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人間は自分の立場から、物事を考えがちである。
そうならないよう、多くの本を読んだりするが、それだけでは十分ではない。
他者の話を聴いたり、いろんな体験や経験を積む。
各地を回り見聞を広める。
そうした行動のなかで、自分の考えが肉付けされていく。
しかし、思うようにいかないのが人生。
自分はあと一月足らずで齢66歳を嵩ねてしまう。
人生残り少なったところで、俺の人生を振り返り、
「本当に生きてきた」と実感できるようなものがなく、
今更ながらにして焦りと後悔を感じたところで、後の祭りである。
違う生き方があったのではないか、
そう感じても仕方のないことである。
中学生のときに変えられなかった弱い性格は、
老いた現在(いま)も引き摺り、
物事に対する捉え方も狭隘であり偏狭である。
「自己思想」がなっていない。
思想 という言葉
仏教思想 キリスト思想 東洋思想 西洋思想などと書くと
思想という言葉自体が、難しくなってくる。
思想 という漢字を「思」と「想」に分けてみる。
どちらも「おもう」と読める。
「思う」は、自分に対する思いであり、自分の気持ちや考えを表す。
もう一つの「想う」は、相手に対する「おもい」やりである。
「想」の漢字を解すと、「相」と「心」になる。
それは相手の心をどう思い遣るのか、という意味が含まれる。
自分の立場から相手をどう思い遣り、
「想い」として行動を起こしていくのか。
「介護思想」という言葉、
被介護者がどう思っているのか、
介護者自身がそのことを気にしながら介護をしているのかは、
置かれた立場により、微妙に違ってくる。
これから
「介護思想」について書き続けていくが、
それは介護とはなにか、といったような哲学的思想的な話しではなく、
自分の頭で「思った」介護や
介護の現場のなかで感じたこと、
或は介護を通した家族におけるそれぞれの立場や
ケアマネジャーの考えなど
織り交ぜ交錯させながら、
介護に対する「思い」や「想い」を
ありのままに述べていければ、と・・・・・。