老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

804;「介護思想」 (2)“思う”と“想う”

2018-07-08 09:27:00 | 介護の深淵

 「介護思想」 (2)“思う”と“想う”

人間は自分の立場から、物事を考えがちである。
そうならないよう、多くの本を読んだりするが、それだけでは十分ではない。
他者の話を聴いたり、いろんな体験や経験を積む。
各地を回り見聞を広める。
そうした行動のなかで、自分の考えが肉付けされていく。

しかし、思うようにいかないのが人生。
自分はあと一月足らずで齢66歳を嵩ねてしまう。
人生残り少なったところで、俺の人生を振り返り、
「本当に生きてきた」と実感できるようなものがなく、
今更ながらにして焦りと後悔を感じたところで、後の祭りである。
違う生き方があったのではないか、
そう感じても仕方のないことである。
中学生のときに変えられなかった弱い性格は、
老いた現在(いま)も引き摺り、
物事に対する捉え方も狭隘であり偏狭である。
「自己思想」がなっていない。

思想 という言葉
仏教思想 キリスト思想 東洋思想 西洋思想などと書くと
思想という言葉自体が、難しくなってくる。
思想 という漢字を「思」と「想」に分けてみる。
どちらも「おもう」と読める。
「思う」は、自分に対する思いであり、自分の気持ちや考えを表す。
もう一つの「想う」は、相手に対する「おもい」やりである。
「想」の漢字を解すと、「相」と「心」になる。
それは相手の心をどう思い遣るのか、という意味が含まれる。
自分の立場から相手をどう思い遣り、
「想い」として行動を起こしていくのか。

「介護思想」という言葉、
被介護者がどう思っているのか、
介護者自身がそのことを気にしながら介護をしているのかは、
置かれた立場により、微妙に違ってくる。

これから
「介護思想」について書き続けていくが、
それは介護とはなにか、といったような哲学的思想的な話しではなく、
自分の頭で「思った」介護や
介護の現場のなかで感じたこと、
或は介護を通した家族におけるそれぞれの立場や
ケアマネジャーの考えなど
織り交ぜ交錯させながら、
介護に対する「思い」や「想い」を
ありのままに述べていければ、と・・・・・。

 


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