死去 法名は胤安」との意であろうから、少なくとも孫に到っては「水野」は継承されなかった模様であり、忠正の子孫についても詳らかではない。








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