老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

介護とは ⑮{トイレは行きたいときに行く}

2020-06-25 05:02:27 | 介護の深淵
歩いてトイレに向かう109歳の老女

1577 介護とは ⑮{トイレは行きたいときに行く}

今回から生理的欲求である「排せつ」について、書いていきたい。

飲まず食わずの「空腹」でいることは、辛く、何事にも手がつかず、
お腹が空きすぎると、眠ることもできない。

食べたり飲んだりすると、人間は「オシッコ」「ウンチ」が出る。
出ないと大変なことになる。

健康な人や元気な人は、排せつのことで悩みもしないし
当たり前にトイレに行っていることの大切さも気づかない。

人間、いつトイレに行くか。
「オシッコがしたい」「ウンチがしたい」、と思ったとき
足はトイレに向かい、トイレで「用を足す」。

排せつ(オシッコ、ウンチ)は生理的に我慢ができない。
とくに下痢や軟便をもよおしたとき、近くにトイレがなく
知っているトイレは、まだ先にある。
そのうち顔に青筋が立ち、冷や汗が流れだしてくる。

目的のトイレに着いたとき「使用中」のときは最悪。
使用中の赤マークが消え、トイレに入ったときは極限状態のマックス。
下衣を降ろすやいなや、解放感の境地。
(23歳のとき上高地で体験した。野糞もできたのだが、伴侶者がいたのでできなかった)

繰り返しになるが、オシッコやウンチは、行きたいときにトイレに行く。
当たり前の排せつ行為である。

自分は便秘気味になると
書店に行き、目当ての本を探したり、本を読んでいると
便意をもよおし、トイレに向かう。
最近は甘酒を飲むと、腸のはたらきがよくなり快便この上ない。
適度な運動と水分を摂ると便秘にならない。


脳血管障害後遺症(脳卒中)や認知症を患うと
自由にトイレに行くことに支障(不自由さ)が出てくる。
誰かの手を借りなければならなくなってくる。

(付け足し的な小話)
トイレに行くことは、その人にとって大切な行為である。
トイレに行くことを昔の人(老人)は「用を足してくる」、という言葉を耳にする。

「用を足してくる」
昔は、役場等に行き書類を出してくる、相談しに行ってくる、といったように
大切な用事を済ませて来る、という意味があった。
それと同じく、オシッコやウンチがしたくなった、という生理的欲求は
その人にとっては、いま一番大切なことであり
その大切なことを済まさなければ、生理的に苦しくなり大変なことになってしまう。
「用を足してくる」、と席を立ちトイレに向かうのである。






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2 コメント

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Unknown (グライセン)
2020-06-25 05:22:18
写真の床の色合いが気になりました。
良くないですね・・・
段差があるような錯覚になりますよね。
気になりました。
返信する
段差があるように見える (星光輝)
2020-06-26 22:38:44
本当に「良くないですね」
3色が段差があるように錯覚してしまう色調ですね。
本当に気になりました。
実際歩いていた時は気がつかなかった。
こうして写真でみると、段差がいくつもある。

老人は視力が衰え、歩行も覚束ない。
色の組み合わせや使い方の大切さと危険性
この写真から学びました。
ありがとうございます。
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