老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

人間が人間を縛るということ⁉

2020-07-24 12:20:04 | 介護の深淵

那須連山が見える開拓 酪農


1606マザー・テレサと老人介護❸
~人間が人間を縛るということ⁉~


寝たきり老人や認知症老人を媒介にして
様々な家族模様に出会う。
日々介護に手を尽くし介護疲れで倒れてしまうのではないか、という家族もあれば、
寝たきり老人の介護を家族みんなで分担しあいながら家族の絆を強めている家族もある。

反対に、家族のなかに面倒なことがひとつ増えたという感じで、
家族関係がギクシャクし絆が脆弱な家族もある。

「自分さえいなければ」「不要な人間なのだ」、と思いこむ老人。
人間不信、意欲喪失等の状態で介護施設に入所になる老人。

老人介護は、老人とその家族の出会いで始まり、
老人の死をもって終わりとなる。
老人に出会い、いままで生きてきた老人の思いや
現在抱えている病気や障害の苦悩、辛さ、悲しさ、寂しさなどの心の重荷を受け留めていくところから始まる。

何も話したくないときがあるかもしれない。
皴が刻みこまれた手を握ることで、老人の心が安らぐ場合もある。
マザー・テレサが言うように彼らの気持ち、彼らの聲を聴くことから介護が始まる。

人間が人間を縛るということ!?

認知症老人の介護においても、手を握るという行為は、とても大切なスキンシップの一つである。
認知症老人は、「弄便(ろうべん、便を弄ぶ、便いじり)」「被害妄想」「徘徊」「攻撃的な言動」などの症状があると
「問題老人」であるとレッテルを貼られてしまいがちである。

認知症老人は、本当にこの人を信じていいのか。私の敵なのか、味方なのか、
その人(介護員、看護師、介護支援専門員)のかかわり方で敏感に感じとる。

他の利用者に迷惑をかけるという理由で、車いすやベッドに抑制(縛る)されたり、
鍵のある部屋に閉じ込められたりする。
(介護保険制度前の介護施設は、抑制などが多かった)

しかし、どんな理由をつけたとしても、人間が人間を縛るということが許されるのであろうか。
介護保険制度スタート以降は、どうしても抑制が必要な場合は家族の同意を必要とする。
老人の心の不安、葛藤、もつれ等を少しでもなくしていこうとするときに、
抑制をというかかわり方で、その老人が抱えている「問題」が解消するのであろうか。

反対に人間不信を増長させ、人格破壊につながる。

人間が人間を縛るということは、周囲の人たちに認知症老人は
「ダメな人間なのだ」「不要な人間なのだと」と思いこませることになってしまう。
頭がはっきりしている元気な老人や寝たきり老人、半身麻痺を抱えている老人は
縛られてる老人をみて、「この施設で安心した老後を送れる」、と思うであろか。
「呆け(惚け)ては大変だ」という意識と不安だけが頭のなかに強く刻みこまれる。

どんなに認知症が重くなっても、
「あなたも、私たちとおなじように望まれてこの世に生まれてきた大切な人なの」(前掲書26頁)である。
呆けていてもこの世に人間として生きるということ、
マザー・テレサは、”愛”の問題としてとらえている。
その”愛”という言葉を”人権”という言葉に置き換えていく。
人間の尊厳を守るケアをめざしていくことにある。

(『銀の輝き』創刊号 1993,6,17発行 27年前、老人保健施設で勤務していたときに書いたものです)



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