老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1351;雪が降る

2020-01-08 04:39:45 | 歌は世につれ・・・・

雪が降る

作詞・作曲:サルバトーレ・アダモ、日本語詞:安井かずみ

雪は降る あなたは来ない
雪は降る 重い心に
むなしい夢 白い涙
鳥はあそぶ 夜は更ける
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ……

 (セリフ)
 「雪は降る あなたの来ない夜
 雪は降る すべては消えた」
この悲しみ このさびしさ

涙の夜 ひとりの夜
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ……


自分が棲んでいる南陸奥は
いま、雪が降り積り始めた

雪国(北海道ニセコ町)に生れたのに
雪は降って欲しくない

雪投げ(雪かき)が大変
降り積もっても20㎝までなら許せる
30㎝になると雪投げ(北海道の方言かな)が大変

雪は降る 彼が来ないのは
スタッドレスタイヤにはきかえて来なかったために
タイヤが滑り車は立ち往生 雪路を走れずにいる
そのような似た情景を
タイヤのCMで観たような記憶がある

雪は地上の塵屑などを覆い隠してくれる
白い世界になり 穢れのない雪原を見ると 心清らかになる
まだ誰も歩いていない雪路を歩くのは 気持ちがいい
後ろを振り返ると 足跡がある

小学生のときの体験で
満月の光に照らされた雪原は
銀世界であり 月光の時空間にある

の満月の夜 雪路で女性とすれ違うとき
心臓がドキドキする 
雪女ではないか、と思い怖くなる






1350;キン肉マンになったwife

2020-01-07 04:26:17 | 阿呆者
キン肉マンになったwife

wife;肉メーターが下がってきた。力がでない。
自分 ;そう言えば、おでこの「肉」という文字が消えているね。

wife;肉を食べないと「肉」がおでこに浮かんでこない。
自分 ;昨日、ヒレステーキを食べたのに、「肉」の文字が出てないね。
    まだ、肉メーターが上がっていないから、今日は焼肉を食べに行こうか

wife;やった~、やった~、父ちゃんありがとう(父ちゃんではなく夫です)

17時30分仕事を終え、いつもの焼肉屋に直行~~

wife;焼肉食べたから、「肉」の文字が出てきた。キン肉マンになった。
    明日からまた仕事頑張れる~



wifeは寿司も好きだが、肉の方が大好き
自分もwifeも 漫画『キン肉マン』の大ファンです


   

1349;東京オリンピック{1964(昭和39)年}のときに電気が点いた我家

2020-01-06 05:24:18 | 読む 聞く 見る
東京オリンピック{1964(昭和39)年}のときに電気が点いた我家

   (昭和30年後半頃、白黒テレビ)


 (東京オリンピックの直前まで
  石油ランプ生活をしていた)

昭和39年は、自分は小学6年生であった。
農村に住み、両親は朝早く起き、夜遅くまで田畑の仕事をしていた。
12月になると雪が積もり、翌年の4月まで路傍は残雪があった。
(積雪は2m50cmはあり、冬はスキーを履き義務教育の期間通った)

昭和39年9月末まで石油ランプ生活。
電気が点いたときは本当に明るく昼間のようで、本当に嬉しかった。
電気が点かない前に、農協はゼネラル製品の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を無理やり置いていった。

白黒テレビを観るのが本当に待ち遠しかった。

昭和39年当時
漫画でお馴染みのアニメ番組は

鉄腕アトム(明治製菓提供)
鉄人28号(グリコ提供)
狼少年ケン(森永提供)
ローハイド
ひょっこりひょうたん島
              
              であった。

いまはアニメ番組が少なくなり、バラエティ番組が増え、残念である
大人も子どもにも人気があったのは、プロレス番組で「芝居」とも知らず
手に汗を握りながら真剣に観ていた。

市川崑監督 映画『東京オリンピック』は
小学校のとき教室の壁を外し2教室で観たのも小学6年生のときであった。








1348;トイレに神様がいる

2020-01-05 05:40:09 | 老いびとの聲
トイレに神様がいる



『トイレの神様』(作曲︰植村花菜、作詞︰植村花菜.山田ひろし)
『トイレの神様』の詩(歌)のなかに、

でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで



便所掃除
        濱口國雄 
 

扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります

どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞におそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します 
落とすたびに糞がはね上がって弱ります

かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落とします

朝風が壺から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわってみます
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません



緑川みどり婆さん(85歳)は、うつ病と認知症があり
認知症は齢(とし)を重ねるたび、物忘れが更に進んできた。
みどり婆さんは、農家に嫁いだことの苦労と愚痴を何度も何度も話すたび
「早くあの世にいきたい」「死にたい」と呟く。

みどり婆さんのよいところは、決して他者の悪口は言わない。
デイサービスは週2回利用されている。
秋桜デイサービスに到着すると、トイレに向かう。
彼女はトイレに入る前に、両手を合わせ「お世話になります」、と挨拶をする。
帰るときもトイレに向かって「今日はありがとう」とお礼の言葉を呟く。
彼女は、トイレが使えることに感謝し、トイレに神様がいる、と話してくれた


トイレの話が長くなりますが、おつきあい頂ければ嬉しいかぎりです

濱口國雄さんの『便所掃除』の詩を知ったのは
中学のとき国語の先生がわら半紙に印刷し配布してくれたときである。
その詩を掲載された『便所掃除』の詩集は、学生のとき書店でみつけたときは、感激したほどであった。

現在のトイレは、ウオシュレット(温水洗浄)便座になり、機能性、清潔性が備わっている。

自分が小学・中学生の頃は、自宅も学校も「ポットン便所」であった。
便所の床は板張りで、トイレの真ん中は穴が開いており、そこを跨ぎ「用を足す」のである。
一寸穴を除けば、コーラー色のようなオシッコとウンチが溜まり、夏には蛆虫が蠢(うごめ)いていた。

田舎の駅の男子便所は、オシッコが流れる「排水」溝があり、壁はコンクリートであった。
掃除はしないから、目に染みるほどアンモニア臭がかなりきつかった。
そのことは濱口さんの詩の冒頭に書いている。
離農し、木造の小さな家に住んだときも、「ポットン」便所であった。

学校では当番によりキンカクシの掃除が当たると本当に嫌であった。
その便所掃除やバキュームカー(衛生車)の仕事を見下す大人もいた。
上下水道が完備していない地域は、合併浄化槽の「汲み取り」にはバキュームカーは必要不可欠であった。
在宅訪問すると、老人が住む古い隠居宅は「ポットン」便所のところもある。

植村花菜さんも濱口國雄さんも
トイレ掃除をする娘は美しくなれるし、美しい子供をうむ。
トイレ掃除をする男は美しい嫁さんに出会える。
そうかもしれませんね。















1347;今日で1000日、2000日への出発点でもある

2020-01-04 17:33:04 | 老いびとの聲
wifeの実家から自宅に帰る 東北自動車道 1月3日撮影

今日で1000日。2000日への出発点でもある

過ぎた日の1000日
過去は現在そして未来につながる、と思うも
現在から過去に戻りたくても戻れない。

過ぎた日の1000日より
何事もなければ2000日を迎えるであろう
過ぎた1000日以上に
今後の1000日の時間は早く感じてしまうのでは・・・。

2000日を迎えたときは
自分の齢は70歳になる
どんな70歳を迎えるか
気持ちだけは老いたくはない、と思っている・・・。


今年、主任介護支援専門員の更新研修(5年更新)の受講がある
受講修了証を受け取ることで、居宅介護支援事業所の運営が継続できる
72歳まで介護支援専門員(ケアマネジャー)として在宅介護のお手伝いができる、と思ってはいるが
「健康」の維持が不可欠。

ブログは、老いた自分が
何を思い、何を感じていくのか
ありのままを大切にしながら
ブログを続けたい
書くことがない日は「お休み」にする。


これからもよろしくお願いします。

大きな不幸がないよう
小さな幸せを積み重ねていければ、と思っている

1346;老母の介護に疲れた(再掲)

2020-01-04 11:34:31 | 老いの光影
令和2年1月3日 筑波山と朝焼け (旧下館市から望む)

老母の介護に疲れた

老いた母親の介護は疲れ果てた、長女は話す

顔は一回りちいさくなり目は窪み
どうしていいかわからない

デイサービス(定員30名)からも
ショートからも
「もうみられない」というようなことを
言われてしまった

この先どうすればいいのか
その夜 急いで夕食をすませ長女宅を訪れた

長女の深く暗い悩みに
耳を傾けた

老母は
夜中十分おきに起きトイレへ行く
数度、夜中、外へ出だし歩き始める
外へでたときは後ろからついて行く

「私の体のほうが悲鳴をあげている」
「もう横になりたい」
「もう眠りたい」
と長女はか弱い声で話す

老母が認知症であることを
始めて、そしてやっと認めた長女

長女は母親との軋轢を話してくれた
娘からみれば母親ではなかった
東日本大地震のとき
「娘にやる米はない」と言われた
「母ではなく鬼だと」思った

母は何も変わってはいなかった
子どもだったときから
母親と温かい言葉を交わしたことがなかった

それでも私の母親には変わりはないと思い
介護をし続けている私

糖尿病で手を煩わせている母
認知症でてこずらせている母
まだ家でお世話していきたい、と

長女が抱えている悩み、不安、葛藤、疲労、憔悴など
絡み合った糸をほぐすためにも
彼女の話を最初から最後まで聴いた


聴くことの大切さと
介護に疲れ果てた介護者の支援をどう進めてゆくのか
「ロング」ショート(変な英語表現、業界用語、月に30日のショートステイの利用、翌月も30日の利用)か
介護施設に入所させれば 家族の負担は解決するが、長女は疲れても「まだ、家でお世話そしていきたい」
本当にどうしていいか、悩んだことも事実でした。

10名定員の地域密着型デイサービスの利用により
利用開始後、3日目には昼夜逆転は消失し、夜、外へ出ることもなくなった
いまは、老いた母は「星」となった。
忘れた頃に 長女から電話が入り 地域密着型デイサービスに野菜・米を届けてくれている

                              
(令和2年1月4日記す)

1345;「老い」のブログを始め、今日で999日

2020-01-03 19:03:49 | 老いびとの聲

       我家の一人息子 beagle元気(6歳)からも「ありがとう」の言葉

「老い」のブログを始め、今日で999日

2017年4月9日から
『老いびとの詩』(『老い楽の詩』を改題)を始め
今日で999日を迎えた。

途中挫折し、何度もブログを休んだこともあった。

みなさまからのご訪問やコメント、ポチポチを頂いたこと
また、励まし、応援、共感などを頂いたお蔭で
ブログを、いまも続けてこられたことに感謝の気持ちで一杯です。

明日で 1000回の記念日を迎える

ひとつの区切り(或いは通過点)とし
『老いびとの詩』を書いていきたい。

今後ともよろしくお願い申し上げます



1344;石は生きている

2020-01-03 09:26:19 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
冬の阿武隈川風景

石は生きている

自分の好きな詩を紹介するのは恐縮するが
高見順さんの詩集『死の淵より』(講談社文庫)が好きである
32歳の頃 重度身体障がい者の介護にかかわっていたときに
『死の淵より』の本に出会った
『死の淵より』は自分の介護観に大きな影響をもたらした

『死の淵より』のなかに「小石」の詩が収められている

小石

蹴らないでくれ
眠らせてほしい
もうここで
ただひたすら
眠らせてくれ


高見順さんは食道癌を患い
癌が進行してゆくなかで
死の淵をみつめ 病室で詩を綴られた

路傍にある小石を
何気なく蹴ったことがあった。

小石は
蹴らないでくれ
眠らせてほしい

と、静かに叫ぶ

高見順さんは
癌よ痛み増さないでくれ
眠らせてほしい
癌を小石に喩えている

小石も生きている
蹴らないで
そっと路傍に
そのまま置いて欲しい


拾年以上も昼夜臥床している老人の
生きてきた凄さに驚く
手足は拘縮し自ら寝返りもできない
躰は硬くなりじっとしている様は「石」のようでもある
老人の手をそっと握り続ける
そうすると手から老人の温もりが伝わってくる

躰を右側に向きを直して頂くと
陽が射す南の窓から季節の風を感じ
生きている、と実感する

寝たきり拾年
不自由さや痛み(傷み)にも耐え生きてきた
生かされたきたことに感謝し
あなたが言葉のかわりに握ってくれた手
目尻から泪が頬伝わり枕を濡らす

わたしはこのまま死んでいっても
また人間に生れてきたい

石のような躰であっても  
わたしは生きている 






 





1343;車いすに乗り買い物

2020-01-02 18:00:44 | 阿呆者
車いすに乗り買い物

令和2年1月2日
時間の流れ 早く感じます。
極端な話になりますが、気がついたら
師走の暦になっていたりして・・・・

wifeの運転で
佐野プレアムアウトレットに行ってきた。
人、人、人、人だらけでした。

ショッピングは疲れ、特に脚に怠くなる
体調もイマイチだったので
wifeは「車いすを利用しようか」
「大丈夫か?」と。
「大丈夫~」と言葉が返ってきたので
車から車いすを降ろし
車いすに乗り買い物をした。

風邪を引かぬよう
両下肢から腰にかけ snoopyの大判のひざ掛けで寒さ対策
冬の季節はひざ掛けだけでは、足元は寒い。
車いすに乗った人でないとわからない。
足元から腰まで、ひざ掛けで巻きつけると寒くない。

いつもと違い低い目線で
買い物を体験した。

wifeとお揃いのジャンバー
自分はオレンジ色 wifeは黒色
つきあい始めた頃はお揃いのシャツなどを着て歩いたこともあった
十数年ぶりに お揃いのジャンバーで歩く

自分は薄型の腕時計を欲しかったので
SEIKOのお店に入り
気に入った薄型の腕時計が陳列され、腕にしてみた。
300,000円の腕時計ではなかったが
30,000円の手頃な腕時計だった。

これからは腕時計をみながら
約束の時間に遅れず
時間を大切にしていきたい。


1342;寂しくなった正月の風景

2020-01-02 06:35:20 | 老いびとの聲
筑波山の朝焼け(旧下館市から望む)

寂しくなった正月の風景

♬ お正月には凧あげて独楽を回しましょう ♬ 
昔、子どもの頃よく歌った

東北自動車道 鹿沼インターを降り
車で50分ほど家並み沿いを走った

凧揚げをしている子どもは誰ひとりいなかった
wifeの実家に着いても
羽根つき、独楽で遊ぶ子どもはいなかった

子どもたちは
温かい家の中で ゲームに熱中しているのであろうか

本当に寂しくなった正月の風景の感がする

1341;「我思う、ゆえに我あり」

2020-01-01 17:20:41 | 老いの光影
川の流れをみていると鴨長明の『方丈記』を思い出す

「我思う、ゆえに我あり」

フランスの哲学者 デカルトの有名な言婆が気になりだした。

「我思う、ゆえに我あり」
デカルト(フランス 哲学者)の言葉が
蒲団のなかで気になり、眠れなくなった。


”自分という人間は何ものか”、と考える存在そのものが自分である。
「我思う、ゆえに我あり」の言葉を
「我あり、ゆえに我思う」に変えてみた。

「我あり」の「あり」は在りであり、すなわち存在である。
自分は存在している。
自分の存在は個別的であり、他者に替わることはできない。

自分がこうして現在(いま)生きていること、に意味がある。

老い病を患い寝たきりになっても
数分前の会話や出来事がわからなっても
老人は存在し、生きていることに意味がある。

生きているからこそ
人間は思い悩む

あなたがいて わたしがいる
わたしがいて あなたがいる
互いの存在を認めることで
自分という存在がわかる。

そんなことを妄想しながら
自分は何を感じ、何を思い
いま、存在している老人に何ができるか
思い悩みながら行動を起こす存在でありたい 


1340; 「多」病息災の年

2020-01-01 09:35:10 | 空蝉
阿武隈川の辺から初日出を拝む ・ wifeとbeagle元気と

「多」病息災・健康

一病息災ならぬ
「多」病息災の自分
病を抱えながらも
「健康」に生きていく

よく休憩をとり
新たな気持ちで
良い介護を 為していきた

病や 不自由な躰を抱えながら
生きている老いびとたち
何を欲し
何処で暮らし 何処で永い 眠りにつきたいか
それは 自分のことでもある

自分は
いま生きている
いや、生かされていることに
感謝し、感謝を忘れずに
今日を生きて逝く