老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

208;「施設に入るなら死ぬ」 ②

2017-06-20 01:23:48 | 老いの光影
那須連山と阿武隈川の夕映え
(beagle元気と私の散歩路)

ご訪問いただき、ありがとうございます

那津さんが住む自宅から那須記念病院まで行くのには
20km余りの距離があり、いつも車を利用されていた。

新館病棟4階418号室を訪れると
廊下側右のベッドで那津さんは、仰向けに寝ていた。
入院前に比べ老け込み、精気も弱弱しい印象を受け、
話す言葉は濁りがなく聞きやすかった。
一人息子の浩一(38歳)から
会う早々「母親は(介護)施設に入れるのか、姥捨てにするのか
そしたら死ぬ!」「家に帰りたい」
と怒り口調で話すので辟易している。
「退院後どうしたらいいのか、先が見えない。相談に乗って欲しい」
と依頼を受ける。

日中はほぼ寝たきりの状態にあり
ベッドに座ったとしても5分程度である。
立ち上がりも立つことも自力では全くできず
全介助を要する。
入院前は長男の介助によりトイレで用足しをしていた。
これからは、ベッド上でおむつ交換になり
大便も紙おむつのなかにしなかればならない。
要介護4の認定を下されてからは
長男の介護負担は増し、腰痛も訴えていた。
その上、肥料、米穀、酒の販売、配達もあり
お店の仕事も忙しかった。
到底自宅に連れ帰り、介護とお店の仕事を
両立させるには無理があり、先が見えていた。
まるきっり施設に入れ放しでは、親不孝のような気がし、
自宅で介護してあげたい、という気持ちもあった。

そこへ病室中に響くような声で
「施設に入るなら死ぬ~」と泣き叫ぶ彼女。
亡き父親から家業を受け継ぎ、切り盛りをしてきた那津さん。
大内の宿場から一歩たりとも離れたことがない。
大内で生れ、育ち、店の仕事一筋、83年間住んできたからこそ
施設に入るのは忍びなかったのかもしれない。
(婿であった夫は2年前に病気により亡くなった)

病院を退院し、即特別養護老人ホーム入所になるものなら
死ぬようなことはないが、生きることへの希望を失い
「生きる屍」のような状態に陥るのでは、と
長男夫婦は怖れていた。

そこで、私は3ヶ月から12ヶ月の幅を持ち
介護老人保健施設への入所を勧めた。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿